第〇章

復元


    〇


「で、この作品ができたってワケ?」

 習作も良いところだ。と、本当にそう思う。仮にも印象派に近しい画風で描いた絵に、そんなことをしたのは、自暴自棄になっていたからだと思えてならない。後から見てみれば、靴跡の下にある塔の絵にだって、不完全な部分がいくつも見つかる。これを完璧だと思っていたのは、僕のパーソナリティの障害による誤った判断だ。

「まあでも、悪くはないだろ」

 言っておくが、僕は画家を標榜しない。それを名乗るのはあまりにおこがましいし、不遜であるし、絵描きを自称することにすらも負い目を感じる。僕はポスト・ポスト印象派になんてなれやしないのだ。印象派とポスト印象派の画風を折衷させ、その上に靴跡を付けただけの絵が、なんの評価に値すると言うのだろう。そんなありふれた、不敬過ぎるがために誰もやって来なかっただけの手法を採ったところで、絵画として評価されえない。

「どうだか。これなら、まだ私の絵の方が良いと思うけど。……私はね?」

 僕もそう思う。誰かが言っていた通り、オリジナルなんてきっと大したものじゃない。大元からそうなのだから、学習と剽窃を繰り返した先にある作品の、評価の判断基準は、真贋なんかじゃない。たんに、美しいか、美しくないか。——それだけだ。だから、偽物が本物を上回る場合だってある。

「けど、どうあれ四月にはこれを展示するから。……あの模作はもう、僕の手元にはないしね」

 そう。後戻りはできなかった。僕が描いたもの、してきたこと、全てはなかったことにはならない。けれども、それらは今ここに具現化されているわけじゃない。具現化するには、オリジナルが霞むほどにまで精巧な複製を繰り返し、確固たる印象にしなければならない。そして、僕にとってそんなことが実現可能なのかは、ちょっとわからない。

「そうでしょうね。……だってあの絵は私の手元にあるし」

「……は?」


「……っていう、経緯だったみたいなんですよ」

 一年が経った。僕らはどうしてか、花見に来ていた。ここでの僕らと言うのが指すのは、観念的な総体だとか、一対一の関係とかでなく——あるいはその一部や、はたまた集合であるのかもしれないが——四名の若者だった。

「ははははは! いや、最高だよ君!」

 絶対に怒られる、そう思っていたのに、簡単に笑い飛ばされた。過去の行いにそういった反応を寄越されると、つい気分が良くなってしまう。この、赤いスニーカーを履いてきた甲斐もあったと言うものだ。オールスターのミッドソールには、今も青い絵具の跡が残っている。けれども、履けないわけではなかった。ゴムの劣化は奇跡的に遅く、未だに不自由なく履けている。満足気に靴を眺めていると、芹野が、じとっとした目でこちらに冷ややかな視線を寄越しているのに気付く。僕は知らない振りをして缶のハイボールを呷った。とても不味かった。

「でもまさか、この四人で集まるとか、二年前には思ってもなかったっすね」

 芹野は社会人一年目になった。気分良さげに笑っている山吹はもう二年目だ。で、穂波は大学四回生。就活の真っ最中だと言うのに、スーツ姿のままこんなところに呼び出されて、可哀想なものだ。そして僕、苅谷海吏かりや かいりは、きっと未だ、社会に出てなどいない。

「ホントにまさかだよねー。なんの因果なんだか」

 芹野がそう言う。僕らは別に、あれから連絡を取り合っていたと言うわけではなかった。今年の三月に催された美術サークルの送別会で、僕と芹野と穂波は、同じ机の席だった。それで誰の口からか、四月になったら花見に行こう、と言う話が出たのだ。当初は穂波と同学年の子がもう一名来る予定であった。しかしながら就活の予定と被りキャンセルになったらしい。それで何故か、予定の空いていた山吹が数合わせで来た。レジャーシートなのだから数合わせも何もないはずなのに。まあ、昨年の送別会で卒業する山吹たちを見送った後、この四人が集まることは当たり前になかったし、こういうことがあっても良い。

