五歳の後妻

音喜多子平

第1話

「ミオをおおかみさまのツマにしてください」


 五つになったばかりの小さな娘は黒い狼の前で、ペコリと頭を下げたそうな。


 それは難しい事の覚えられないミオが精一杯覚えた巫女の挨拶だったのじゃ。


 黒い狼は元を辿ると山の妖怪じゃったが、今では村の守り神と呼ばれておった。時に恐れられ、時に慕われる不思議な狼じゃった。


 けれど、その黒い狼は小さな頭を見下ろして、なんとも言えぬため息をついたそうな。


「…帰れ」


 そして狼は娘を、ただただ冷たくあしらったのじゃ。


 ◇


 これは昔々のお話じゃ。


 神さまがまだ人のそばにいてくだすって、妖怪も人も同じ道を行き交っておった頃。


 あるところに白霧村という名の小さなの村があったそうな。


 森に囲まれた山の途中にできた村で、名前の通りよく霧の出る村じゃった。


 さて。


 白霧村には昔から、それはそれは美しい女神さまが住んでおったのじゃ。


 名前を露姫様と言って、村で一番長生きしとる爺様の爺様の、そのまた爺様の生まれる前からずっと村にいてくださるという古い神さまでな。


 ずいぶんと恐ろしいほど歳を重ねたものじゃと思うかもしれんが、露姫様というお方は、まるで朝露のように若々しく澄んだ顔立ちをして優しい笑みを浮かべるお方じゃったそうな。


 露姫様は春には山に花を呼び、夏には風を涼しくし、秋には実りをもたらし、冬には雪の重さをやわらげる。それはそれは人に寄り添う神さまだったのじゃ。


 村の者たちは皆、露姫様を慕っておった。


 しかし、ある年の事。まもなく本格的な冬が始まるという季節に事は起こった。


 ◇


 その年はまず山の幸の実りが悪くてのう。山の木々に実りは乏しく、川の魚はやせ細って、獣たちは冬を待たずして山を去った。鳥も獣も、そして山に住まう妖怪たちも食うものに困っておる。そんな噂が流れていた。


 けれども人の噂話とは勝手が違う。村人たちは山の獣や妖怪たちが困っているとは露ほども知らなんだ。


 その中に狼の姿をした妖怪の群れがおったそうな。勿論、その狼の妖怪たちも飢えに苦しんでおった。すると一匹の狼が一つ妙案を思い付いた。


 生気の少ない仲間たちを前に、どうしても助けを求めねばならぬと考えたのじゃろう。


「露姫様なら……露姫様ならきっと、わしらを見捨てはしまい。」


 そう信じてな、その狼は白霧村を訪ねてきたのじゃ。


 露姫様にどうか庇護を願うためとな。


 ところが村の者は狼の話をよく聞かなんだ。


 何せその狼は、山の妖怪として知られておったからのう。


「妖怪だ。妖怪がきおった」

「何しにきやがった」

「村のもんを食い殺すきだ」


 とまあ、それはそれは大騒ぎになってしもうたのじゃ。


 どれほど狼が頭を下げようとも、言葉を尽くそうとも、村人は耳を貸さん。


 「どうか。どうか露姫様に…会わせてくだされ…」


 と必死で言ったそうじゃが、誰一人としてその願いを聞こうとはしなかった。


 あまつさえ、恐れと怒りに駆られた村人の一人が鎌を振り上げた。


 その刃はまっすぐ、狼の首に突き刺さった。


 どさり、と倒れる音が、村を越えて山の中にまで吸い込まれていったんだと。


 息も絶え絶えの狼は、それでも最後まで露姫様の名を呼んでいたと伝わっておる。


 「…露姫…さ、ま……どうか、ワシらを…」


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