よくある疑問への応援コメント
久しぶりに、橘さんの作品で、ある程度理解の追いつき、ほっとしています。
理性よりは感性によって綴られた作品だから、でしょうか。
私は、音楽がよく分からなくて。
今、ヴィターリのシャコンヌを聴いていますが「切なくてなんかいい」としか言えません。この、理性が管轄する以外の脳みその管理を、感性とか感受性とかいうものがやっていて、その二つの中でも支配権の争いがあるのかも?
言語化できないものがあってもいいじゃない、と。小説を書いている身でなんですが、思う時がありますね。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
見返すと、自分でもだいぶ纏まってないなぁと反省するエッセイなのですが💦
ヴィターリのシャコンヌ、いいですね。
冬の朝の空気には、よく合いそうです。
そう、切なくてなんかいい、としか言えないことなんて、いくらでもありますよね。
僕はしばしば、音楽に羨望します。
音、味、色、匂い、手触り。
たぶんそれぞれでしか伝わらないものというのはあって、だから僕らはどうにか伝えようと比喩を駆使して、ときどきわけのわからないメタファーが生まれるわけですが笑
理性も、今作では論理の象徴として扱いましたが、本能と対置した際の理性はニュアンスが変わるので、いや言葉って難しいなと。
言語化できないものがあってもいいじゃない、でもなんとか言葉で伝えてみたい、そんなあわいで揺れ続けるのが、物書きに出来る誠実さなのかもしれぬと思う今日のこの頃です。
率直なお言葉、よい思索の機会をいただきました。
いつも、ありがとうございます✨
編集済
よくある疑問への応援コメント
ここ数日、たまに考えていたのですが。
なんか、多分。。。
パンツが何色かな、と思う事が感受性。
何がしかの思惑や刺激で、パンツは何色ですかと聞いてしまうのが、感性として。
その思惑や刺激が、理性であったら、パンツが何色かだなんて聞かない、と言う事で合ってますかね・・・?
作者からの返信
ましら 佳 様
こんばんは。
いつも橘がお世話になっております、月城結人です。
申し訳ありません、橘が頭を抱えて部屋から出てこないので、僕が代わりにお返事しますね。悪しからず。
まずいま橘がパンツのことで頭を抱えてるのはたぶん、感受性です。
そして彼に頭を抱えさせているのは、ましら様の感性ではないかなと。
「パンツは何色ですか?」と訊いてしまうのは、感性による場合も理性による場合もあろうと思うので、難しいところです。
戦略的に、敢えてデリカシーのないことを問うケースや、本人としては理性的だけど想像力や配慮が足りない場合もあるでしょうからね。
うん、僕も混乱してきました。
あとで試みに文乃さんに「ところで今日のパンツは何色?」ときいてみます。嘘ですけど。
そして橘がもし、パンツの色が気になって煩悶する〝ようすのおかしな〟男の物語を書くとすれば、それもまた感性であろうと。
やれやれですね。
いつも、ご愛読ありがとうございます。
よくある疑問への応援コメント
>理性というのは論理の要であり、言語化する能力と言えるかもしれない。
申し訳ない、橘さんのような繊細な神経を持ち合わせていないので、感性については自分でもよく説明ができないし、この文章からもうん、そうだ!という共感は得られなかった(読み取れなかった私のせいです)のですが、上に引用した、理性が“言語化する能力と言える”とは思えないのです。
そこには橘さんも共感しておられないですよね。(そのように読んだ)
感性も理性も“言語化”とは違うというか、どちらも言語化が難しいのではないかと考えます。
作者からの返信
ご来訪、ありがとうございます。
七月七日さんのコメント、いつも楽しみなのです。
お話伺っていてなんとなく、理性に対するイメージや見解が、また違うのかもなぁという気もしつつ、実は同じようなことを感じてるけど、表現の仕方が違うのかも、とか。