「それはまぁ、苅谷くんの絵が引き起こした因果だろうねえ」

 山吹は自慢気に、にたりと笑った。認めたくはないが、残念ながらそうなのかもしれない。

 芹野を絵にした作品は、山吹の元には渡らず、芹野自身の元へと渡った。それで、最悪なことに、その絵までもが昨年の新勧イベントに展示される流れとなった。それはもちろん、僕の意思ではなく、芹野の意思によってである。最悪の気分だった。しかも、あのとき仮置きした名前がそのまま採用されてしまい、片方の展示の額縁の下には「ポストラプンツェル」という題が置かれた。何故かあの題まで知られてしまっていた。殆ど公開処刑だった。これは私の絵だから、と得意気に言った芹野の表情を、僕は忘れられる気がしない。

 僕は怖い。山吹は最初から、あの絵を芹野に渡す気でいたらしい。それで、あの絵と交換に、過去に芹野が山吹のデッサンをオマージュした「ラプンツェル」を受け取ったようである。わらしべ長者みたいな話だと、僕は他人事のように思った。他人事のように思わなければ、その時は滲み出す自意識に耐えられそうになかった。絵の行き先のことを見抜けず、このヴィンテージのオールスターとの等価交換だと思い込んだのは、僕の観察力や洞察力が不足しているからだろうか。山吹と芹野の目的が一致していて、僕の絵と芹野の絵の交換が成立したと言うのも怖いし、何よりも、平気な顔をして裏でそんな行動をするのが怖い。人から貰ったものを人に渡してはいけないと、今まで教わって来なかったのだろうか。

 芹野は自分の絵について、暗喩的ではあれど、譲るわけがないと言った。その癖、僕の絵と交換で手放したのだ。その真意を辿れば、触れてはいけない禁忌がそこにあるように思えて、ぞっとする。

「マジで同情します……」

 穂波もこう言っている。女の行動は怖い。いや、芹野の行動が僕にとって印象的なだけで、行為一つで性別を措定するような思考は極めてナンセンスなのだけれど。ただ、それでも、芹野の動向について考えを遡行させれば疑問符に突き当たる。コケティッシュに感じられる所作が脳裏にちらちらと浮かぶ。芹野の動機は僕の想像とは違う、この思考はバグなのだろう、と言った具合に、どうしようもなく自意識が錯綜する。必要のない逃げ道を探すために、あらぬ方向へと思考が奪われてしまう。絵の件について、芹野が意識的な内省をしていないことを祈ってやまない。いや、きっと実際、僕のことなんて道具程度にしか思われていないのだ。それで構わない。

 深く息を吐いて、思考を整理する。ああ、こんなことを考えてしまうから、僕は他人とは上手く関われないのだ。ただ、禁忌と言うのは行き過ぎた思考だとしても、神秘に近しい何かはあるんじゃないかと、そう思うのだ。不意に吹いた柔らかな風に、僕はゆっくりと頭を上げる。

 記念公園のソメイヨシノは、満開時期を過ぎたようで既にまばらだった。しかしそれでも、花見をするのには十分過ぎる内容だった。ソメイヨシノ以外にも多彩な種類のものが植えられていたし、中にはちょうど満開時期を迎えるものもあった。芹野はここら辺の出身のようで、だからか良いスポットを知っていた。

「大体さ——、あの作品だって、苅谷があのとき傷付いてたから、ああいう表現になったんでしょ?」

 知ったようなことを、芹野は言った。全く、聞き捨てならない話だ。彼女が言う「あの作品」とは、僕がこのオールスターの靴跡を付けた油絵のことだろう。傷付いていた? 何を根拠に。と言うか、仮にそうだったとして、僕の気持ちがどうして芹野なんかにわかると言うのだ。

「違うね。僕のことをなんだと思ってるの? 僕はあの作品のためを思って、ああした。それだけだよ」

 その方が美しくなる、そう思ったから、そうした。普段から言っている通りだ。いつだか意味を失くし、捨てたはずの持論も、きっとこの理屈を肯定するだろう。芹野は訝しげな表情でこちらを凝視している。彼女は何もわかっていない。僕についても、あるいは、僕が考える芸術についても。

