母と思い出の地へ

第2話 母との思い出

 十二歳の誕生日を迎えるアリサは身辺整理をしていた。まだ一枚の葉っぱを浮かせる程度の浮遊魔法の未熟さ故に、全て手作業で行っていた。その甲斐あってか、手にする母との思い出の品を一つ一つ思い返しては、もう埋められない喪失感に悲しんだ。




 全てが終わる頃、外は夜を迎えようとしていた。片付けられた家のテーブルの席に座り、紅茶を飲んだ。




 一口飲んで、アリサは違和感を覚えた。慣れ親しんだ紅茶の味ではないと。蜂蜜を入れ忘れていた。アリサは蜂蜜を取りに棚へ向かった。




 大きな瓶に詰められた蜂蜜をスプーン一杯分取り、紅茶にスプーンを入れて回し馴染ませる。一口飲むと、今度は慣れ親しんだ味が口の中で広がった。




 そうしてアリサは一つの疑問を抱いた。




 紅茶に蜂蜜を入れて飲んだのは何歳からだったのだろうか、と。




 そもそも飲み始めたキッカケは何だったのか、と。




 捲ってきた記憶のページを戻し、アリサがまだ五歳の頃のページに答えが記されていた。




『アリサ。アナタのお父さんはね、それはそれは素敵な人だったのよ? 病弱だった私を小さい頃から面倒を見てくれて、結婚した後も、アナタを身籠った後も、ずっと私を支えてくれた。でも、ちょっと悪い人でもあった。危険な場所を抜けた先にある天然の花畑を見る為に、私を抱えて連れてったの。あの人、いつも言っていたわ。産まれてくる子供が大きくなったら、今度は家族三人で花畑を見に行こうって……だからね、アリサ。私がもうちょっと元気になったら、皆に内緒で行きましょうね』




 そう約束したにも関わらず、アリサの母の容態は良くなるどころか悪化していき、一週間前に息をひきとった。この母の言葉が一言一句アリサの記憶に記されていたのは、この時を最後に、母が豹変したからであった。




 もはやアリサに母への愛は枯れつつあった。しかし、完全には失われていない。病気による精神汚染が原因だと理解していたからだ。だが、その後数年に渡る罵詈荘厳と暴力によって、段々と疑いを持つようになってしまった。




 アリサは母の部屋を訪れた。そこには母の姿は無く、母がいた痕跡がある物が置かれているだけの部屋。生前、母が趣味で描いていたスケッチブックを開いて見ていくと、父と自分の絵以外に唯一描かれた花畑の絵があった。




 すると、アリサはスケッチブックを脇に抱えて外へ飛び出した。仕事終わりで帰宅途中の隣人や関りのあった人々が声を掛けていったが、アリサの翔ける足が止まる事は無かった。




 町を飛び出し、禁止区域の看板を無視して森の中へ侵入した。夜の森は自分の足元すら見えず、土から浮き出た木の根に足を引っ掛けてアリサは転んでしまった。




 肘と膝に痛みを感じた瞬間、アリサは我に返った。ここまで来たのはアリサ自身であるが、そうさせたのはアリサの意思とは別の何かだった。




 暗い森の中、四方八方から聞こえる奇妙な音や揺れる木々の音に、アリサは動けずにいた。




 そんな中、明らかに森の中で聞く事は無い金属の音が聞こえてきた。それは一定の感覚で聞こえ、徐々に鮮明に聞こえてくる。アリサは抱えていたスケッチブックを胸に抱きながら、大木に背を預けて音が過ぎ去るのをジッと待った。




 しかし、アリサの願いは叶わず、音はアリサの目の前で止まった。




 俯いていたアリサがゆっくり顔を上げると、夜の闇に染まらぬ黒い鎧を纏った騎士がアリサの目の前に佇んでいた。

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