どっちかというと、理性の方がよく分からないかもしれません、私(笑)
もちろん、本能に対する理性という文脈なら意味は通りますが、感性と並べた時の理性ってなんだろうなと。
本章では論理とニアリイコールで扱ってましたが。
七月七日さんのそのなんか分からんけど違う気がする感じ、感性が動く気がします。
ありがとうございます😊
よくある疑問への応援コメント
こんにちは
あれ、仄言が完結している…と、思ったら、こちらが開幕されたのですね
興味深く拝読いたしました
「(感性や感受性は、)ある段階までは傷つければ傷つける程に鋭敏になる。」
これには、納得です
ある段階までは、ですね
自分も、欠けている状態のほうが、創作の種になるところがあります
けれども、けっして、踏みにじられることに慣れてはいけないとも思います
感性も感受性も、たいせつな自分の一部ですね😌
作者からの返信
・みすみ・さん
こんにちは
仄言は完結し忘れてた古いノートを閉じただけなので、二冊目は健在ですよ!笑
そしてこんなキャッシュクリアみたいなエッセイにお付き合いいただき、ありがとうございます
共感いただけるポイントがあってよかったです
踏み躙られてはならない
・みすみ・さんのそのお言葉が光ですね
感受性も感性も、貧しさに嘆きながら悪あがきをする日々ですが、それも味と思って精進してまいります
いつも刺激をありがとうございます✨
よくある疑問への応援コメント
こんにちは橘さん。お邪魔します。
まとまった休日に、旧知の方を訪ねています。
今回は、感性と感受性と理性の話、かな。
よくわからないのですけど、わかるところは面白いです。
ちなみに。私は言語ありきの考えですね。
〝テクストの外部はない〟とか言ってたジャック・デリダのあたりの考え方です。
だから言語化できないとか言われたら、
それは無いものと見なす感じです。
音とか匂いや光景とか一次的な官能の産物以外では言語化しないものは人の中には残らない。
匂いで出来た概念は共有できない。
だからきっと感性は共有できないんだろうなあ、とか類推するのです。
まして感性を言葉にのせるなんて、長さを温度計で計っているように思えます。
そんな次第で、いつも感性はわからない。
私の感性は砕氷船ガリンコ号くらい雑いから。
そう言っているわけなのです。
それではまた、なにかの折に伺います。
作者からの返信
木山さん。ご無沙汰しています。
東京駅ってなんでこんな混んでるんですかね。
無責任なことを言うと、これを書いてた時の感覚が自分でもよく分からなくなるくらいには時間が経ちました。
デリダですか。
大学の頃に齧ってもう記憶の彼方。
軽く復習してからお返事しようかと思いつつ、忘れたままお返事するのも一興かと思い直していまに至ります。
言語ありき。
それも分かります。
ただ最近は言語にしようが精度を上げようが伝わらんときは伝わらんなと思って馬鹿馬鹿しくなってる日々なのです。むしろ言葉にすればするほど主導権を渡して消費されるだけ。ならもう何も語るまいと。
感性があるかないかはともかく、ある種の荒唐無稽なメタファーは一見関係のないものを繋ぎ合わせて、伝わるはずのないものを伝えようとするのかなと思ったりもしますよね。あるいは脳の近い部位を突いて誤認させようとするのかなと。それがロマンティシズムの領域なのか?とか。
感性は共有できない、ただ共有しようとして悪戦苦闘していると気持ちよくなったり悪くなったりすることがある気がする。そういう変態の所業なのかもしれません。長さを温度でどうにか伝えようとするような。
木山さんの感性がガリンコ号なのかどうかも、言われても私には分からない。感性がわからない、ない、と言いながら感性について雑いと自己言及する。それも不思議な話ですよ。
おかしな話です。
感受性や感性なんて剥き出しの性器みたいなものだと最近は思います。感じたくないのに感じさせられたりするわけです。
だから最近はもう、何も読まないのです。
苦しくて仕方ないのです。