 昨年の秋だったか。偶然部室で会った穂波に、イラストのノウハウを教えたことがあった。絵の上達を望んでいたようだったので、付け焼き刃的ではあるが、様になる手法を教えてみせた。しかし彼はそれに反するように、文化祭の展示に下手くそな水彩の肖像画を提出した。今まで絵具なんて使って来なかったにも拘わらずだ。あの塔の絵は、どうやら恐れ多いとかの理由で描かなかったらしい。塔の絵を描いてくれ! などと、僕が懇願するのも違っただろうし、そもそも靴跡を付けた時点で僕にそんなことを言える筋合いはない。だからそれについては何も言わなかったし、聞かなかった。けれど、どこか気に入らなさが残ったので、その文化祭の後、僕は穂波に対して唯美主義についての講釈を垂れておいた。思想の押し付けめいたことが正しいどうかはともかく、そういう姿勢で絵と向き合う人もいるのだと言うことは、教えておいても構わなかったはずだ。

 作品と作者とは別である。だから作品に罪はなくても、作者にはきっと罪がある。あくまで作品を主体として、切り離して考えるべきと言うのが僕の主張だ。ただし、作家や美術家の研究者は、作り手の生涯を事実に基づいて研究して、そこから確からしい思想、また遺された作品の本質を見出そうとする。

 殊に、ポスト印象派の研究者にはその傾向が顕著である。ゴッホの作品を語る上では、彼の実弟でありパリで画商を営んでいたテオや、南仏アルルで短い共同生活を送ったゴーギャンなんかが、必ずと言って良いほど取り沙汰される。彼らとの関係や、悲劇的にも捉えられるゴッホ自身の人生は、現代ではゴッホの作品群を彩る神話めいたものと化している。それはある意味、ロマンティックな物語とも捉えられるのかもしれない。しかしながら、神話的な物語が大々的に語られるようになったのは、あくまで研究者の研究によって、事実に基づいた部分と、そうでない部分とが明らかになったからである。画家の人生に即する想像を可能とさせたのは、彼らの研究の賜物だ。その道程は、決して素人が軽んじるべきものではない。

 ただし、一つ思うのは、研究の道程とはあくまで副次的なものだということだ。研究者が、研究という仕事に至るまでの第一歩。初期衝動とでも言うべき自我を駆り立てる熱量。それは初め研究によらず、ただ純粋に作品と向き合って感じ入ったがゆえに沸き出でるものだと僕は思う。そして、その感動とでも言うべき熱情は正しく純粋芸術の根源なのだ。

 と、そういうことを穂波に言ったのだが、どうにも軽くあしらわれたような気がする。果たして、彼にそのような衝動はあったのだろうか? まぁ、脈絡もなしにあの塔を継承されるよりは、女性でもなんでもモチーフにして、水彩画でもなんでも出して貰った方が増しと言うものだろう。いや、やはり気に入らなさは残るが。

 ともあれ、これで塔の絵が受け継がれて行くようなことはなくなった。あの絵に意味付けられたはずの何かは、僕の中で終始し、なかったことになる。覆水盆に返らず。消費の末に見えなくなって、そこにあったはずの何かは露と消える。例えそれが、失くしてはならない鍵のようなものだったとしても。

「でも、どうせ苅谷はあのときヤケクソになってて、だから気取った手法を採ったんでしょ」

 思考に耽る僕に、芹野が水を差した。だから、この女は、何を根拠にものを言っているのだ。いや、もういい。あのとき自暴自棄だったことは認める。認めるとして、じゃあどうしてそうなっていたのかを、おまえはわかるとでも言うのか? いいや、わかるまい。僕の痛みは僕にしかわからない。そんなこともわからないやつに、僕をわかった気になど、なって欲しくない。

「まあ、でも、気持ちはわかるっすよ。だって、俺も推しが燃えたら辛いもん……」

 ぎょっとする。かなり核心に近いところを突いた一言が出て、僕は背筋が冷たくなった。穂波はときに、鋭いことを言い出す。僕は彼を取るに足らないと思いながらも、密かに尊敬もしていて、同時に少しだけ畏怖してもいる。共感力だけで距離を縮めて来られるのは、どこか悍ましい。

