第15話:魂の奪還

 教会での惨劇を目の当たりにしたイグニスさんは、あの日以来、別人のように口数が減っていた。 怒りに任せて叫ぶことも、悲しみに暮れて泣くこともない。 ただ、胸のポケットに入れたカザニアのリボンを、時折、無意識に確かめるように触れるだけ。 その瞳は、深くて暗い、虚無の海を漂っているようだった。


 俺たちは、教会に残された痕跡を頼りに、村人たちを連れ去った集団を追跡していた。 先頭を行くのは俺とゼフィルさん。イグニスさんは、最後尾で黙々と歩を進めている。


「……足跡は複数。オークの雑な足跡に混じって、規格の統一されたブーツの跡がある」


 俺は地面の痕跡を読み取った。


「車輪の跡も深いです。かなりの重量物を運んでいるか、あるいは……大量の人間を詰め込んでいるか」


「魔術的な隠蔽工作も雑だな」


 ゼフィルさんが、木の幹に残された焦げ跡を指でなぞる。


「『認識阻害』の結界を張った形跡があるが、術式が荒い。……いや、違うな。我々のような追手が来ることなど想定していない、あるいは『気づかれたところで問題ない』という傲慢さか」


 敵の底知れない自信と、命をモノとして扱う冷徹さ。 背筋が寒くなるのを感じながら、俺たちは森の奥へと進んだ。


 数時間後、森の中の少し開けた場所で、敵が野営したと思われる痕跡を発見した。 焚き火の跡は魔法で消火されているが、周囲にはゴミが散乱している。


「……酷いもんだ」


 俺は足元に落ちていた、食料の包み紙や、壊れた木箱の残骸を見た。 まるで、使い捨てた道具を捨てるような無造作さだ。


 そのゴミの山の中に、不自然に焼け焦げた羊皮紙の束が捨てられているのを、ゼフィルさんが見つけた。


「アレン、これを見ろ」


 ゼフィルさんが拾い上げたのは、半分ほど炭化した数枚のメモ書きだった。 そこには、複雑な幾何学模様と、夜空の星の位置を示すような計算式が殴り書きされていた。


「……魔法陣の、設計図ですか?」


「ああ。それも、ただの魔法陣ではない」


 ゼフィルさんの目が、片眼鏡の奥で鋭く細められる。


「空間座標の計算式だ。……間違いない。これは、古代文明の遺産である『転移門(ゲート)』を強制起動させるための、起動シークエンスのメモだ」


「転移門……!?」


「だが、この計算式には致命的な欠陥がある」


 ゼフィルさんは、メモの隅に書かれた『エネルギー不足』という走り書きを指差した。


「空間を繋ぐには、莫大な魔力が必要だ。自然界のマナだけでは到底足りない。……奴らは、その『不足分』を何で補うつもりだ?」


 俺とゼフィルさんは顔を見合わせ、そして同時に、教会で見た光景――山積みにされたオークの死体と、消えた村人たち――を思い出した。


「……まさか」


 俺の声が震える。


「オークじゃダメだった。出力不足だった、あるいは『質』が悪すぎた。だから……」


「……より高純度で、効率的な燃料(・・)が必要になった」


 ゼフィルさんが、吐き捨てるように言った。


「人間の、魂だ」


 その残酷な結論が、重い沈黙となってその場を支配した。 奴らにとって、イグニスさんの家族や友人は、ただの「電池」でしかないのだ。


「……そうかよ」


 背後から、乾いた声がした。 イグニスさんが、虚ろな目で俺たちを見ていた。


「あいつらは、親父や、お袋や、村のみんなを……薪みたいに燃やして、どっかへ消えるつもりか」


 彼の手が、大剣の柄に置かれる。だが、その手には力が入っていない。


「……間に合うのかよ。もう、手遅れなんじゃねえのか」


 彼の心が、折れかけている。 「燃料」という言葉の絶望感が、彼の戦意を削ぎ落としていた。


 このままじゃダメだ。 俺は、司令塔として、感情ではなく「論理」で、彼を絶望の淵から引き戻さなければならない。


 俺は、イグニスさんの前に歩み寄った。


「イグニスさん。……むしろ、逆です」


「あ?」


「奴らの目的が『魂』なら、そしてそれを『転移』のエネルギー源にするなら……村の人たちは、まだ生きています」


 俺は、努めて冷静に、事実を並べた。


「魂をエネルギーに変換するには、鮮度が重要です。死んで時間が経った魂は霧散してしまう。オークはその場で殺して処分しましたが、村人たちは連れて行かれた。それはつまり……」


 俺は、イグニスさんの目を真っ直ぐに見つめた。


「彼らは、儀式を行う『祭壇』まで、生きたまま運ばれなければならない『生体部品』だということです」


「……部品……」


「言い方は悪いです。でも、だからこそ希望がある。奴らは、目的地に着いて、儀式の準備が整うまでは、村人たちを『大切に』扱わざるを得ないんです」


 俺の言葉に、ゼフィルさんも頷いた。


「合理的だ。転移門ほどの代物、起動準備には数日はかかる。さらに、これだけの規模の魔力リソース(村人)を一度に消費すれば、必ず予兆が出る。……まだ、空は光っていない」


 ゼフィルさんは西の空――ヴァルム山脈の方角を指差した。 そこには、不穏な雲がかかっているものの、まだ決定的な異変は起きていない。


「……まだ、生きてる」


 イグニスさんが、呟く。 その瞳に、わずかながら光が戻ってくる。


「はい。まだ、間に合います」


 俺は、ダメ押しの一言を告げた。


「これは、弔い合戦じゃありません。救出作戦です」


「……救出……」


 イグニスさんは、胸元のリボンを強く握りしめた。 復讐のために剣を振るうのではない。 守れなかった過去を嘆くのでもない。 今、そこにいる命を、理不尽なシステムから奪い返すために。


「……そうだな。アレン、お前の言う通りだ」


 イグニスさんが、大きく息を吐き出した。 その顔からは、憑き物が落ちたように、虚無の色が消えていた。


「俺はもう、過去の亡霊のために戦うんじゃねえ」


 彼は、大剣を地面に突き立て、俺たちを見た。 その瞳には、かつての豪快さと、それ以上の静かな決意が宿っていた。


「これは、復讐じゃねえ。『奪還』だ。あいつらに部品扱いされた、親父や、お袋……村のみんなの魂を、この手で、必ず取り戻す」


「はい!」


 リリアさんが、涙を拭って力強く頷く。


「フン……。魂を燃料にするなど、美学のない連中だ。私の魔術で、そのふざけた計算式を書き換えてやろう」


 ゼフィルさんも、不敵に笑う。


「行きましょう。目的地は、西の山脈……『ヴァルム遺跡』です」


 俺たちは、野営地を後にした。 足取りは速い。絶望は、もうない。 俺たちの胸にあるのは、明確な「敵」への怒りと、絶対に仲間を取り戻すという「意志」だけだった。

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