第27話

「何してたんだよ、誠志朗せいしろう

 少し遅れた誠志朗に慎太郎しんたろうが訊いた。

「ちょっと、祐佑ゆうすけにひと言文句言ってただけだ」

 と、誠志朗は嘘をついた。

「そうか……」

「さて……俺はいったん誠心会せいしんかいの方に顔を出さなきゃならん。お前さんを松濤しょうとうのマンションで下ろすからさ、俺が戻るまで待っててくれ」

「え? 悪いよ……」

「何言ってんだ? お前さん宿無しじゃないか。それに無一文だろ? 遠慮なんかしてる場合かよ。第一、お前さんにはジジイを助けてもらったって返しがたい恩義がある。堂々と俺のなけなしの善意を受け取れよ。めちゃくちゃレアだぞ?」

「……ありがとう……誠志朗……あんた、ホントに優しいな……」

「俺を優しいって言うのは、この世でお前さんだけだよ。ほら、行くぜ」

 松岡家本家の門に横付けされていた誠心会のリムジンに乗り込み、クルマが動き出す。

「先に松濤のマンションに寄ってくれ。こいつを部屋に置いて行くから」

「かしこまりました、若」

 広瀬ひろせたちも、誠志朗の祖父である現誠心会総長の容態が持ち直したことを理解していて、山で見せていたような狼狽うろたえた様子はなく、落ち着いて見えた。

「なあ、広瀬」

「何か?」

「ジジイが持ち直したのはこの慎太郎のおかげなんだ。こいつがジジイを助けてくれたんだよ。わかるか? この慎太郎はジジイの……つまりは誠心会総長の生命いのちの恩人だ。以後、下にも置かぬもてなしを頼むぜ?」

「若のご友人が総長を?」

「ああ。こいつは俺と比べることもできないくらいの能力ちからの持ち主だ。細かい話はしても仕方がないから端折はしょるけどな。慎太郎が助けてくれなきゃ、ジジイは死んでた」

高生たかおさん!」

 助手席に座っていた広瀬が勢いよく慎太郎の方に振り向いた。

「ありがとうございます! あなたは総長の……いては誠心会の大恩人です! 我々でお力になれることがあれば、いつでもおっしゃって下さい。何としてもお力添えをさせていただきます。どうぞ、いつでもご遠慮なさらずお申しつけください」

 と、言われても、慎太郎はヤクザに何かを頼もうとはそもそも思わない。

 それでも広瀬の精一杯の感謝の意を受けて、慎太郎はうなずいて言う。

「……俺ができることをしただけだから……ご厚意はありがたいけど、広瀬さんたちは誠志朗を守ってやってください」

「若のご心配までいただいて……若。高生さんは本当によいお友達ですね」

「ああ。俺にとっちゃ初めての友達だ。お前らも慎太郎にはそのつもりで対応しろよ?」

「もちろんです。若のお友達であるだけでなく、総長の生命いのちの恩人ですから。決して失礼な真似はいたしません」

 広瀬の言葉に誠志朗は笑ったが、慎太郎はと言えば、ヤクザの下にも置かぬおもてなしなど、正直落ち着かないことこの上ない。

 しかしもちろん、そんなことを面と向かって言えるはずもなく、慎太郎は曖昧な笑みを浮かべただけだった。

 松岡家本家と松濤は案外近い。

 クルマはすぐに最初の目的地である誠志朗の隠れ家、松濤のマンションに到着した。

「ちょっと待ってろ、お前ら」

「はい、若。高生さまに誰か付かせましょうか?」

「ああ、それはいい。こいつそういうの慣れてないからな。かえって気を遣わすことになる。のびのび自由にさせてやってくれ。行こうか、慎太郎」

「ああ」

 エントランスを抜けて慎太郎の部屋へと向かう。

「さて……風呂でも何でも好きにしてくれ。着替えがいるなら勝手にクローゼット漁っていいからさ。それと……」

 誠志朗は長財布をローテーブルに置いた。

「場合によっちゃ帰れないかもしれないから、腹減ったらケータリングでも外食でも好きにしてくれ。金はここから出せばいい」

「でも……」

「でもじゃあないって。お前さん、現実的に金ないだろうが。金がなきゃ何もできやしないぜ? 遠慮することじゃあないんだよ。何て言ったって、お前さんは誠心会の恩人だ。ホントだったら本部にお招きしておもてなしってところだが、お前さんは気を遣って落ち着かないだろうからな」

 それは誠志朗の言う通りだったので、慎太郎はうなずくしかなかった。

「人間生きてりゃ腹が減るもんだ。この部屋は好きにしてくれていい。遠慮は無用だ。俺はさすがにジジイの顔見に行かなきゃならんが、帰ったらこれからの話をしよう」

「これから?」

「ああ。お前さんの、これからの話だ。松岡家まつおかけ本家当主を辞めて、実家とは縁を切っていて。そんなお前さんが今後どうやって生きていくか、一緒に考えよう。でもな、今はゆっくりしててくれ。美味いもんでも食って、ゆっくり休んで。考えるのはそれからだ。人間、腹が減ってる時に考え事をしたってろくな考え浮かびゃしないぞ?」

