28.それならば
「突然だけど、あたし、引っ越すわ。だから、お店も今月で閉めます」
今日から三月だね、なんて会話をしていたいつもの三人に、貴羅が告げる。
事前に知っていた春陽は、やはり表情は変わらない。
同じく事情を知っている陽葵は、それでもまぶたを伏せた。
そして、なにも知らされていなかった凛は、猫のような目をまん丸に見開いて、貴羅をじっと見ていた。
「……え、なんで突然」
「大人の事情かしらね」
前々から春陽越しにやり取りをしていた、引っ越し担当の吸血鬼ハンターの都合がつき、移動について具体的な日取りが決まったのが昨日だった。
五年に一度の、吸血鬼の引っ越し。
陽葵や春陽、そして本人である貴羅は、それこそ五年前から知っていたけれども、凛は寝耳に水もいいところだろう。
それでも、吸血鬼には五年に一度引っ越す必要があって、なんて話はできない。
必要以上のことを人間に伝えてしまえば、なにかしらの出来事に巻き込んでしまうかもしれないからだ。
「移転して、どこかで喫茶店をまた開く、とかですか?」
「どうかしらね、まだ悩んでいるわ」
「悩んでいるのなら、まだここにいればいいじゃないですか」
「そうね、まあ、そうなるわよね。……家の事情なのよ、ごめんなさいね。あまり詳しくは言えないわ」
「お家の……じゃあ、そう、ですよね。ごめんなさい」
「いいえ、大丈夫よ」
貴羅は眉を下げて小さく笑う。
家の事情、というのは嘘だ。でも、それが嘘だということに気づけるのは、陽葵と春陽だけだ。
苦しいだろうな、と、やり取りを見ていて陽葵は思う。
必要とは言え、可愛がっていた凛に嘘を吐かなければならないのだから。
凛が、陽葵のほうを見る。
「ということは、陽葵さんもどこか行っちゃうんですか?」
こちらにその話題が飛んでくるとは思わず、陽葵はまばたきをする。
「行かないよ。どうして?」
「行かないんですか」
「うん」
「……今、すごく複雑な気持ちです」
眉間にしわを寄せて、凛は口をへの字に曲げる。
「なんでよ」
「貴羅さんについて行ってほしい気持ちと、陽葵さんとは離れずにいられることに対する安堵とで、天秤が安定しない状態です」
「好かれてますね」
カウンター席から、テーブル席での二人のやり取りを見ていた春陽が、にこやかに言う。
「ありがたいことに」
「陽葵さんも、貴羅さんも、春陽さんも、皆大好きなので、離れたくないんですよー!」
凛は、頭を抱えて嘆いたかと思えば、そのままテーブルに突っ伏する。
器用にカップを避けて突っ伏した姿に、陽葵は笑ってしまった。
「……でも、決まったことなら、仕方ないですもんね」
くぐもった声でそう言って、パッと凛は顔を上げる。
潤んだ猫目が、貴羅を見た。
「貴羅さん、貸し切り予約ってできますか?」
「ええ、できるけど」
「よかったです、じゃあ、営業最終日、凛の名前で予約してください」
そして今度は、貴羅を含めた三人を見て、凛は微笑んだ。
「お別れ会、しましょう!」
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