アレジスの玉座

紫野レイ

1章 ユタの目覚め

1.覚悟の始まり

霧の向こうに隠された、遥かなる北の大地。

イオーム王国は今日も平和だ。


市場は売り子たちの呼び込む声が飛び交い、広場では好きな楽器を持ち寄って合奏が始まる。

人々の記憶にある限りでは大きな反乱も飢餓もなく、民は代わり映えのない日常を謳歌していた。




それはここ、ハミル村でも同じだった。

色とりどりの花が咲き誇り、蜜蜂が飛び交う桃源郷とうげんきょうのような景色が広がっているここは、養蜂で有名な村だ。


のどかな時間が流れる、辺境の日々。

今日も学舎で勉強を終えた子供たちが、ささやかな冒険の計画について議論していた。


「俺は今日こそあの洞窟を探検するんだ!」


「だめだよ。ユタ。アレを目指すのは村の禁忌だ。」


「でも、あそこに入っていく人を見たんだ。絶対あそこにお宝を隠してるんだよ。」


「ユタ。トーリの言うことを聞いたほうがいい。」


「ハティのケチ。いっつも味方してくれるのに。なんで一緒に来てくれないんだよ。」


 ユタ、と呼ばれた少年は丸い頬をさらに膨らませてプイッとそっぽを向いてしまった。


「ユタ。トーリの言う通りだよ……

つい最近誘拐されかけたんだから。危ない事はしないで。ね、お願い。」


この少女―リズが話すのは数日前、村で起きた大事件のことだ。

いつものように家で眠っていたユタが人攫いに連れ去られた。村の男衆で構成された自警団の一人が偶然通りかかり、幸運にもユタは助かったのだが。


「本当に何もなかったんだよな。何かされてないよな。」


年上でしっかり者のトーリは未だにユタを子供扱いして心配している。


《ユタくん、オレのこと話しちゃだめだよ》

「だから何もなかったって言ってるじゃん。本当に黒いローブを着たやつらに誘拐されかけただけだって。」



ユタにもトーリが心配する気持ちはよく分かっていた。だから知ってる限りのことはもう既に全て話したのだ。


―あの日から“サン”と名乗る謎の声が聞こえること以外は。



誘拐された時、ユタは人攫いに何かを注射されて意識を失った。サンの声が聞こえ始めたのは、その後だった。

神秘的な荘厳さでリンと響くこの声には思わず従ってしまうような魅力があった。

だから一番信用できる大切な仲間たちにもサンの声の事は話していなかった。

 

  

「とにかく、あの洞窟には行くな。今ここで約束してくれなければ父さ―先生に言いつけるぞ。」


ユタはトーリの父である先生の怖い顔を思い浮かべて思わず身震いした。


「分かった。洞窟には行かないよ。……だから先生には言うなよ。じゃあ父さんの手伝いがあるから。また明日。」

 

ユタはひらひらと手を振って、分かれ道を3人とは別の方向へと歩いていった。後の3人は心配そうに顔を見合わせて、ユタの背中を見送った。




《君、どうせ約束を破るつもりでしょ?嘘をついてる匂いがするもん》

3人と別れるや否や、サンがユタに語りかけた。


「当たり前だろ。―オレだってあいつらには心配かけたくない。

でも見てみたいんだ。あそこに何があるのか。」


《あの洞窟はどうもいやーな感じがする。

ユタくんが死んじゃうと、体を借りてるだけのボクも消えちゃうし。

ボクとしても危険なことは見過ごせないよ。》


「サンまで止めるのかよ。

あぁ、こんな田舎の村じゃ退屈だな。何か面白いことでも起きないかな。」


その瞬間、ユタの願いが通じてしまったのか―



ドォォン。

空気、大木、乾いた地面。世界すべてを揺らす轟音が辺りに響いた。


「きた、事件だ!」

ユタは音の原因を探すためキョロキョロとしていた。

だが、妙な胸騒ぎがしていた。嫌なことが起こる前の前兆のように、冷たい風がユタの頬を撫でた。


《ユタくん。浮かれている場合じゃない。

今の音、恐らくあっちの方角からだ。―リズちゃんたちがいる方。邪悪な気配が3人に近づいてる。》


突然、いつもは飄々ひょうひょうとしたサンが真剣なトーンで話し始めた。

 

「は?何言って……」


《悠長に話している場合じゃない。とにかく向かって。ユタくんも仲間が死ぬのは嫌でしょ?》


ユタは仲間たちの顔を一人ずつ思い浮かべる。

しっかり者の頼れるトーリ、優しくて大好きなリズ、賢くてちょっと不思議なハティ。


ユタの体は覚悟を決める前に動いていた。

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