第3話 ③老婆との出会い
次の配達先は、昔ながらの古い二階建てアパートだった。
狭い敷地の奥にひっそりと佇むその建物は、タワマンとは対照的に、まるで時間が止まったかのようだ。
軽バンを路肩に寄せ、スマホの配達アプリを確認する。
宛先は二階。
そして、「手渡し希望」の表示が目に飛び込んできた。
オートロックのない玄関を入り、急勾配の階段を上る。軋む階段に、築年月の重みを感じる。
目的の部屋の前に着き、ピンポンを押す。
宛名をもう一度確認する。
そこには「〇〇ハイツ203号室」と書かれていた。
中から人の気配。
ドアが開くと、少し腰の曲がった年配の女性が顔を出した。
「配達に参りました、吾妻です」
手渡す荷物は、確かに小さい段ボール箱だった。だが、持ち上げた瞬間、ずしりと腕に響く重さがある。
中身は分からないが、飲料水のケースか、あるいは贈答品の瓶詰めか。
「こちら、お荷物です。小さいですが、重いので、お気をつけくださいね。」
自然と、言葉が出た。
普段、置き配ばかりで人と会話することなどほとんどないから、自分でも少し驚いた。
女性はにこりと微笑み、ゆっくりと箱を受け取ろうとする。その仕草を見て、改めて重さに気をつけなければ、と思った。
「あら、まあ。こんな暑い中、ご苦労様ねぇ。ちょっと待ってておくれ。」
そう言うと、女性は奥へ引っ込んでしまった。
「え?あの、大丈夫ですよ」
そう言いかけたが、既にドアは閉まりかけている。
数秒。一分。
汗が額から目に入りそうになる。
もしかして、何か問題でもあったのだろうか。
立ち去るべきか、待つべきか。
迷っていると、再びドアが開いた。
女性の手には、冷たいペットボトルのお茶が握られていた。
水滴でパッケージが湿っている。
「これ、良かったら。喉、乾いたでしょう?」
差し出されたお茶は、凍るように冷たかった。
「あ、あの……ありがとうございます!」
普段、見ず知らずの人からこんな優しさを受けることなど、めったにない。
いや、そもそも、誰かと温かい言葉を交わすこと自体が稀だった。
「助かります……」
キャップを開け、一気に半分ほど飲み干す。冷たいお茶が、熱を持った体に染み渡っていく。
「あらあら、そんなに急いで。ゆっくりしていきなさい。」
女性の優しい声に、なぜか胸の奥がじんわりと温かくなった。
「いえ、次の配達がありますので。本当にありがとうございました!」
頭を下げ、アパートの階段を駆け下りる。
その足取りは、先ほどよりも少しだけ軽かった。
そんな余韻もそこそこに、現実と言う名の、次の配達先が待っている。
スマホアプリのナビを確認し、軽バンを走らせる。
到着したのは中規模マンションだ。
エントランスのインターホンに507と入力して、呼び出しボタンを押す。
「ピンポーン、ピンポーン……」
2度、3度鳴り響く音が、夜の静けさに虚しく溶けていく。
……応答はない。
アプリの連絡先に登録されている番号に、ワンタップで発信。
数回のコールのあと、留守電に切り替わった。
出たくないだけか?
いや……見知らぬ番号からの着信なんて、警戒して出ないのもわからなくはない。
俺もそうだし。
ふと横を見ると、宅配ボックスが並んでいる。
「頼む、空いててくれよ……」
祈るような気持ちで確認する。
ランプは全部、赤。
すべて使用中。
このマンション、戸数は30を超えてるのに、宅配ボックスはたったの4つ。
圧倒的に足りてない。
ポケットから不在票を取り出す。
ボールペンでメモを書きながら、ふと天井の蛍光灯を見上げる。
白々と照らされた空間が、やけに空しい。
不在票をポストに差し込んだ。
「……無駄足か。いや、いいさ、慣れっこだ。」
なんでもスマホでポチッとすれば買える時代。
洋服も、カー用品も、俺の好きなキャンプ道具も。
テントだって、クリックひとつで翌日届く。
誰もが、汗ひとつかかずに欲しいものを手に入れる。
その荷物を運ぶ俺の手元には、何も残らない。
全ての配達は終わったけど、今日は不在で配りきれなかったので、拠点に荷物を戻すために車を走らす。
時間もガソリンも無駄だ。宅配ボックスが空いていてくれれば、、いや、いいさ、慣れっこだ。
この夜は、近所の持ち帰り弁当屋に寄った。
「今日ものり弁っすか?」
頼は小さく頷いた。
店員の声には、マニュアルじゃない緩さがある。
それが妙に心地いい。
「あと、発泡酒も。金色のやつ」
「ああ、いつもの。了解っす」
会話は、それだけ。
けれど、頼のなかで何かがほんの少しだけ、ゆるむ。
家に帰り、シャワーを浴び、眠った。
いや、正しくは眠ろうとした。
しかし、すぐに眠れるわけではなかった。
頼はいつものようにスマホを弄る。
自分のYouTubeチャンネルは放置し、履歴から
「太平洋戦争 海軍の悲劇」
という動画をタップした。
彼はミリタリーマニアと言う訳ではないが、現実の不安や人間関係の煩わしさがない、「既に終わった歴史」の中に逃げ場を求めていた。
スクロールしていくと、「軽巡洋艦 神通 最後の戦闘」という見出しが目に留まる。
頼はそこに記述された日付や海域、そして艦長の氏名を、何故か妙に鮮明に記憶した。
そうして、目を閉じ、翌朝を迎えた。
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