第3話 娼館も普通の商売
玄関フロアは広く、天井が高い。
琥珀色の淡いシャンデリアのきらめき…これは館主の好みらしい。
床は黒曜石と大理石の二色のタイルで、光を柔らかく返している。
壁には金の縁取りが施され、夜の花を模した装飾が等間隔に並んでいる。
香は薄く、甘く、邪魔にならない。
古いと言っても半世紀に満たない過去の遺物を懐かし気に飾る人間はいる。
人間はと言ったけど、私もここの雰囲気に慣れてきたのか嫌いではない。
(まあ、どうでもいいけど…)
受付は左手奥。
人間の女性が一人、背筋を伸ばして立っている。
私の姿を認めると、即座に頭を下げた。
「おはようございます、ヴェロニカ姐さん」
私は片手を挙げて応え、そのまま奥へ進む。
執務室は、玄関フロアの突き当たりにある。
執務室とはこんなものだろうか。
入口から見渡すも何も、見たら終わる。
他の執務室を知らないから正直分からないけれど。
全面に棚が並び、私の机と、小さなテーブルと椅子が二脚…それだけで、息苦しさを感じるほどの狭さは、私にとって心地がいいとは言えない。
最近、経理の事も多少見さされているので、その書類が空いていた棚を埋めた。
地震があれば…書類の下敷きになるほど私は鈍くはない。
それでもだ、紙埃の舞う小部屋に私がいる光景は、勘弁してもらいたい。
だから、ここでの仕事は速やかに終わらせて客室周りをしたいのだが…
私は椅子に身体を滑り込ませた。
机の上の未決済箱から、一番上の紙を摘まみあげる。
そこには、”収穫祭の準備が最優先!”と書いてある。
わかってる。わかっているわよ。
この紙はこの一週間ずっと未決済箱の一番上に置いている。
そしてこの紙はこの一週間、ずっと私を苛立たせながらも生き延びている。
確かに収穫祭は、毎年、別の都市からも上客が来る。
年一番の稼ぎ時で、放っておいても売り上げはそこそこ上がる。
できれば毎年、その売り上げを増やして欲しいは館主からの依頼だった。
”できれば”という枕があるから、できなくとも問題はない。
天候不順とか、内戦とかその国々の事情があって、右腕ぐらいの太い客が小指くらいになる事もあるでしょう。天を貫かんばかりの好景気が、収穫し忘れたしし唐みたいにうなだれる事もあるでしょう。
(違う!)
そう、売り上げはまあ、ずっと元気に上向きだからそこじゃない。
(ちょっと待って)
はたと気が付いて私は辺りを見回した。
この部屋への魔法の干渉を確認するが、その気配はない。
そもそも私は、この部屋に強めの結界を張っている。
その結界になんら乱れはない。
私は片手でこめかみを揉んで、溜息を付いた。
何の事はない、ここ数日間、私は同じ思考を繰り返しているだけ。
そして、いつも誰かが来て私は執務室を離れて終わりだ。
(これはまずい)
その前に、今日の来客予定者のリストだけは眺める。
数字は全く頭に入らないけれど、稼働が八割程度なのは頭に入る。
(あと5分、あるいは注文か…)
正門前で、脚を上げたあれでも…やめよう、さすが見苦しい。
そんなことを考えていると、案の上、扉がノックされた。
ああ、あの小娘を連れてきたのね。
こんな狭い所ではさすがに私の心も狭量になる。
ここでは、私の威厳も何も無いわね、私は立ち上がって自ら扉を開けた。
そこには見知った娼婦とその陰に隠れた青いドレス…あの小娘か。
「ここは手狭だから、そうね、玄関スペースにしましょうか」
今夜も、また数字の検討が出来なかった。
お客様がお見えになれば私が顔を出さないわけにはいかないもの。
そうするとお酒が入ってしまう、酒に強いとはいえ…さすがに書類は見れない。
私はあの小娘と娼婦モナルフィを連れて玄関フロアへと歩き始めた。
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