「どんだけ好きなの、てか、良くセンパイの前でそういうこと言えるよね」

 呆れた様子で芹野は言う。山吹はそれに対して、まぁ推しは推しだしな、と苦笑した。僕は何も知らない振りでいる。……安いハイボールは、美味しくない。

 僕が末那他アカネのリスナーであること、と言うか、ファンであると言うことは、芹野にも穂波にもとっくにバレていた。経緯は思い出せないが、僕がアカネのファンアートを頻繁に投稿していることを知られてしまっている。この一年、フリーのイラストレーターとして活動していたことも知られてしまっている。それで、多少は仕事をこなしてきたと言うことも。油彩でVTuberのイラストを描く、と言うのは前例がなかったわけではないが、油彩は過程が大変なだけに、定着化はなされていなかった。ときたま、ファンアートとしてSNS上にアップされた絵画風のイラストをVTuberがサムネイルに使用すると言う例は今までにもあった。しかしそう言った絵は、コンテンツへ恒常的に供給されるわけではなかったし、絵画風のイラストがグッズ化されると言うような例も少なかった。つまり、殆ど商業化はされていなかった。僕のイラストだって、それを成せる域にまでは未だ達していない。何より歴が浅いのだ。そこまでとんとん拍子にことは運ばない。……しかしながら、どうしてかこの春からフリーランスとしてアカネの所属事務所と契約し、VTuber関連のイラスト制作に携わることができている。フリーランスなんてのは体の良い建前に過ぎず、実際はイラストを作成してデータを送るだけの日々だ。雇用契約すらそこにはないし、リモートワークゆえにVTuberの中の人と邂逅するようなことは起きない。しかしまあ、どうやらそれで、来月から一定の収益を得ることができるらしい。運良く企業のお偉いさんの目にでも留まったのだろう。契約時の事務所との話では、上手く行けばVTuberのアバターの制作にも携われるとのことだった。ちょっと夢のような話だ。

 だが、僕は未だ漕ぎ出したばかりの船のようなものである。これが無人島に漂流してゆくだけのなのか、海底二万里を往くノーチラス号なのかは、未だ誰も知りえない。潜水なんてちっともできないのかもしれないし、逆に、実は翼すら携えた飛行船なのかもしれない。そんな空想をするのは、まあ、若さを盾にして浮かれているからなのだろう。日雇いを受けなければ貯金することもままならないし、やっていることはフリーターとさして変わらないと言うのに。

 能書きは良い。どうあれ僕の活動は周囲にバレているし、あのアカネの炎上があったからイラストレーターになったことも、皆には大方察しが付いているのだろう。あの塔の絵を皮切りに、商業向け以外の油彩画を描かなくなったことも。けれども後者は、今の活動とはまた別の理由によってだ。

「勘違いしてるみたいだけどね、僕があれから塔の絵を描かなくなったのは、別に、アカネの炎上があったからじゃないよ」

 僕がそう言うと、ちょうどレジャーシートの上に一片の花弁が落ちるのを見た。そうだ。僕はアカネの女性的な面に拘泥しているとか、別にそう言うことはないのだ。少なくともこの意識の上では。彼女の美しさは、偶像的なものでありながら、次元さえも超越した距離のあるもので、この手が届く場所にはないから。無意識の層の、入れ子構造を成す関係の、とても近くて、とても遠い位置に、僕らは所を得ているから。いくつかの体験を経てようやくそのことを理解したから。

「じゃあおまえ、なんでイラストレーターなんてやってんの? 絵画じゃ食べて行けないから?」

 やけに挑発してくる。あまりにも安い挑発が過ぎて、発言の意図への興味よりも先に、芹野への呆れがやってくる。絵画じゃ食って行けないから? そんなの当たり前だ。けれどそのことは、僕が塔の絵を描かなくなった理由とは全く異なる。浅はかな質問はやめて欲しい。

「そうだよ、イラストレーターをやってるのはね。……けど、塔の絵を描くのをやめた理由は、別にある。もう、描かなくて良くなったんだよ」

 芹野と真正面に向き合い、そう言うと、彼女は辟易するような表情になる。

「何を得意気に言ってるの……意味不明なんだけど」

 そうかもしれない。しかし、嚙み砕いて説明するのは困難だ。だからまあ、嚙み砕かずに、考えていることをつらつらと、そのまま言語化してやることにした。伝わらないのならそれでいい。理解しないのならそれでいい。思ったことをそのまま言ってやる。

