乙女ゲームの舞台裏 ~モブとして観察していたら、隣にもう一人いたんだが~

新田 青

第1話 プロローグ


 放課後の図書室。

 

「昨日どこに行ってたんだよ?」


 一人の男子生徒が疑問を投げかける。その表情には隠す気のない不満が現れている。


「なんでわざわざ言わないといけないの?」


「なんでって……」


「結城には関係ないでしょ。私がどこで何してようが、どうでもいいって言ったのはそっちなんだからっ!」


 男子生徒に相対するのは一人の女子生徒だ。


 日本人らしくない綺麗な栗色の髪と、整った目鼻立ち。


 ぱっちりと大きな瞳はキラキラ輝いていて、静謐な図書室でいても目を引く容姿をしている。


「なんでそんな事を言うんだよ……? 俺はただ」


「──もういいでしょ。これ以上私に関わらないで」


 強い言葉で突き放すと、それっきり女子生徒は小走りで離れていく。


 小さな金属製の髪留めが光を反射して、まるで涙の雫が舞った様に見えた。


 静寂と共に残された結城と呼ばれていた男子生徒は、伸ばした手のひらをゆっくりと下ろすと、くっと表情を歪ませた。


 やけに堂に入ってるというか、わざとらしさを感じない仕草である。


「くそっ」


 悪態と共に静かに歩き出した男子生徒。


 その背中を盗み見しながら、俺はカウンターに頬杖をついていた手をそのままに、開かれていた小説を静かに閉じた。


 二人の生徒が因縁浅からぬ仲というのは誰が見てもわかる事だ。一部の好事家たちにとっては興味をそそられる一幕だった事だろう。


 だが、俺にとっては煩わしいだけの日常の一コマでしかない。


 凝り固まった身体をほぐす様に伸びをしたところで、すぐ隣から独り言が聞こえた。


「うわあ。現実で見るとこういう感じなんだー……いざその場に立ち会ってみると飛香が可哀想に見えてくるから不思議だわぁ……」


 俺は声の主を横目で見る。


 幸薄そうな顔の女子生徒が先ほどの口論があった場所をキラキラとした目で見ていた。


 カラスの羽の様に真っ黒な長髪に、隙間から覗く好奇心の強そうなアーモンド形の瞳。


 小柄な身体も相まってまるで日本人形である。


「堀田さん。暇なら返却本を棚に戻してくれる?」


 頬杖をついたまま言うと、振り返った堀田はまるで路傍の石ころでも見るような目でこちらを見る。


 その瞳には先ほど二人の生徒の悶着を見ていた時の煌めきなど欠片も存在しない。


「あ、うん」


 それだけ言って興味を無くしたように堀田美緒は顔を背けた。


 言われた通りに仕事をする気はあるようで、彼女はカウンターから出て返却本が積まれているカートへと近づいていく。


 俺はそれをぼうっと眺めながら、自分に降りかかったこの状況について思い返してみた。




 ――――――――――――――



 ある日目が覚めると、全く見覚えのない部屋だった。


「どこだここ……?」


 呆然としたまま部屋を出ると、母親を名乗る人物と出会い、リビングで急かされながら朝食を食べた。


 その後、トイレに行った際に、洗面所の鏡を見て思わず朝食のサンドウィッチを吐き戻した。


 自分が全く知らない人間になっていたからだ。


 当然だが初めは酷く取り乱した。


 徐々に脳が覚醒してくると、部屋にある物、目に映る自分の身体、全てが自分に馴染みのない物で、視界に入ると気分が悪くなって叩き壊した。


 心配そうに様子を見にきた母親と名乗る人物を押し除けて、俺は寝巻き姿で街へと繰り出した。


 とりあえずタクシーを呼び止め、以前住んでいた場所の住所を伝えた。


 運転手は怪訝そうにしながらも"俺の身体"を目的地へと運んでいく。


 停車したタクシーから飛び出し、元々あった家を探したがそこには見たこともない神社が建っていた。


「なんなんだよこれはっ!」


 その時の脚が震えて力が抜けるような感覚は今でも忘れられそうにない。


 財布を持っていなかった事で、タクシーの運転手に警察を呼ばれて家に連れ戻された後、俺はまた見知らぬ家族たちと顔を合わせる事になった。


 全く知らない母親、父親、妹にリビングで質問責めされた俺は、煩くて耳を塞いだ。


「一体、誰なんだよ!? あんたらの事なんて俺は何も知らねえんだよ!」


 それから半ば強引に病院へと連れてかれ、精密検査を受け記憶喪失という診断を受けた。


 いくら「違う」と伝えても、混乱しているの一言で片付けられてしまい、挙句の果てには医者に掴みかかって取り押さえられた。


 その時に知ったのだが、どうやらこの身体の持ち主は桐谷宗介という名前らしく、年齢は15歳との事だった。


 春から高校生になるらしく、今は長期休みの期間だと。


 それからも度々家を飛び出しては、問題を起こして家に連れ戻される日々を送っていたが、ある日"桐谷宗介"が入学する高校のパンフレットを部屋で発見した時、心臓が強く脈打った。


