何故ラヴは消されてしまったのか?

辰巳しずく

第1話 墓地にて

「うおおおおおん! ラブちゃあああああん!! どうして、どうしてええええ!!?」


 透き通った夕日が照らす墓地。

 赤い光が墓石の影を長く伸ばしている。

 冬の街スノーマンを見渡せる小高い丘はその眺めの良さからデートスポットとしても有名だが、せっかくの風景を中年男性の雄たけびが台無しにしていた。


「やかましいですよ、わがマスター。いくらここが墓地でもさすがに騒ぎすぎですわ」

「だってだってぇぇぇ!!?」

「だってじゃありません」


 墓地の一角、古ぼけた墓の前にて漫才じみた会話が現在進行形で繰り広げられている。

 うるさすぎる大声にまともな人間であれば素知らぬ顔をして通り過ぎるだろうが、一度でもその人物たちを見ればたちまちその目を白黒しても不思議ではない。


 何故なら、


「一体これで何度目ですか? 写真で見初めたお相手が死んでいた、なんてオチは」

「五十八回目であるよチクショー!!」


 一人は息を呑むほどに美しい少女、もう一人――ではなく、もう一匹は黒兎だからだ。

 少女は十を超えたくらい。ウェーブのかかった金の髪が風に揺れ、深緑の瞳には年齢に似つかわしくない理性の光が宿っていた。

 レースをふんだんに使った黒と白のワンピースと羽織っているマントがまた少女の成熟した雰囲気を助長している。


「なんで!? なんで吾輩が見初めた女性はいつもいつもこうなの!? 死んでいたり、他に男がいたりとかさぁ!!」

「そもそも立ち寄った写真館で飾られていた写真を見ては一目惚れするのがどうかと思いますが」

「いいではないか! わざわざ人間ウォッチングせずに済むではないか! というか写真のほうが選びやすくて便利なのである! 魂とか魂とか……魂とか!」


 そんな少女の目の前でのたうち回っている一羽の黒兎。

 見た目こそはまん丸で愛らしい兎だが、いかんせん、低いバリトンを発している。先ほどから騒がしい遠吠えの主はこの黒兎で間違いなかった。


「こればかりは巡り合わせでしょう……というわけで、さっ、気を取り直して風俗に行きましょう。モダ様」

「アンジュ! 貴様、もう少し主を労わろうとする気はないのか!?」


 黒兎――モダは俊敏な動きで体勢を立て直し、ダン! と後ろ足を蹴った。

 今にも飛びかかろうとするモダに少女――アンジュはその名の通り可憐な笑みを浮かべながら言い放つ。


「こういう時は女を抱くのが一番でございます。人で受けた傷は人でしか治せないように、女で受けた傷は女でしか治らないものではないでしょうか?」

「なんかいいこと言っている風だけど騙されないからね、吾輩! 適当なこと喋るんじゃありません!」

「ちっ、ダメか」

「舌打ち!?」


 ある意味、通常運転なアンジュにモダの耳は力なくしおれた。

 その場にぺたんと座り込み、夕日に染まった空を見上げる。


「あーぁ、今回もダメであったか……吾輩の目に叶う花嫁はいずこにいるのやら」

「諦めて花嫁の条件を下げませんか? 天上から舞い降りた天使のような魂を持つ女の子なんて絶滅危惧種を超えて架空の存在ですよ。理想が高すぎます」

「いやだい! 男たる者、自分だけのヒロインを求めて何が悪いんだい!?」

「とりあえずその思想がキモいです。ついでに言うと少しでも女性を集めて見つくろうために可愛い生きになっているのもドン引きですね」


 グハッ、と大きく息を吐き出したあと、ぐったりと動かなくなったモダを尻目にアンジュは目の前の墓をまじまじと見つめた。


「しかしラヴ様は思っていたよりもずいぶんと前にお亡くなりになっていたんですね」

「そ、それな……墓石に刻まれた年月を数えると十一年しか生きられなかったようであるな」

「十一年、ですか」


 ふむ、とアンジュは顎に手を当てる。