「僕はもう囚われなくて良くなった。だからあの塔も、肖像も、いらなくなった。商業のために、自分の技量やアイデアを切り売りするようになった。ほら、この社会は資本主義下にあるだろ。自分の貯金にもならない絵は無価値だって言うことに気付いたんだよ。そんなものに囚われて、甘えていたらさ、もう腐るしかなくなるじゃないか。つまり僕は、学生気分ってのを早い段階から捨ててるってわけ。そりゃあ得意気にもなるよな、僕は人格を自立させているんだから」

 ものすごい詭弁だった。我ながら良くこんな言葉が出るな、と思う。だが、欺瞞だらけの理論の中に、微量の真実を織り交ぜてもいる。多量の嘘の中に僅かな本音を隠す手法は、きちんと人を騙すのだと言うことを、最近になって修得した。

「……あのさ、そういうの冗談でもどうかと思うよ」

 芹野は心配するような表情をした。

「……流石に、いくらなんでも捻くれ過ぎてると思う」

 山吹は苦笑を絶やさない。

「……格好良いっすね、なんかダークヒーロ―って感じ」

 穂波は関心なさげにそう言った。

 きっと、誰一人として騙せていない。おかしいな、と思う。自分が恥ずかしくなる。今、僕は赤面しているのかもしれない。酒のせいで誤魔化せるか? そんな風に考え、僕は新たにハイボールの缶を開けた。

 フリーランスの仕事は自由で良い。山吹や芹野は、明日は仕事だからと、今日はほどほどに楽しんでいるようだ。僕だって仕事が、依頼されたイラストが数点はある。だが、今日明日はやらなくても良いだろう。もっとも、僕の仕事は何もかもを先延ばしにすると、本当に何もかもを擲つような崖っぷちに立たされかねないのだけれど。

「これでも前よりはマシになったのかもね」

 そんな声が、風に乗って聞こえる。低く、落ち着いた声音だった。出所がわからなくて、僕は声がした方向を見遣るが、誰とも目が合わなかった。山吹は缶ビールに口を付けていて、芹野は頭上の花を見ていた。穂波は「ちょっとトイレ行ってきます」と言って、今まさに立ち上がるところだ。僕らはそれを見送る。僕ら以外にも、辺りには花見の客が大勢いて、皆がやがやと盛り上がっている。何よりだ、と思う。

「まぁ……あたしのおかげかな? カウンセリングしたからね」

 なんてことを言うんだ、と僕は内心で叫んだ。患者情報の守秘義務は? この人がカウンセラーになっていなくて良かったと、心から思う。企業の人事をやっているようであるが、それも大丈夫なのだろうか。これは僕の主観による、少し失礼な推察だけれど、山吹には人でなしの側面があると思う。

「なんですかそれ、ちょっと怖いんですけど」

 芹野すら、山吹の言動に少し引いている。普通はそういう反応をするよな。僕はその「怖い」が、僕の抱えていた病に対してではなく、山吹の言動そのものについてであることを切に祈る。

「知りたい? うーん、でも沙紀ちゃんには教えられないかな!」

 そう濁す山吹に、芹野はむくれたような表情をした。酷く珍しいものを見たな、と思う。芹野の髪はあれからまた伸びたようで、今は後ろで結わいている。社会人らしいと感心する反面、そのことを少しだけ寂しくも思う。だってそうだ。あのインナーカラーも、肩の上まで切られた髪も、僕の記憶には美しく残っている。それを保存したいだなんて思わないけれど、それでも、なかったことにはしたくない。

 全てはなかったことにはならない。どこかで誰かが言ったその言葉を、僕は悲観的なニュアンスで捉えてはいない。覆水盆に返らずとは言うが、返らないから次を考えられることもあるのではなかろうか。溢れてしまった水を元には戻せなくても、元あった姿を懐かしみ、いずれまた復元し、具現化することはできる。その慣用句は捉え方次第で希望的にも思える。こう言った考えは楽観的だと一蹴されかねないのだろうけれど、過ぎたことを悔いて何もせずに、ただペシミスティックでいるよりは悪くないだろう。どうあれ、僕はそう思う。

