第8話


 翌日の朝。

 

 教室に入ると、俺は前の席の方へと視線を向けた。


 ──よし、来てるな。


 こちらを何とも言えない表情で見る堀田美緒から視線を外し、俺は自分の席につく。


 ギリギリで登校したのもあって、朝のホームルームはすぐに始まった。


 いつも通り気の抜けた教師の声を聞きながら、俺は次の授業の支度を始める。


 ホームルームが終わり、教科書や少し凹んだ筆箱を机に出していると、ふと人の気配を感じた。


「桐谷くんだっけ? 話すのは初めてだよね」


 腰に手を当てながら言ったのは、春風の友人ポジにいる工藤凛だった。


「そうだな。なんか用か?」


 堀田や春風と接する時とは違い、相馬と話すような態度になったのは、彼女が初めから少し喧嘩腰だったからだ。


「今日は飛鳥のヘアピン持ってきたんでしょうね? 飛鳥に聞いたら、昨日は家に忘れてきたって言ってたでしょ?」


「ちゃんと持ってきたよ。それで?」


「それでって……」


「悪いけど朝だから頭が回らないんだ。授業の準備もしないといけないし、用があるならちゃちゃっと頼む」


 俺の物言いに工藤はあからさまに表情を歪めた。


 こちらも迷惑そうな態度を隠さなかったから怒って当然だとは思うが、それにしてもわかりやすかった。


「はあ……私から返しとくから今受け取ってもいい? 飛鳥は優しい子だから、あんまり催促とかできないだろうし」


 手を差し出してきた工藤を見て、俺は欠伸をした。


「ち、ちょっと! 聞いてんの!?」


 工藤が大声を出したことで、教室の注意がこちらに向くのを感じた。堀田は大袈裟に肩を跳ねさせたし、春風も何事かと席を立ちそうな雰囲気だ。


「聞いてるよ。ただ、そんな風に言われるとこっちも返す気が失せるな」


「は、はあ? それは元々飛鳥のものでしょ!?」


「何言ってるんだよ。本人に直接確認させたわけでもあるまいし。まだわからないだろ?」


「一体何考えてるの……? 返す気がないってこと?」


 工藤の態度があまりに目に余るため、少し意地の悪いことを言ってしまった。


「そうじゃない。ただ、もうすぐ授業が始まるだろ? そうだな……放課後はどうかな?」


「なんでヘアピン返すのに、そんなに時間が必要なのよ」


 流石に先ほど大声を上げたことで注目を引いてることは理解しているらしい。この一連の会話は工藤の独断で、春風には知られたくないのだろう。


 静かな苛立ちを滲ませる工藤に対して、俺は壁掛け時計を指差す。


「──もう授業始まるぞ。工藤さんも準備したほうがいいんじゃない?」


 質問には答えない俺に、何を言っても無駄だと悟ったのか工藤は大きな足音を立てながら席に戻って行った。


 教室中の注目が俺に集まっている様子だったが、それはそれでいいと感じた。



 ――――――――――――――



 最後のホームルームが終わり、放課後になった。生徒たちは一斉に帰り支度や、部活動に向かう準備を進める。


 その中で、俺は今か今か、とその時を待っていた。


 教師が去って行ったドアが外から開けられ、廊下から教室を見渡す一人の男が目に入った瞬間、俺は安堵から大きな息を吐く。


 相馬は俺をキョロキョロと視線を動かしていたが、俺を見つけると満面の笑みで手を振った。


「おーい」


 大声を出して俺を呼ぶ相馬。それを見て堀田が固まっているのが目に浮かぶようだ。


 教室の生徒たちも、突然俺の名前を呼んだ金髪の不良生徒に驚いたように見える。


 カバンから取り出した巾着袋をポッケに入れ、俺は相馬の元へと歩いていく。


「今日はちゃんと学校に来てたんだな」


「お前が呼んだんだろ? 久しぶりの授業だったから全然ついていけなかった」


「まあ勉強は教えてやるから……。あ、ちょっと用事があるから一緒にゲーセン行くのは少し待てるか?」


 相馬は「勿論」と笑みを浮かべながら答えてくれた。


 俺は相馬を放置して、春風の元へ歩いていく。


「春風さん。少し廊下で話せる?」


「あ、うん」


 春風は一瞬困惑した様子だったが、すぐにヘアピンの件だと勘付いたのか、大人しく俺の後ろからついてくる。


 教室の廊下で、春風と向き合う。


 ドアのところに寄りかかりながら、相馬は俺のことを待っている。


 そして、視線を向けなくてもドアの方から俺たちのことを見ている女子生徒が一人いることを知っている。


「それじゃ、ヘアピンを返してくれる? 桐谷くん」


 太陽のような笑顔を浮かべ、春風飛鳥は手を差し出した。


 俺はポッケに入っている巾着袋をギュッと握りしめながら、深く深呼吸をする。


「……?」


 手を差し出したまま待っている春風は、いつまでも動かない俺を見て徐々に困惑した表情を見せ始めた。

 

