30.灰の約束
ふわりと意識が昇っていくような感覚の後、陽葵は目を覚ます。
ぼんやりと宙を見つめていた三白眼が、暗さに慣れてきた頃、陽葵はゆっくりとまばたきをした。
自分が枕にしているのが、同居人の膝だと気がついたからだ。
そして音を立てないように、慎重に腹筋を使って起き上がる。
足を浮かせたまま、向きを変え、少しずつ少しずつ、浮かせた足を床に下ろしていく。
横を見れば、変わらず貴羅はすやすやと寝息を立てていた。
吸血された記憶はある。
手当をされた記憶がない。
そっと首元に触れれば、ガーゼのザラリとした感触。
どうやらまた、陽葵は途中で寝てしまったらしい。
起きたらきっと怒られるだろうな、と、陽葵は音を立てずに笑う。
かけてくれていた毛布を手に取って、立ち上がり、そっと貴羅の肩にかけて、また隣に座る。
膝に手を置いて、陽葵はじっと貴羅の寝顔を見つめた。
赤い瞳は、吸血鬼の象徴だ。
その瞳も、数時間前まで陽葵の首元を噛んでいた長い犬歯も、今は見えない。
たったそれだけなのに、陽葵はなんだかしょっぱいような、温かいような、そんな心地になっていた。
ふるりと長いまつ毛が揺れる。
ゆっくりとまぶたが開いて、赤い瞳が日の出よろしく現れた。
とろりとした瞳は、何度かまばたきを繰り返してから、陽葵を映した。
「起きた」
「……起こしてくれて良かったのに」
ふあ、と小さくあくびをする口に、ちらりと長い犬歯が見えて、陽葵は口角を上げて息を吐いた。
「寝顔があまりにも綺麗で」
「それはどうも」
「あと、毛布とか、色々ありがとう」
「どういたしまして。あなたはあと何度、寝落ちするんでしょうね」
ほらやっぱり。
予想通りのお小言が始まりそうで、心の中で陽葵は笑う。
「ごめん。でもそれこそ、起こしてくれてよかったのに」
「寝顔があまりにも綺麗で起こせなかったのよ」
「……ふっ」
二人そろって吹き出す。
ひとしきり笑ったところで、貴羅が時計を見た。つられて陽葵も顔を上げる。
「そろそろ日が昇るわね」
「だね、貴羅、部屋に戻らないと」
「ねえ、陽葵」
ざらりとした声に腕を掴まれた気がして、陽葵は横を見る。
いつの間にかこちらを見ていた刺すような赤に、垂れ目を大きく開いた。
「あたしが灰になったら、小瓶にでも詰められるだけ詰めて、そばに置いてくれるかしら?」
息がつまるような、切実な響きに、陽葵は目をそらすことも、小指を動かすことさえできない。
吸血鬼は陽葵が思っている以上に一途なのだと言った春陽の声が、頭の中で響く。
時計の針だけが動いて、徐々に日の出の時間までのカウントダウンを始めようとしている。
選択肢を、間違えてはいけないと思った。
でも、その選択肢が何択あるのかも、その中に正答があるのかも、陽葵にはわからなかった。
「……貴羅」
やっとの思いで名前を呼ぶ。
そして、乾いた唇を舐めてから、もう一度口を開いた。
「貴羅は、まだ、灰にならない。私が生きているうちは、絶対させない。だから、部屋、戻ろう?」
赤い瞳が揺れて、降りてきたまぶたに隠される。
眉間に刻まれたしわ、噛みしめられた唇、痙攣している口角。
涙が出ていないのが不思議な表情を前に、陽葵はどうしていいかわからず、ただただ、じっと青白い肌を眺める。
そうして数分が経った頃、赤い瞳が現れて、貴羅は眉を下げてほほ笑んだ。
「ごめんなさい、変なことを言って困らせたわね。部屋に戻るわ」
「うん、わかった。おやすみ」
「おやすみなさい」
貴羅は立ち上がった。
肩にかかっていた毛布をサッと畳みながら、部屋へと戻っていく。
「ねえ、貴羅」
その背中に、陽葵は呼びかけた。
くるり、振り向いた赤い瞳が、陽葵を見る。
「灰になったら私の棺桶に、一緒に入ろっか。長生きするつもりだし、長生きしてほしいから、いつになるかわからないし、貴羅の気持ちが、そのときまで変わっていなかったら、だけれども」
言って、元々垂れた目を更に下げて、陽葵は微笑む。
貴羅は目を見開いて、そしてギュッと顔を歪めてから、うつむいた。
数秒して顔を上げた貴羅は、ただ微笑んだ。
陽葵にはそれが、喜んでいるようにも、呆れているようにも、困っているようにも見えた。
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