「けど、これは言っても良いか。あたしはさ、結局のところ、君たちに先輩風を吹かそうと思っただけなんだよ。大学を卒業しちゃえば、サークルのことなんて過去の記憶になる。たまに顔を出して、数年は関わりを残せたとしても、その数年から先は結局白紙だ。無理に関わろうとしたら面倒臭いヤツだと思われるだろうし、そもそも画家として成功してでもいないと、大学の美術サークルにわざわざ顔を出す理由自体がない。仮に画家や画商になれたとしても、後輩を想って色々とサポートできるような先輩になれるのかは別だし。なんと言うか、あたしは能力以前に、きっと性格上、そうはなれないからね」

 芹野は黙って聞いていた。僕があの絵を描く以前に山吹と話していたことは、既に知っているのだろう。僕も同じく黙って聞く。今の山吹の話は、きっと、僕ら二人に向けられた言葉だ。

「塔の絵だって同じことで、あれがサークル内で受け継がれて欲しいだなんて、別に思いはしなかったよ。せいぜい純粋芸術の精神は失われなければ良いと思ったぐらいかな。だから、ああして君たちに消費して貰ったのは……消費と言うのは言い方が悪いな。君たちに使って貰ったのはね、あたしとしては、まぁ、嬉しかったんだよ。事実、あの頃のあたしたちは、どこかで同じような目的に向かっていたと思うし。ただ、最後の最後に、まるで踏み絵みたいなものを出されたのは、ほんの少しだけ癪だけどね」

 やはり根に持たれたか、と、少しの後悔が滲む。けれど、山吹のあの絵への解釈には、おそらく本来的な意図との齟齬がある。彼女はサークルの内部にいて、しかも塔の絵に関係していた、謂わば当事者である。それゆえに、話だけ聞いて、僕の絵を退廃的なニュアンスで捉えたのだろう。もっとも、踏み絵みたいと言うのは率直な感想だし、それ自体は間違いではない。と言うか、作者の分際で受け手の感想を間違いと断ずることはできない。ただ——、芹野があの塔の絵を展示したのは、きっと、靴跡の付いた塔と比較させて台無しにするようなニュアンスのためではなかったのだと思う。寧ろ逆のはずで、そこには動機があるはずなのだ。この仮定が僕の自意識そのものだとしたら。自意識そのものだとしても。やはり、僕は知りたいと思う。

「なぁ、芹野。あの絵を展示したのって」

 伏せていた目を引き上げるようにして、視点を正面に移す。けれども案の定と言うべきか、芹野は知らん振りと言った体でいた。半ば無視されてしまった僕は、話題を追求するのをやめて、もごもごと口ごもる。

 僕が卒業した大学では、新勧イベントの展示が催されるのは七日間と決められていて、少なくとも僕の在学中にそのルールが動くようなことはなかった。昨年の場合は、四月初週の土曜に展示が開始され、翌週の土曜に終了した。展示場所はキャンパス内にある講堂の入口のスペースになっていて、フロアの一角を貸し切る形で行われる。限定されたスペースだし、展示に出される作品や課外活動の成果物は、例年そう多くない。出展するのは文化系のサークルや同好会が主で、それらの団体の中でも、出展するのはおよそ半数程度に絞られるのだ。毎年、展示物の数はざっくり二十点程度で、大きく上振れることも、下振れることもない。それでも限られたスペースで行われるためか、一応は、観覧するための順路が設けられていた。

 昨年、美術サークルの展示物が並んだのは、順路の最後、つまりは出口からすぐの場所だった。常駐の警備員がいて順路を守らせているわけでもなく、そもそも順路を強制させるような構造ではなかったから、案内書きを無視すれば逆回りすることもできるようにはなっていた。それでも設定された経路を守るなら、美術サークルの展示の並び順は入口側から、合同冊子、靴跡の付いた塔の絵、羽の舞う塔の絵、となっていた。合同冊子は前年の文化祭で出したものを置いているだけなので、新規のものは、僕の描いた油彩画二点のみだ。そして、額縁の下の表題を見ると、入口側から「ポストラプンツェル」、「ポストレプリカント」の順に銘打たれていた。なんと言うか、振り返れば現代アートめいたやり口に思えてくる。

