第4話 初日、夜、居酒屋にて(前篇)

 ――会話を重ねる程、あなたのことをもっと知りたいと思うようになりました。



 第4話 初日、夜、居酒屋にて



「いやー、それにしてもあいかわらず営業部あいつらは勢いあるな。まさかいきなりマークにガンガン話しかけてくるとは」


 ビールのジョッキを片手に浦河うらかわが笑い声を上げる。

 アルコールが入ってすっかりご機嫌きげんな上司を、雪花せつかは恨みがましい眼差まなざしで射抜いた。


「課長、笑いごとじゃないですよ。部長が助けてくれなかったらどうなっていたことか」


 ――ここは、会社から少し離れた場所に位置する居酒屋だ。

 週のなかばである今日水曜日を定時退勤日に設定している会社も多いのか、店内は多くの客でにぎわっている。

 申し訳程度の半個室席で、総務課の実習生歓迎会はこぢんまりと開催されていた。


「悪ぃ悪ぃ。まぁでも出社初日にしちゃあ上出来じょうできだろ。マークももうPC使って他の部署にメール打ってたみたいだし、立ち上がり早いな」


 浦河がそう話を振ると、焼鳥を手に持ったマークがこくりとうなずいた。


「はい、セツカさんのお蔭で、無事に業務を始めることができました」

「へー、鈴木さすがじゃん」

「そんな大したことしてませんよ」


 テーブルの上には定番の居酒屋メニューが並べられている。

 雪花は近くを通りかかった店員を呼び止め、マーク用にフォークを持ってきてもらえるようお願いした。



 ***



 お昼休みに営業部の先輩たちとひと悶着もんちゃくあったものの、午後は大きな問題なくスムーズに進んでいった。

 浦河がマークに総務課の仕事について簡単に説明をしたあと、雪花がそれを引継ぎ、自分の担当する業務の中から幾つかの内容についてマークに説明した。

 そもそも生きてきた惑星自体が違うので、上手く言いたいことを伝えられるか雪花は不安でならなかったが、マークは真剣な表情で説明を聞いたあと、ゆっくりと頷いた。


「セツカさんが話している内容について、理解しました。まずはやってみます」

「お願いします。午前中にPCの設定は終わったのでもう使えますが、マークさんはPCを使ったことはありますか?」

「火星でも似たようなものは存在します。ただ、文字を打ち込む仕様ではないので、慣れるまでには少し時間がかかるかも知れません」

「え……文字を打ち込まないんですか?」

「はい。言いたいことを想像すればそれを自動で読み取って画面上に表示されるので、手で入力する必要がないのです」


 雪花は思わず「便利ですね」とつぶやく。

 地球にも音声認識や自動筆記の装置はあるが、「イメージするだけで言いたいことが入力される」までには至っていない。

 脳波を読み取りテキスト化するAIの開発についてこの前ニュースで報道されていたが、それでも頭に装置などを繋げる必要があり、誰もが日常的に使用するまでにはまだまだ時間を要するだろう。

 もしそんなことができれば、メールを打つ速度も格段に上がって、もっと仕事が効率化できるに違いない。

 その頃には、そもそもメールを打つ必要もなくなっているかも知れないが……。

 そしてマークはPCを前に作業を始めたが、すぐに眉をぴくりと歪める。


「――セツカさん、すみません」

「どうしました?」

「私の打ち方が悪いのか、妙な言語が表示されてしまいます」


 雪花が画面をのぞき込むと、確かに画面上には意味を成さない言語の羅列が表示されている。

 これはどうしたことか――マークも「妙な言語」と言うからには、火星語というわけでもないようだ。

 何が起こっているかよくわからず、雪花はしばらくディスプレイとにらめっこをしたが、解決の糸口は見えない。

 そこで、マークと会話しながら文字を入力してもらい、その事実に気付いた。


「マークさん、『かな入力』なんですね」


 そう――マークは『かな入力』をしていたのだった。

 キーボードに書かれたひらがなのキーを押して入力する方法だが、雪花は職場で『かな入力』の人を見たことがない。

 思い返せば、学生時代に地元の図書館で調べ物をしようとした時、同様の状況になって困ったことがあった。

 雪花の前の利用客が『ローマ字入力』から『かな入力』に切り替えたまま戻していなかったらしく、職員が直してくれたことを思い出す。


 『かな入力』に切り替えてマークに文章を打つよう促すと、きちんとした日本語が画面上に姿を現していく。

 マークは小さく口元を緩めた。


「セツカさん、ありがとうございます。直ったようです」

「よかったです。多くの日本人は『ローマ字入力』なので、気付きませんでした」

「そうですか……すみません、『ローマ字』というものがわからなくて」


 そして、マークは左手の袖をまくる。

 そこには、スマートウォッチのようなものが巻き付けられていた。


「――それは?」

「これは、火星語と他言語の変換装置です。私はこれを付けることで、セツカさん達が使用する言語を理解し、使用することができるのです」


 話を聞いてみると、人々の会話や街中で表示されている日本語が、自動でマークには火星語に変換され、インプットされているようだ。

 同じく、マークが話す火星語も自動的に日本語に変換され、周囲に発信される。


 ただ、この変換装置のスコープは今のところマークが訪れた日本に限定されているらしい。

 つまり、日本語以外では日本でも定常的に使われている外来語でないと、理解も使用も難しいということだ。

 社員食堂で先輩たちに英語で話しかけられた時に反応できなかったのは、そのためだった。


「この地域で使用されている言語に特化して、私自身もこの入力部分に記載された文字を学んだつもりではあったのですが、不勉強でしたね」


 マークの表情がほんの少し曇ったのを見て、雪花はえて明るい声を出す。


「いえ、全然問題ないですよ。でも、これでマークさんの日本語が綺麗な理由がわかりました。日本語は複雑で難しいと言われているものですから、あまりにもマークさんの日本語が自然で驚いていたんです」


 そして、実際にマークの仕事振りは全く問題なかった。

 他部署に展開するメールの文章も違和感なく、リスト作成も多少時間がかかるもののきちんと一人で完成させる。

 言語が自動変換されていることを差し引いても、地球人と火星人の感覚にそこまでギャップがないのか、マークは雪花が想定していたよりも速いスピードで仕事をこなした。


 ――マークさん、すごい。


 隣の席には、変わらない表情でPCと向き合うマークがいる。

 強力な助っ人に心の中で感謝しながら、雪花は飲むヨーグルトを静かにすすった。

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