第22話 ⑧同盟の成立

山本五十六は、静かに両手をデスクの上に組んだ。


その表情には、初めて感情的な動き、すなわち「確信」が浮かんでいた。


「よく分かった。山田艦長の報告書は、誇張でも虚偽でもない。貴官の理論は、我々海軍、ひいては我が国にとって必要な真実だ」


山本は、頼を見据え、言葉を続けた。


「吾妻大尉。貴官は、海軍の常識を破壊する技術を持っている。だが、その技術を潰そうとする『組織の慣性』もまた強大だ。私一人では、貴官を守り切れん」


山本は、そこで初めて「同盟」を求める目を頼に向けた。


「貴官の理論は、砲術に留まらない。艦艇の設計、航空機の運用、戦術の全てを根底から変えるものになりうる。私は、貴官の技術を政治的な楯となり、守る。その代わり、貴官には、海軍が真に必要とする『合理的な真実』を、数字で示し続けてもらいたい」


山本は、声を低くした。


「山田艦長からの報告では、貴官は艦体の動揺を最大限に利用する訓練をしているとある。それは、艦艇の構造上の欠陥に気づいているからか?」


頼は、ここで初めて、自分の秘密が、海軍の最高峰の知性に看破されたことを悟った。


彼は、一切の言い訳をせず、ただ一言、海軍の未来の悲劇を暗示する言葉を口にした。


「はい。船体が、戦術についていけていません。大佐。このままでは、美保関以上の大事故が、近いうちに必ず起きます」


「山本五十六は、深く目を閉じ、そして開いた。」


「……うむ。貴官の言う通りだ。船体が戦術についていけていない。このままでは、この先必ず重大な事故が起こるだろう。」


山本は、デスクに手を突き、前のめりになった。


「本来であれば、貴官を今すぐ東京の艦政本部に送り込みたい。だが、この異常な理論と、それを裏付ける『構造上の限界データ』無しに、保守的な艦政本部を動かすことはできない。貴官が艦隊決戦で必要とするデータが、まだ足りん。」


「吾妻大尉。貴官の任務は、この『神通』で継続される『新型測距システムの試験』という名目の中で、艦艇の構造的な限界を、徹底的に、秘密裏に計測し続けることだ。これは、私からの公式な辞令ではない。」


山本五十六は、山崎中尉と山田艦長を見据えた。


「山田艦長、山崎中尉。私はこの報告と貴官らの真実を担保し、海軍省を動かすための政治的な防波堤となる。これが、私と貴官らの連携だ。貴官らは命を懸けてデータという武器を集めよ。」


頼は、一切の言い訳も戸惑いもなく、静かに敬礼した。


「承知いたしました。今後は、最重要任務として遂行いたします。」


頼の東京への転任は見送られ、神通での極秘任務が命じられたが、彼の新しい任務は、以前よりも遥かに危険で重要なものとなった。


山田艦長の極秘の指示により、「神通」の訓練は従来の常識を完全に逸脱した。


「最大戦速での急変針射撃」「艦体に極限の負荷を与える観測」が、「新型システムの試験」という名目で、昼夜を問わず繰り返される。


それは、船体の限界を示すデータを、意図的に、秘密裏に収集する作業だった。


海軍中央は、これが単なる最新技術の評価であるとしか思っていなかった。


しかし、その事の真相を知る者は、海軍という巨大な組織の中で、山本五十六大佐を「盾」とするごくわずかな輪の中に閉ざされていた。


それは、山田艦長、吾妻頼大尉、そして山崎忠剛中尉という「神通」艦内の三名の実行者と、裏でそれを支える山本五十六大佐だけだった。


これは、この後の日本艦艇の壊滅的な被害を招くことになる、構造上の欠陥(復原性不足)の限界データを、吾妻頼が命を懸けて集めているという、極秘の任務であるということを。


「海軍のあるべき姿」への修正は、この瞬間、呉の静かな海域で、山本五十六という強力な盾を得て、より深く、秘密裏に始まった。


だが頼は、任務の重さを理解していた。この危険な訓練は、いつ船体損傷による事故を招いてもおかしくない。


しかし、この神通という艦に乗り、いつか来るコロンバンガラの運命を知っている以上、逃れることはできない。


頼の頭の中に浮かぶのは、幼い頃から継(つぐる)じいちゃんに聞いた、曽祖父、頼(たのむ)の艦の話、そして名古屋の燈と、母静の顔だった。

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