 展示する前、芹野がわざわざ僕に意見して、表題を入れ替えることを勧めたのだ。僕は頷かざるをえなかった。それが正しい気がして、否定する気さえも起きなかった。まるで初めからそうだったみたいに、意味がかちんと嵌っている、と思えた。それぞれの題を名付けたのは、一応は僕と言うことになるのだろうが、展示に際しては実質的に彼女が名付けたとすら言える。そもそも羽の舞う塔の絵を展示したこと自体、まるで表題を入れ替えることを、塔の絵のこそを目的としていたかのような——。そう考えるのは、論理が飛躍し過ぎだろうか。

 芹野が答えない以上、僕には知る術がない。けれど、知る術がないなりに言えることはある。

「……まぁ、皆には感謝してますよ」

 ぼそりと、そう呟く。こういうことを、あまり人前では言いたくなかったが、後輩がいない今なら未だ増しと言うものだ。穂波は一応同い年だから、元よりそこまで後輩感はないのだけれど。

 僕の発言に驚いたのか、山吹と芹野が殆ど同時に僕の方を振り向いた。珍しいものでも見るような目をしていた。実際、僕にしては珍しい言動をしたのだろう。あまり深掘りされないことを祈る。

 僕が破壊めいた表現をして、芹野は、破壊の奥に眠るものを復元させた。そのことを確かめてしまって、仮に誰かに感謝でもされたらたまったものじゃない。だから、先に感謝しておきたかっただけなのだ。

 頭上の花へと目を遣ると、花弁を枝ごと春風が揺らしているところだった。気候はやけに陽気で、時間の流れを感じさせない。実際には、こうしている間にも、刻一刻と過ぎているのだろうに。

「ま、私のおかげかな」

 芹野の言葉が、僕を射止める。また勝ち誇るような顔をされているのだろう、と、視線を下に遣ると、芹野はしかし、穏やかな表情をしていた。それはまるで、春風や薫風の向こうにある、新たな季節と一体化したかのような表情であった。限りある時間の沈黙の中に、小さな温かさが内在していた。清廉で高潔でありながら、永遠にも思える温かさだった。彼女は「そうでしょう?」と付け加えると、目を細めて、微笑んだ。

「そうかもね。……まぁあれだよ。僕はもう、傍観を辞めたんだ」

 今更になって酒が回って来たのか、そんなことが口を衝く。傍観、そんな言葉で何が伝わると言うのだろう。それこそ僕のしていた拘泥で、頭の中に置いてきた言葉で、誰かに伝えるべきものでも、伝わるものでもない。

「それだよ」

 山吹が僕を見て、そう言う。真っすぐな目だった。どうしてそんな真剣な顔をするのか、わからなくて、僕はきちんとその言葉を聞いてしまう。

「傍観も俯瞰も、実のところ変わらないじゃないか。見たものを美しく思って、君が動けるのなら、それ以上の意味なんていらないんだよ」

 僕は頭を打たれるような衝撃を受けた。変わらない? そうか。なら——、酷い勘違いをしていたのかもしれない。意識、無意識。傍観、俯瞰。レプリカ、オリジナル。それら全てを包括するもの。それはきっと、論理によって体系化しうる何かではない。きっと語りうるものではない。あの絵にも言えることだ。表現とか具現とか、そんな区別なんて必要としない。信奉すべき芸術というのはつまり、この、心の動きそのものだ。

 程なくして、穂波が帰ってくる。穏やかな花見の時間を送る僕らに、「なんの話してたんすか?」と彼は言う。僕らは揃って、「何も」と返した。特に何も、大した話はしなかった。

 昭和記念公園の桜は、季節を刻むように散ってゆく。時間は川の流れではなく、ただそこにあるだけの粒子なのだと、そんな理論も置き去りにして。打ち解けて散る春風の中にいる。僕らは生命や時間と呼応して、確かに今を生きていた。

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