33.見つけるから

 ガチャッと音を立てて開いたドアに、パソコンから顔を上げた陽葵が目を丸くする。

 チラリと時計と窓を確認する。

 日が落ちてまだ間もない時間。普段なら貴羅はまだ部屋から出てこない時間だった。


「おはよう、陽葵」

「おはよう、貴羅。珍しいね?」

「ホワイトデーだからね。なにか淹れたら飲む?」

「うん……」


 ホワイトデーと言われて、そういえば、と陽葵は今日の日付を思い出す。

 だけど、なにか約束をしていた記憶は、陽葵にはなかった。

 バソコンの画面を見つつ、約束を忘れているのか、それともこれはサプライズの部類なのか、と考える。


「はい、お待たせ」

「あ、ありがとう」


 パソコンの横にカップが置かれる。

 白いカップに注がれた柔らかな茶色に、あれ、と陽葵は首を傾げた。


「カフェラテ?」

「気分じゃなかったかしら」

「ううん、コーヒーが出てくると思ってたから。ありがとう、いただくね」

「どうぞ」


 カップを手に取り、口元まで運んで傾ける。

 口に含んだほのかな苦味と、それを包み込むようなミルクと砂糖の甘さに、あ、と陽葵は声を上げた。

 カップから貴羅に視線を移動させれば、細めた赤い目があった。

 思わず陽葵は表情を和らげる。


「初めて飲んだ、甘いカフェラテだ」

「再現できてた?」

「もちろん。あのときの美味しさそのまま」

「良かった」


 貴羅はホッと息を吐く。

 それを見て、陽葵も目を細める。


「このために早起きしてくれたの?」

「それもあるけれど、せっかくだしたくさんお話をしたいなって思って」

「そっか」

「話せそう?」


 貴羅がチラリとパソコンを見る。

 その視線に気がついた陽葵が、笑いながらパソコンを閉じた。


「ちょうどキリがいいところだったし、大丈夫だよ」

「良かった」


 コトンと音を立てて向かいにカップが置かれて、貴羅が腰かける。


「本当に懐かしい味がする」


 また一口しみじみと飲んで、陽葵はほうっと息を吐く。

 ふふふと笑って、貴羅が頬杖を突いた。

 おろしたままの髪がくしゃっと頬と手の間に挟まれる。


「何年ぶりかしらね、それを作ったの」

「他の人に作ったこと、ないの?」

「コーヒー苦手な人、うち、来たことないのよね」

「そうなんだ。……前の、バイト先のときって、いた?」

「……いなかった、わね、たぶん。少なくとも、言われたことはなかったかも」


 記憶をなぞるように、貴羅の視線が宙をなぞる。

 綺麗に手入れされた人差し指が、カップのふちを叩いた。


「じゃあ、私のときが初めてってこと?」

「そうね、誰かの好みに合わせて淹れたのは初めてだったかも」

「……そっか」


 小さく笑って、陽葵はまたカップに口をつける。

 貴羅の目尻にキュッとしわが寄った。


「嬉しそうね」

「まあ、悪い気はしないかも。今、みんな元気かな」

「どうでしょうねぇ……」


 湯気の登っていく方向を、二人はぼんやりと眺める。

 白い湯気が、窓の向こうの暗闇を背景にゆらゆらと揺れていた。

 暗闇に揺れる白。陽葵はひとつ、息を吐いた。


「……お通夜のときって、声、聞こえてた?」


 吸血鬼の吸血行為によって亡くなった人間の葬儀関係には、ハンターが裏から手を回す。そうしないと生きたまま火葬されてしまいかねないからだ。

 ただ、生前の関係者に疑われないように、ギリギリまで生身の体である必要がある。

 そこで、生きているとうっかりバレてしまわないように、上の息がかかった業者が、吸血鬼になってしまった人間に薬を打っていわゆる仮死状態にするのだ。

 死化粧を施された貴羅は、陽葵の記憶の中でも恐ろしいほど美しかった。


「聞こえてはいたわ、体は動かなかったけど」

「……そっか」


 陽葵は、喫茶店の他の店員と共にお通夜に参列した。

 店主がただただ静かに、すべての気持ちを飲み込んだような表情を浮かべていたのを、思い出した。


 あのあと、陽葵は一度も連絡を取り合っていない。

 ハンターとして必要だったから、ということもある。でもそれ以上に、貴羅が捨てざるを得なかったものを自分が持ち続けることが、陽葵には出来なかった。


「吸血鬼って、生前からの繋がりを、基本的にはすべて切らざるを得ないでしょ?」


 ポツリと、貴羅が言う。

 陽葵は貴羅のほうを向いた。


「本当だったら五年前、あたしはひとりぼっちになるところだった。一人で全部、心の整理をしていかなければならないところだった。だからね、陽葵。あなたがいてくれるだけで、心強かった。ありがとう」


 貴羅の柔らかな微笑みを見て、陽葵はゆっくりとまばたきをする。

 そして、首を横に振った。


「私だって、両親が亡くなったとき、貴羅がそばにいてくれたから、お互い様だよ」

「そうかしら」

「そうだよ」

「……そっか」


 駄目ね、と貴羅は呟くように息を吐いた。


「あたしね、あなたから時間を貰うのはこの五年だけって決めてたの」

「え」

「そのための覚悟も準備もしてきたつもりだった。……でも、近づいてきたら、もっと時間が欲しいし、あなたに覚えていて欲しいし、まだ一緒にいたいって気持ちが強くなっていくの。困らせてるわね、ここ最近」


 手を伸ばして、カップを握る貴羅の手に触れる。

 冷たいぬくもりにまだ手が届くことに、陽葵は小さく息を吐いた。


「……覚えてるよ、貴羅のこと。たぶん、忘れろって言われても忘れられない」

「そうねえ、覚えてるでしょうね、あなたも、あたしも」

「ねえ、やっぱり貴羅の味、覚えてたい。教えて欲しい」


 陽葵の言葉に、貴羅は首を横に振った。


「教えないわ。でもそうね、代わりに覚えておいて。味も、あたし自身のことも」

「……じゃあ、覚えてる。覚えた上で、見つける」

「見つける?」


 きょとんとした表情で首を傾げる貴羅に、陽葵はうなずく。


「とは言っても、私は貴羅ほどの知識も経験も、ひつような物だって揃えてないから、ほぼ一からだけれども。勉強して、試行錯誤して、それで見つける。それで、もしまた会うときが来たら、私の作り方見て、香りをかいで、答え合わせをして欲しい」


 しばらくどこか呆けたような表情で陽葵を見ていた貴羅は、ふっと笑うとうなずいた。


「そうね、もしまた会うことがあれば、ね」

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