 俺は意を決して口を開く。


「このヘアピンは、春風さんにとって大切なものなんだよね?」


「うん。私の宝物なの。だから返してくれる?」


 何も疑問に思っていない顔だ。そうなることが当たり前だと思っているような。


 だから俺は言ってやった。


「──返さないって言ったらどうする?」


 多分、聞き耳を立てていた他の生徒たちは、皆がぎょっとしたことだろう。


 俺もできればこんな事は聞きたくなかった。例え冗談だとしても、たちの悪い冗談だとは自覚している。


 つまり春風が怒って、一人のモブキャラが"世界の敵"になるには十分な発言だ。


 沈黙が場を支配し、俺は押し黙ったままの春風の言葉を待っていた。


「──返してくれないの?」


 質問に質問を返した春風の言葉に含まれるのは、なぜ、どうして、その疑問だけだ。


 俺がどういう意図を持っているかなんてわからない。意地悪で言っているとすらも思っていない様子だ。


 彼女は悪くない。この問題においては、それこそただの被害者で、ただ宝物を取り戻そうとするだけのいたいけな少女だ。


 ──だが、それじゃあまりにも救いがないだろう。


 俺は春風から視線を外し、チラリと教室のドアを見る。


 カラスの羽のように真っ黒な髪の毛が目に入った。


「堀田」


「え、な、わ、わたし?」


 どもりながら自分を指差す堀田美緒。


 流石は野次馬根性が溢れているだけある。興味津々で俺と春風のやりとりを見ていた事だろう。


 俺は春風に背を向けて堀田の元へと歩いていく。


 近づいてくる俺を見て、堀田は困惑を隠しきれない様子だった。


「手を出して」


「え?」


「ほら早く」


 急かすと、言われた通りに手を出した堀田。その小さな手のひらの上に、俺は巾着袋から取り出したヘアピンを乗せた。


「え……ちょ、なんで? これは春風さんの──」


「好きにしていい。春風さんのことが嫌いならこのまま踏みつけて壊してもいい。いらないならそこにいる相馬アランって奴にやってもいい。お前の好きにしていいんだ」


 俺がそう言うと、堀田はヘアピンから視線を外して、俺の目を見た。


 ──この世界に来て初めて、堀田と目があった気がした。


「ちょ、ちょっと! 何を言ってるの!?」


 工藤が大声で喚くが、そんなのは無視である。


 背中越しに見ているだろう春風の突き刺すような視線も、欠伸をしながら見守ってくれている相馬のことも、今は全てどうだっていい。


 大事なのは、堀田美緒がどうしたいかだ。


「聞きたいことがあるって言ったよな?」


「う、うん」


「春風さんのことが嫌いか?」


 堀田はぶんぶんと首を振った。当たり前だ。この世界で、彼女が最も愛しているのが春風飛鳥なのだから。


「──それだけ聞きたかったんだ」


 いまだにヘアピンを手にしたまま迷っている堀田の肩を、俺は軽く春風の方へと押してやった。


 少しこちらを振り返った堀田だったが、すぐに意を決したように春風の元へと歩いていく。


「堀田さん?」


 ぎゅっと目を閉じた堀田は、春風に対してヘアピンを差し出す。


 そして大声で言った。


「──ごめんなさい!」


 堀田の声に、春風は一瞬驚いたように目を丸くした。


 だが、すぐに震える堀田の手から、ヘアピンを持ち上げると、それを胸の前で大事に抱えた。


「ありがとう堀田さん。私の方こそごめんね。みんな誤解してるって、ちゃんと伝えられなくて」


「ううん……いいの。あす……春風さんは何も悪くないのっ」


「飛鳥って呼んでもいいんだよ? 私も美緒って呼んでいい?」


