第9話 被害者との会話

 暗黒空間に突如何かがうごめいた。


 ほのかな二つの光が、暗闇の中で激しくまたたいている。


 あれは、目だ。そのまばたきが、またたいているように見えるのだ。


 死神ソルスがスーッと横滑りして、切り裂かれた空間から離れた。


「話すがいい」


 俺は一歩前に出て、その仄かな瞳に優しく語り掛けた。


「怖がらなくていい。俺は橘陣。君に話を聞きに来た」


 瞳は一定の拍で瞬いている。


「君は殺された。そうだな?」


 俺の問いかけに、とてもか細くかすれた声で反応があった。


「そう……わたしは、殺された」


 口は見えないが、そう確かに聞こえた。


 俺はさらに問いかける。


「犯人は、来栖京介だな?」


「そう……わたしは、来栖に殺された」


「何故殺されてしまったと思う?」


 これは酷な質問かもしれない。だが、来栖を捕まえるためには色々と情報が必要だ。多少心は痛むが、聞かないわけにもいかない。


「わからない……なんであんなに恨まれたのか……」


 か細く掠れた声は、さらに消え入りそうなほどに小さくなった。


 だが俺は聞き逃さなかった。


「恨まれたというのは間違いないか?」


 声は少しの間を置き、答えた。


「恨みがあるって言っていたから……」


「でもその恨みには心当たりはないってことだな?」


「ないわ……わたしには心当たりなんてないわ……」


 動機は不明か。


「ところで、君の名前は?」


「わたしは、あきないようこ……」


「漢字を教えてくれるか?」


「春夏冬と書いてあきない。それに葉っぱの葉に子供の子って書くわ」


「春夏冬?あー!そういうことか。秋が無いから春夏冬と書いてあきないって読むのか。小鳥が遊ぶって書いて小鳥遊たかなしと読むのと同じようなものだな。鷹がいないから小鳥が遊べるって奴ね。わかった。春夏冬あきない葉子さんね。ありがとう。あと、年齢は?」


 これも重要な質問だ。声を聞いた感じでは若そうだが。


「二十五歳……」


 やはり若い。


「二十五歳か。来栖はたしか三十八歳だったな。ちょっと歳が離れているけど、関係性は?」


「アルバイト先が同じだった……」


「なるほどね。元同僚か。仲はどうだった?」


「特に良くも悪くもなかったわ……」


「つまり、ただの同僚ってことか?」


「ええ……」


 やはり、そうなると動機がわからない。


 俺は再度問いかけた。


「本当に?」


 春夏冬葉子はすかさず答えた。


「本当よ。たまに話すことがあったくらい……」


 俺は天を見上げて考え込んだ。


 殺された動機はわからないが、通り魔とかではなく、顔見知りではあったってことか。


「なぜこんなところで殺されてしまったんだ?」


 これもあまり趣味のいい質問ではないと思う。だが必要なことだ。心を鬼にして問いかけた。


「大雨の日の帰り道、もうすっかり陽は落ちて真っ暗だった。大雨だから人通りもほとんどなくて、不安な気持ちで歩いているところで、突然後ろから襲われて……雨で水浸しとなった道路に引き倒されて首を絞められたの……相手は来栖だったわ……」


 首を絞められた……彼女の声が掠れているのは、それが原因か。死後とはいえ、生前の状態が影響を及ぼすからだ。


「その後、なんとか来栖を振りほどいて逃げたんだけど……声が出なくて助けを呼べなかった……」


 やはりか。


「だからわたしは走って必死に逃げたのだけれど……このビルのドアが開いているのを見て、隠れられるかと思ったの……」


「だけど、見つかった」


「そう……それで上に上にって逃げてしまって……」


「ここで追い詰められてしまったんだな」


「そう……そしてわたしはまた首を絞められ……殺されてしまったの……」


 そういうことか。それなら動機が何であれ、殺害者が来栖京介であることは確定した。


 あとは奴を追いかけて捕まえるだけだ。


「わかった。ありがとう。俺が奴を捕まえて、ここに報告に戻る。それまで待っていてくれ」


 俺ははっきりと断定するように言った。


「本当に?……」


 春夏冬葉子の声は震えていた。


 俺は葉子を安心させるため、あらためて自信たっぷりに言い放った。


「約束する。確実に奴を警察に引き渡して、正当な裁きを受けさせてやるさ」


 葉子はさらに震える声で言った。


「ありがとう。待ってるわ……」


 闇の中の仄かな瞳は、ゆっくりと静かに消滅していった。


 と同時にめくれた空間が、瞬く間に元に戻っていった。


 俺は中空に漂う死神ソルスに向かって問いかけた。


「彼女の残留思念は拾えるよな?」


 ソルスは何の感情もなく答えた。


「当然」


「殺された者は、バケツに入ったペンキをぶちまけたように色濃い残留思念をその場に残す。そしてそれは、殺した者にも付着する。そうだな?」


「その通り」


「だから残留思念を辿れば、殺害者へと行き当たる」


「時間が経ちすぎれば消えるぞ」


 それはまずい。


「消えそうなのか?」


「かなり時間が経っている。薄いな」


 俺は即座に言った。


「急ごう。どっちだ?」


「北だ」


「わかった。なら早速、追跡開始だ」


 俺はさっと踵を返すなり、駆けだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る