 ──春ヶ丘高校。


 それは昔友人に勧められて少しだけプレイした"乙女ゲーム"の舞台だった。


 主人公の女の子が高校に入って攻略対象の男子たちと時間を過ごしながらエンディングを目指すストーリーで、よくある恋愛シュミレーションゲームだった。


 確かタイトルは『どきどきスプリング』とかいうヘンテコな名前だったはず。


 そのゲームの舞台となる高校に自分が進学すると知り、俺は思わず笑ってしまった。


 漸く納得はせずとも理解した。いや、無理やりにでも結論を出さねば頭がおかしくなりそうだったせいか。


 つまり俺は転生したのだ。乙女ゲーの世界のモブキャラである桐谷宗介という男に。


 ――――――――――――――



「桐谷くん、おーい?」


 考え事をしていたため、急に横合いから話しかけられて肩が跳ねる。


「……堀田さん……いきなりどうしたの?」


「こっちは何度も呼んだんだけど……。まあいいや。ちょっと用事があるから少し抜けてもいい?」


「ああ、別にいいよ」


「本当? じゃあもし先生が来たら保健室にでも行ってますって伝えといてくれる?」


「へいへい」


「何その返事? 嫌な感じ。じゃ、よろしくねー」


 堀田美緒はそのままスキップでもしそうな勢いで図書室を出て行った。


 広い図書室に一人残された俺は、椅子の背もたれに身体を預けながら大きなため息をつく。


 堀田美緒の行き先はある程度わかる。彼女は先ほどの口論をしていた生徒二人のうち、どちらかの様子を見にいくのだろう。


 野次馬根性クソ極まれりである。


「まあ……ある意味そっちの方が幸せか……」


 いきなりゲームの世界に閉じ込められて、日々無気力に過ごしていた俺の前に、唐突に堀田美緒は現れた。


 最初は独り言の多い頭のおかしな女だと思っていたが、よくよく観察していくとそうではないことがわかった。


 確信したのは彼女が一人の女子生徒を"主人公"と呼んだ時だ。


 ──そう。一人ではなかったのだ。


 彼女も同じ様にこの世界に閉じ込められた転生者だと気付いた。


 俺はそれに気がついた時、嬉しさから同じ境遇にある堀田にすぐに正体を明かそうとした。


 彼女はまだ、自分が"一人ではない"ことに気づいていなそうだったから。


 だが、結局は沈黙を選んだ。


 堀田が俺を見る目は、まるで車窓から景色を眺めているかの様だったし、俺も同じ境遇だと知るまでは堀田美緒をただのモブキャラとしてしか見ていなかった。


 そんな小さな負い目と、結局お互いが転生者だと知ったからって何になるのか、という諦めもあった。


 元いた世界に戻れる訳じゃないなら、自分の境遇を明かしたって何の解決にもならない。それどころか、新たな問題を生む可能性さえあると。


 まあ、実際はそのどれもが言い訳で、俺は自分が不幸だと思っていたが、堀田はそうではなさそうだったから、というのが1番大きな理由だったのだが。


「これから先、ずっとこの世界で生きてくのか……」


 口に出すと笑いを通り越して呆れてしまう。


 この世界には既に主役がいる。


 桐谷宗介という男がモブキャラだと設定されているならば、こんなにつまらない人生はないだろう。


 誰だって始めから脇役を目指す訳じゃない筈だ。


 なのにこの世界では既にスポットライトが当たらないことが決まっている。


 脇役としての人生を受け入れて黒子に徹する程、俺はまだ大人にはなれないし、自分の人生くらい自分が主役になりたいと思うのは誰だって同じ筈だろう。


(まあ、舞台に立っているのではなく、まるで観客席から眺めている様なめでたい奴もいるみたいだが)


「はあ」


 大きなため息が図書室の静寂に攫われていった。小さな砂粒が嵐に巻かれる様で、なんとも無常である。


「あーあ。モブキャラはモブキャラらしく、雑務でもしますか」


 重い腰を上げて図書委員の仕事を始める。これが俺にとって今やるべき事で、悩みを忘れさせてくれる小さな幸福だ。


 こうやって忙しなさを積み重ねていく中で、いつか心のわだかまりが溶けて無くなってくれるのだろうか。それならそれでいいから出来るだけ急ぎで頼むと言いたい。


 渦巻く諦念を胸に、祈りを込めて返却本を持ち上げた。


 ──この時の俺はまだ、まさか"彼女"と関わる事になるとは思ってもいなかったから。


 


 

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