 春風の言葉に涙腺が崩壊したのか、堀田は滝のように涙を流す。俯いて嗚咽を繰り返す堀田に、春風は優しく背中を撫でながら寄り添う。


 きっと、これから二人は俺が知ることのない会話をするんだろう。


 それは、お互いを"本当の意味"で知るためのもので、好きなものや嫌いなもの、得意なこと、苦手なことなど、他愛もない話かもしれない。


 けど、それが大事なのだと今は思っている。


 言い訳するわけではないが、知らなかったことで俺も問題を起こした。


 堀田も、春風に対して全てを知っているわけではないはずだ。今まで抑圧されてきた分、彼女は春風のことを沢山知ろうとするだろう。


 それに応えない春風ではないし、少しは前に進めるのではないだろうか。


「とりあえず一件落着なのか? あの二人、仲直りしたみたいでよかったな」


 事情を知らない相馬が、能天気に口を開く。


「そうだな。じゃ、俺らはもう邪魔者だろうし、ゲーセンにでも行くか」


「今日は音ゲーで勝負な?」


「……勘弁してくれ」


 音ゲーは苦手だ。リズム感もなければ運動神経も悪いのだから、俺が唯一今まで避けてきたゲームでもある。


 だが、放課後の寄り道を想像しながら表情を緩める相馬を見ていると、それもまたいい経験かと思えた。


「カバン持ってくるから待っててくれ」


「おー。なるはやでな?」


 教室に入ると、一部の生徒たちは気まずそうな顔をしていた。泣いている堀田と、それを慰める春風を見て、自分の言った言葉を今更になって後悔しているのだろう。


「桐谷」


「くんづけは辞めたの? 工藤さん」


「いらないでしょ? 呼び捨てにされたくらいでショック受けるように見えないし。ていうか、こうなることを想定してたから放課後って言ったの?」


 堀田と春風が十分に話し合える時間があるのは放課後だと考えていたのは勿論だが、別に想定だなんて大袈裟なものでもない。


「さあね。それで? 俺にまだ何か用でもあるの?」


 工藤の顔はどこか釈然としない様子だ。いつもとは違ってしおらしく手をそわそわさせている。


 それを見て、俺は合点がいった。


「──ああ、堀田さんに謝りたいの?」


「は、はあ? ち、違うし。ただ……ちょっと言いすぎたかなって思って……」


「まあそうだね。春風さんが許してるんだから、工藤さんも大人になるべきだよね」


「なんかムカつく言い方……」


「まあ、謝るか謝らないかは当人の自由だけど、きっと堀田さんは許してくれるよ」


「なんの根拠があってそんな事が言えんの?」


「あー……まあ、ある意味工藤さんも主要メンツだから?」


「しゅ……なんだって?」


「じゃ、また明日」


 呼び止める工藤を無視して、俺は廊下で待っていた相馬に声をかける。


 いまだに廊下で二人で話している堀田と春風を一瞥してから、俺は相馬と喋りながら教室を後にした。


 ふと窓を見ると夕日が燦然と輝いていた。


 どの世界で見ても、夕日は夕日だなと感じた。


 隣で笑う相馬も、しおらしかった工藤も、廊下で身を寄せ合う堀田と春風も。何ら俺と変わらない。


 冬の雪は溶け、春は芽吹を運ぶ。夏は蝉が鳴いて、秋には枯れ葉が舞うだろう。


 そう考えると、肩の荷が降りたような気がした。


 









*明日も同じように9時半ごろに投稿する予定です。それと、明日の話で一章完結になります。


是非目を通していただけると嬉しいですm(__)m

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