傷だらけのローラ
瑞慶山虎鷹
第1話 黎醒《れいせい》
「神剣よ。神剣オルド・セイクリオンよ。お願いだ、一目でいいからもう一度母上に会わせて欲しい」
真夜中の神殿の中、暗闇に幼い子供の密やかな叫びがひとしきり響いたが、応える声も無いままやがて静寂に溶けていった。祭壇の上に安置された真剣にはまるで子供の声は届かなかったかのようだ。
子供は苛立ったような表情を浮かべ、祭壇に近づき、周囲に巡らされた柵をよじ登って乗り越え、神剣に手を伸ばす。
子供の名はレイシェント。国土の大半を砂漠が占めるパリスタン王国のただ一人の王子であった。5歳の誕生日を迎えた直後の3ヶ月前、母親を病で亡くしていた。以来今日まで泣き暮らしていたのだが、王都の外れの神殿に、秩序の神オルドゥスが宿った神剣オルド・セイクリオンが祀られている事を思い出した。この国で昔から崇められている神様がそこに居るのなら、必死にお願いすればもう一度優しかった母親に会わせてくれるかもしれない。そしてもし言っても構わないのであれば、こんなに早く自分を母親と離れ離れにした事について、神様に文句を言ってやりたい。そう思っていたのだった。
「聞こえないのか、神剣オルド・セイクリオン。ははうえにもう一度会わせてくれって言ってるんだよ!」
柄頭を掴み、深く息を吸い込んでから大声で呼びかけると、鍔元に埋め込まれた宝玉がまるで目を覚ましたかの様に眩い光を放ち出した。
「うわあっ」
眩しさに仰け反ってしまい、コテンとレイシェントは背後に倒れた。掴んだままだった聖剣の重さに押しつぶされ、思わず息が詰まる。
そんな彼の頭の中に声が響いた。
「接触者――レイシェント・パリスタン。……ふむ、先代の神剣の使い手の血を継がぬ子か。我に触れることすら許されぬ身で何を願うか。この痴れ者め――!」
声と共に神剣から電撃が放たれた。それは幼いレイシェントの全身に迸り、肌を焦がした。
「うああああああっ!!」
声にならない叫びが喉から漏れ続ける。このままでは死んでしまうと直感したとき、彼の脳裏にいくつかの記憶が流れ込んだ。
母の最期の言葉、自分を見つめる母の慈しみを湛えた瞳、産まれたばかりの自分を抱きしめ声をかけてくれる母の温もり。
その中のいくつかは彼が忘れかけていたものだった。死に直面して、彼の無意識が今の自分を助ける知識、心を支える想い出を必死に掘り起こしたのだろう。
「ははうえ…え?」
だが、掘り起こされた記憶はそれだけではなかった。真夜中でも沢山の窓から灯りが漏れる見上げる程に高い建物群。それらを縫うように馬よりも速く走り抜ける乗り物の数々。それはこのパリスタン王国どころかアストリア大陸の何処にも存在し得ない光景。
(…知っている?いや、俺は確かにそこで生きていた…)
そして、眼の前の映像を見つめながら涙を流し続けるかつての自分が、
「何でだよ!どうして彼女にだけ、笑って終われる結末が無いんだよ!」と嘆きながら壁を殴っていた。
彼の視界の端に、涙に滲む箱の文字が見えた。『傷だらけのローラ』、そう書かれているのだと今の自分には理解できた。
(そうか、俺は21世紀の日本から、この『傷だらけのローラ』と言うゲームの世界に転生したのか。今度は彼女を救う事が出来るかもしれない。ならば、死ねない。こんなところで死ぬ訳にはいかない)
想いとは裏腹に彼の意識は途切れ、彼の体が力なく神殿の床に横倒しになった。そこでようやく彼の両手から逃れた神剣は冷たい床に転がり澄んだ音を響かせた。まるで幼子の無礼を咎めるかの様に。
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