「写真館にあった写真を見る限りでは寿命を迎えたようには思えませんが……モダ様、死神がうっかり間違えてお迎えした可能性はあり得ますか」

「いや、それはない。死神どもは恐ろしく真面目な連中ばかりだ。そのようなことをしたら、そいつは罪人どもが受ける責め苦よりもおぞましい目に遭うだろうよ」

「となると考えられる線は二つ、いえ、一つかもしれませんが……まさか、ねぇ」


 そんなふうにアンジュがうんうん唸っていると、


「あの。失礼ですが、どちら様ですか?」


 恐る恐るモダとアンジュに近づき、声をかけた人物がひとり。


「そういう貴方は?」

「私はロゼ、この街スノーマンの教会で神父をしている者です」


 声の主は黒い法衣をまとった恰幅のよい老人だった。白い髭に覆われた顔から覗く瞳は聖人のように穏やかで――しかしどこか困惑をにじませている。


「神父様、ですか。なるほど、つまりモダ様があまりにもうるさすぎて安寧を乱す者として成敗にいらっしゃったのですね」

「違います! いや、まぁたしかにお騒がしいものですから気になったのは本当ですが」


 ロゼ神父は戸惑うように黒兎と少女を見比べる。

 長年スノーマンに住んでいるロゼだったが、どちらも街の住人ではない。少女のそばにトランクがあることから十中八九、旅行者の類だろう。


「ところで貴方方は……その、どなたのお墓に?」

「このラヴという少女である!」

「ラヴ……? ああ……」


 ロゼの表情がほんのわずかに曇る。

 その変化をアンジュは見逃さなかった。


「どうされましたか?」

「いえ――お恥ずかしい話、私は彼女について思い出せないのです」


 モダとアンジュは顔を見合わせる。

 すっかり秋から冬に変わった空気が風となって木々の枝を揺らし、墓地の間を吹き抜けていった。


「たしか事故……だったと思うのですが、当時の記憶がいまいち思い出せないのですよ」


 ロゼ神父は途切れ途切れに言葉を紡いでいく。

 その声には何とも言えない困惑と悲しみ、そしてわずかな怒りが混じっていた。


「とても愛らしい子でした。それこそ天使のような少女で、他の子供たちよりも純粋だったことは覚えています。だからこそあの子が亡くなり、その葬儀を執り行った時は私も胸を痛めたというのに……肝心なことを覚えていないのです」

「肝心なこと?」

「ラヴが何故亡くなったのか。私はあの時、何かを見たはずなのですが……」


 そこでロゼ神父は頭を振る。


「いや、お恥ずかしい限りです。私もすっかり年ですからな。もうすぐ引退して施設に入居する予定なんですよ」

「ということは神父様は七十五歳を間近に控えているのですか」


 ええ、とロゼ神父はうなずく。

 神父はあてがわれた区域に派遣されれば、七十五歳になるまで務めを果たさなくてはならない。引退後は専用の施設へ入居し、余生を過ごす。それが聖職者の一生だ。


「ふむ、ならば神父よ。その前に禊をしたほうがいいかもしれんぞ。さもなければその余生、後悔で過ごすことになるかもしれんのである」

「ふふ、元気な兎さんも心配してくれているんだね。ありがとう」

「違うわ、たわけ! 神父のくせに自分の状態に気づいてないのか!」


 モダが体全体で跳ねる。ボールのように飛びながら怒鳴り散らし始めた。


「ええいっ、アンジュ! この爺に指摘してやれ!」

「かしこまりました、わがマスター

「あの? 何のことでしょうか?」


 少女と兎の意図が分からず、ロゼ神父はどういうことなのか? という表情を浮かべた。

 アンジュはそんなロゼ神父に淡々とした視線を向ける。


「神父様――あなたは魔法によって記憶を節があります」


(続く)

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