過去(2)

 曽慶家が経営を一時的に担っていた頃、亡き父の背中を追った二人の子供たちがいた。

 帝次の息子である正次せいじと、長治の息子の正嗣まさつぐである。帝次が子をもうけたのが遅かったために二人は同い年だった。

 父らが亡くなった時彼らはまだ五歳であった。

 会議中に起きた暴力事件の直後、二人はすぐに引き離されて別々の屋敷で過ごした。正次は山の麓の大きな屋敷で、正嗣は森の奥深くにある武芸の練習場で。

 そして二十歳になって成人の儀を済ますとそれぞれ「元山」「矢口」の姓を名乗って元木田家から独立した。

 正次が元木田邸に入り、正嗣は山の反対側にある湧水付近に矢口邸を建てて葉巻の工場も併設した。

 二十三歳のときそれぞれ会社を継いで本格的な経営者となった両者は激しく対立し、その対立は熾烈な事業拡大競争に繋がっていった。

 正次は先代が潰した養蚕に再び手を付けた。今度は赤字を出さないように徹底した管理の下、安定的な供給を実現した結果大成功を収めて利益を増やした。

 元木田邸改め元山邸は絢爛豪華を極めていき、宴会場として大きな広間も作って、多くの人々を集め連日連夜の宴会が開かれた。

 三十歳を迎えた正次は村議会議員に立候補、トップ当選を果たした。村民たちは皆、正次を一国一城の当主ともてはやした。早くも村長の座を勧める者すら居たという。正次率いる企業グループは、県内で「元木田財閥」と呼ばれるまでに成長した。

 一方の正嗣であるが、煙草の生産で安定した利益を出し続けていたものの、事業拡大には失敗。借金ゆえに、粛々とした生活を余儀なくされていた。

 そのうちに大正が過ぎ去り、第一次大戦と第二次大戦までもが過ぎ去った。この間、特に何もなかった。それぞれの家が関わりを避け、諍いを生まぬよう努めていたからである。

 しかし、戦後になって正嗣の言動に不審な点が見られるようになった。異常なほど動物を恐れたり、幻覚を見るようになったりしたのである。工場に毎日のように顔を出していたのがめっきりなくなり、座敷の奥に閉じこもるようになった。

 社長がそのようになって会社が回るわけもなく、半ば強引な形で長男が家督を継いだ。当時二一歳だった矢口正治まさはる、今日鬼籍に入った、私の祖父である。

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