第44章 シーズン2 英雄の帰還と、股ずれのヒリヒリ

月曜日。 股が痛い。


ヒリヒリする。


昨日の「直履きジーンズ」の後遺症だ。


内股の皮が剥けたかもしれない。


歩くたびに、ズボンと擦れる。

痛っ。


ガニ股になる。


すれ違う女子高生が、変な目で見てくる。


見るな。


俺は今、負傷兵なんだ。


予備校の正門。


空は晴れている。


憎たらしいくらい青い。


俺の心は土砂降りだ。


昨日の延長料金のせいで、財布の中身は300円。


今日の昼飯、カップ麺(安売り)一択。


あー、チャーシュー入ってるやつ食いたい。


「おはようございます」


後ろから声。


田中さんだ。


眼鏡だ。


あの分厚いレンズに戻っている。


昨日の「透けブラウス」の面影はない。


地味な、いつもの田中さんだ。


でも、なんか妙に肌ツヤがいい。


ホテルのシャンプーが合ったのか?


「おはよう」 俺は短く返した。


痛い。


立ち止まると、余計に股間がジンジンする。


「佐藤さん。歩き方、変ですよ」


「名誉の負傷だ」


「馬鹿ですね」


俺たちは、Fクラスの教室へ向かった。

憂鬱だ。


神宮寺の野郎、絶対言いふらしてる。


「あの二人は不潔な関係だ」とか。

退学かな。


まあ、それもいいか。 金ないし。


ガラッ。


俺は、覚悟を決めてドアを開けた。


静寂。


全員の視線が、俺たちに突き刺さる。


神宮寺が、一番奥の席でニヤリと笑っている。


やっぱりか。


終わった。


その時。


ドッッッ!!!!


拍手。

爆音。


スタンディングオベーション。


「は?」


「うおおおおお!!!」

木下(弟子)が、涙を流して駆け寄ってきた。


「師匠おおおおお!! やりましたね! ついに! ついに!!」


「何が」


「『既成事実(ゴール)』っすよ!! 神宮寺から聞きました! 昨日の昼間から! 雨のホテルに! 3時間以上も!!」


木下が、俺の手をガシッと握った。

「すげえ……! A5ランクの肉より、先に『田中さん』を食っちまうなんて! やっぱり師匠は肉食獣だ! Fクラスの誇りだああああ!!」


「……」

食ってない。

食ったのは、水道水だけだ。


あと、俺の股間は今、肉食獣どころか、生まれたての小鹿みたいに弱っている。


「違う」

俺は否定しようとした。


「あれは、雨宿りで……」


「言い訳無用!」

別の男子生徒(ハゲかけ)が叫んだ。


「俺たち、勇気をもらいました! 低スペックでも! 金がなくても! ラブホに行けるんだって!」


「おめでとう!」


「結婚式呼んでね!」


「赤飯炊こう!」


クラッカーが鳴った。


パンッ!


紙テープが俺の頭に乗る。

邪魔だ。

取れよ。


「佐藤さん」

田中さんが、眼鏡の位置を直しながら言った。


「訂正、しますか?」


「無理だろ、この空気」


「ですね」


彼女は、少しも嫌そうじゃなかった。


むしろ、眼鏡の奥の目が、少し笑っているように見えた。


こいつ、楽しんでやがる。


「静粛に!」


神宮寺が立ち上がった。


空気が凍る。


「君たち、何を祝っているんだ。 これは『不純異性交遊』だ。 婚活における『順序』を無視した、野蛮な行為だ。 ……佐藤。君の偏差値は、これでマイナスだ」


神宮寺が、タブレットを掲げた。


またか。


壊れろ、その板。


「神宮寺くん」


教室のスピーカーから、声が響いた。


マイクのハウリング音。

キーン。


耳が痛い。


『マリアージュ・アカデミー、高円寺麗華です』


麗華だ。


どこから見てるんだ?


監視カメラか?


『順序? 野蛮? 笑わせないで』


スピーカーの向こうで、彼女が笑った気がした。


『本能のままに、雨の午後にシケ込む。 それこそが、究極の『ロマンス』じゃない? 佐藤さん。あなた、見直したわ』


ザワッ。


教室がどよめく。


あの麗華様が、認めた?


「不潔」じゃなくて、「ロマンス」?


『でも、悔しいわね。 美咲さんに、先を越されるなんて』


バチンッ。


通信が切れた。


「勝った」

田中さんが、ボソッと呟いた。


ガッツポーズ。


小さい。 脇が締まっている。


「勝ってない」

俺は言った。 痛い。 股間が。 ワセリン塗りたい。


保健室にないかな。


二階堂先生に頼むのは嫌だな。


また変なプレイされそうだ。


「とにかく、座れ」

俺は席に着いた。 ドサッ。 痛っ。


椅子の硬さが、傷口に響く。


円座クッションが欲しい。


痔だと思われてもいい。


「師匠! 今日のランチ、奢らせてください! 何がいいですか! 赤まむしドリンクですか!?」


木下が目を輝かせている。


「うどん」

俺は答えた。


「柔らかいやつ。コシはいらない。 あと、大盛りで」


俺の「ラブホ・レジェンド」としての月曜日は、 股間の痛みと、勘違いの喝采の中で、やけに賑やかに始まった。


とりあえず、誰かオロナイン軟膏を持ってないか?

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