第51話 舌

 口を両手で抑えてうずくまる。


「ちょっと待て!」


 俺は携帯を後部座席の上に乱雑に放り投げると、来栖の両肩を握って素早く引き起こした。


「どうした!?」


 来栖の、口を抑える両手が真っ赤に染まり、血がしとどに溢れている。これは――


「まずい!この野郎、舌を噛みやがった!」


 車内に突如として緊張感が張り詰める。


 千弦がすかさず、運転する柴崎に叫ぶように言った。


「急げ!警察署の隣には病院がある!」


「へい!」


 柴崎が応じるやいなや、アクセルを踏んだ。


 急激な加速に身体が後ろに引っ張られるように倒れ込む。


 と、千弦が俺に向かって叫んだ。


「舌だ!舌を引っ張れ!」


 舌を引っ張る!?


 それでどうにかなるのか?


 俺はわけもわからず来栖の手をどけ口を強引に開けた。


 見ると、舌が喉の奥の方に引っ込んでいるように見える。


「舌は噛むと収縮して窒息するんだ!だからそれを防ぐために引っ張れ!」


 俺は来栖の口の中に右手を突っ込み、舌を掴んだ。舌は当然のように唾液と血液でぬるぬるとしており、とても掴みづらい。だがそれでも強引に強く掴んで引っ張った。


「気道を確保しろ!もうすぐ病院に着く!」


 自殺を図ったとはいえ、息が苦しければ必死に呼吸をしようとするのだろう。来栖が聞いたことのない音を立てて、必死で空気を吸い込む。飲み物に差したストローに息を吹きかけた時のように、ゴボゴボやらボコボコやらの音が車内に響く。


 と、柴崎が叫んだ。


「着きやした!」


 すぐさま車は急ハンドルで左に曲がった。遠心力で身体が外に向かって振られる。


 車が急ブレーキをかけて止まるなり、千弦が叫んだ。


「すぐに運び出せ!」


 千弦はすぐさま助手席のドアを開けて降り立つなり、病院の中へと駆けていった。


 俺は後部座席のドアを運転席から降り立った柴崎に開けてもらい、来栖の口に手を突っ込んだまま車から降り立った。


 だが来栖は息が満足にできなくて苦しみ続けており、自分の力では立てない。それどころか意識が朦朧としており、その身体はだらんとしていた。


 ソルスはこの間、何もしていなかった。ただにやにやと面白そうに見ていただけだ。


 俺は怒りを込めてソルスに怒鳴った。


「おい、ソルス!笑って見ていないで来栖の身体を持ち上げろ!」


 ソルスは面倒くさいと言わんばかりに、口をひん曲げる。


「早くしろ!俺との契約を忘れるな!」


 ソルスはようやく重い腰を上げ、来栖の下半身を掴んで持ち上げた。


 俺はそれを確認して引っ張る。


 ようやく来栖を車の外に出すことに成功したところで、病院の中に飛び込んでいった千弦が、医師や看護師を引き連れて出てきた。


「こっちだ!」


 看護師たちが持ってきたストレッチャーの上に、俺はソルスと息を合わせて来栖を乗せた。


「代わります!」


 看護師のひとりが俺に言った。これは俺の代わりに来栖の舌を自分が引っ張るという意味だと思った。だが同時に代わっている暇はないとも思った。


「いや、いい。このまま行こう!」


 そうして俺は、来栖の口に手を突っ込んで舌を引っ張ったまま、医師たちとともに病院の中へと入っていった。

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