タダ働き 0円+食事



 掴んだ分だけ歪む布とワタ。ユミネの関心ではなかったが、僕の中には並べ方のルールが有る。大小以外にも大事な点だ。シリーズ・2/3干支はもちろん左から子丑寅卯…と始めるべきだ。

「なあユミネ。どうしたら申以降を買う気になる?」

 2/3干支、子から始まって未までのぬいぐるみたち。僕はこのシリーズを並べるとき、いつも同じ苦痛を感じる。しかしユミネは僕の言葉なんて聞こえていないようで、蹴りも拳も飛んで来なかった。しかたない。今日のところは諦めよう。僕は指先に神経を集中させ、慎重に棚に並べた。

 ユミネの家は管理が行き届いてる。シンプルだが品のいい揃いの家具。寝そべることさえできそうな調理台。大きいのに静かな冷蔵庫。愛されたペットのような環境。僕はこの冷蔵庫が大好きだった。お宝の山だから。

「はい、お水」

 しかめっ面をしてリビングでパソコンに向き合うユミネにペットボトルを渡す。不機嫌な瞳は、差し出したのとは異なる手に向けられている。

「食べたかった?グリンピースが乗ってるけど…」

「キモい」

 一言。その一言を言うと、また自分の世界へ帰っていったユミネ。僕は気にしない。タッパーを開けると、確かに腐ってるような、怪しい香りがした。だが、問題はないだろう。

「いやあ、美味しい」

 僕は引き際というものをわきまえている。どこまでがセーフで、どこからがアウトか。



 パソコンのキーを叩く音と、シャープペンシルが紙を滑る音。僕はルーズリーフとpcを広げて自分の作業に熱中していた。ふいにユミネがやってきて、僕を見下ろす。

「何やってるの」

「えっ、いや、書いておこうと思って…。別に深い意味はないけど」

 僕はシャープペンシルで、キャンプ場の女を書いていた。意味はないというのは言い訳だ。僕の成し遂げた仕事の記録をしたかったのだ。ユミネはどの言葉に反応したのか顔を歪めると何処かへ行った。トイレだろうか。僕は作業に戻る。僕が綺麗にした髪と服。返してはもらえなかった靴。踏みしめた土の温度を思い出すと寒気がする。ユミネが戻ってきた気配がし、僕は顔を上げようとした。

「いっ――――たああ!!」

 顔面が痛い。思ったより近くまで来ていたユミネは何かを振りかぶったかと思うと、僕の顔面に叩きつけたのだ。痛みがおとずれる前の刹那に感じたひんやりとした金属質。面でくる痛みから板状のものだろう。音をたててその板から、ポップコーンのように飛び出すものがあった。

 目を瞬きさせると、僕は少し泣いていた。ユミネは何事もなかったように、自分の座っていた椅子に戻る。「それ使って」。端的な指示だ。何か命令するならお金を出すべきじゃないか。

 見渡すと、ユミネが僕に叩きつけたものがわかった。色鉛筆だ。100本くらい入ってそうな板状のアルミケース。僕にぶつけた瞬間に中身が飛び散ったのだろう。謎は解けた。つまりあのタイミングでは顔をあげないほうが良かったのだ。手元の紙に向き合ったままでいたら、ケースがヒットしたのは硬い頭だったろうから。

 僕はまず今使う色鉛筆だけ集め、色をつける。ジャケットは緑だった気がする。髪は黒。僕は色鉛筆の黒と、シャープペンシルの黒がどれだけ違うのか感心した。色鉛筆、なかなかいいものだ。汚れは落としたので、黒い影はつけても茶色い汚れはなし。足の書き込みは微に入り細に入り。


 イラストはルーズリーフの左半分を埋める形だったので、もう右半分の余白が気になる。僕は右上に『北雛橋キャンプ場』と書いてみた。僕が他に知っていることはない。立ち上げて放置していたパソコンを開いてみる。

 もともと地元の人間相手に商売するこじんまりとしたキャンプ場だ。その名前を検索バーに打ち込んだ段階で、サジェストされたのは『北雛橋キャンプ場 事故』。このキャンプ場にとって最も注目を浴びた機会だったんだろう。

 ふたたびルーズリーフに向き合い、空白を埋める。ああくそ、テンラクってどう書くんだっけ。『転落事故 女性』、改行、『崖から落下』、改行、『頭部を強打したことによる即死』、改行、『ソロキャンプ』、改行、『キャンプ場の責任問題』…いやこれはいいか。

 一行書くごとに、空の一行を入れるほうが良かったかも知れない。なんとか紙面が満遍なく埋まらないだろうか。

「字が汚い」

 覗き込むユミネはそういうと、もう少し埋められないかと頭をひねる僕を無視して紙を取り上げた。どうやら返す気はないらしい。

「2000円でいいよ」

  僕は愛想よく笑った。思わぬ収入。

「食べたでしょ」

 ユミネはちらりとキッチンへ目を向けて吐き捨てるようにいった。返す言葉のない僕はあと1000円分くらいは貰おうと心に決めた。

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