 そう言って、笑って誠志朗は鍵と財布を置いて部屋を出て行った。


 その日の夜遅く。

 ソファーで横になっていた慎太郎は玄関に人の気配を感じて身を起こした。

 誠志朗が戻ってきたのだ。

「誠志朗」

「何か食ったか? 慎太郎」

「うん。遠慮なく金使わせてもらった。久しぶりにピザ食いたくてさ、デリバリー頼んだよ」

「そっか……あー疲れた……」

「……大丈夫か?」

「ああ? 大丈夫だ。組の奴らときたら、総長のお加減もお悪いのですから、若にはこの機会に組にお戻り頂いて、次期総長としてのお役目をご自覚いただければと……とかぬかしやがるんだよなぁ……そんな暇あるわけがない」

「でもさ……俺、一方的に視ただけなんだけど、あんたのおじいさん、もうかなりの高齢だろう? あんたが側にいてくれたら安心するんじゃないのか?」

「……お前さんが抜けた穴を微力ながら埋めなきゃならん。俺は今、誠心会に専念するわけにはいかないんだよ」

「あんなことがあったのに?」

 誠志朗の返答に慎太郎は驚きの声を上げた。

「祐佑のことはこの際関係ないな。松岡家本家は日本を守る要だ。そこの当主が空席になった今、分家の者だけでも全勢力をあげて日本を守る一助にならないとな」

「誠志朗……」

「お前さんを責めている訳じゃない」

 誠志朗は淡く笑う。

「お前さんの気持ちは痛いほどわかる。俺はなんだかんだ言ったところで、そもそもの生まれがこっち側だ。財田さいたの血も、誠心会の血も。どっちにしたって闇の世界だ。だけど、お前さんは生まれも育ちも……その精神性も。どこから見たって光の側の人間だ。お前さんがこっちの世界のやり方に納得できないのは当たり前だ。こっちの世界じゃ人の生命いのちは軽い。お前さんにはわからないだろうが、本当に軽いんだ。もちろん、痛みを感じないわけじゃあない。だが、お前さんのように赤の他人の生き死にに、真っ当に感情を揺さぶられるようなことはないんだ。俺は、祐佑のやらかしたことは許せないが、だが理解できないわけじゃない。あいつが何故あんなことをしでかしたか……その思考を理解することは出来る。許す許さないというところとは別の部分で、あいつの行動を、その論理の飛躍を理解できるんだ」

「なんで……あんた、腹が立たないのか?」

「立つさ。だがな、お前さんはあいつの思考がまったく理解できないだろうが、俺にはわかっちまうんだよな、これが」

「……理解できない……」

「だろうな」

 誠志朗はふわりと笑った。

「俺は所詮、祐佑とは同じ穴のムジナだからな」

「あんたは違うよ!」

 慎太郎は叫んだ。

「絶対に、違う。あんたとあいつは、全然違う」

「ありがとう。お前さんにそう言ってもらえるのは正直嬉しいよ。だけど、祐佑の思考が理解できる時点で、あっち側なんだよ」

「だって、あんたは実際にやったりしないじゃないか」

「慎太郎……」

「最後の一線をちゃんと守ってる。あいつと同じじゃない。あんたは、俺よりもあいつのことを知ってるから……だからあいつの考え方がわかるだけで、あいつとは根本的に違うじゃないか」

 慎太郎の言葉に、誠志朗は気持ちが温かくなるのを感じた。

「あんたは違う。あいつとは違う。だって……あんたは俺のことを友達だって言ってくれるじゃないか。俺もあんたのことは友達だと思ってる。あいつとは、違う……」

「……ありがとうな、慎太郎。そう言ってくれて、俺は本当に嬉しいよ。そうだな……俺と祐佑の一番の違いは、隣にお前さんがいてくれるかどうかなのかも知れない……俺には慎太郎がいてくれる。俺は、お前さんに恥ずかしくない生き方をしようと思える。俺を友達と言ってくれるお前さんの顔をまともに見られない人間になるまいと思える」

「俺は……そんなご立派な人間じゃあない」

「お前さんは、俺が生きる世界に開いた窓だ。そこから俺は外の世界を眺めることができる。ごく普通に、当たり前に生きている人を、俺はお前さんを通して感じることができる。だがな、あいつにはそんな相手はいない。ただ、松岡家本家当主の側近筆頭になるために生まれて生きてきた……閉ざされた世界の中で……な。俺は、今まであいつに物の憐れを感じたことはなかったが、今、あいつを憐れだと思う。あいつの最大のミスは、お前さんと向き合わなかったことだ。あいつはお前さんをただ松岡家本家当主としてしか見ていなかった。一人の、高生慎太郎として見たことはなかっただろう。そこを間違えなければ、あいつは変わることができたんだと俺は思うよ。そこを憐れだと思ってる」

「あんた……何でそんなに人が好いんだよ……自分のおじいさんを殺そうとした奴にまで、そんな……」

 慎太郎の言葉に誠志朗は淡く笑みを浮かべた。

「いいんだ。俺にはお前さんがいてくれる。それで十分なんだ。お前さんは俺のたった一人の友達だ。友達って、今までホントにいなかったけど、いいもんだな。もしかしたら会うこともなかったかもしれない人間が、俺のことを誰よりも思ってくれる……俺が祐佑のようにならなかったのは、お前さんのおかげだ」

「誠志朗……」

「俺に任せておけ。お前さんが抜けた穴はとてつもなく大きいが、微力ながら俺が埋める。俺にできる精一杯の力で埋める。お前さんは、元の光溢れる世界に戻るんだ。いいな?」

「俺は……甘かったんだ。こんな能力ちからがあったって、何の役にも立たない。何の覚悟もなく、松岡家本家当主を継ぐって簡単に言って……俺は何もわかっていなかった」

「慎太郎……お前さんが何の役にも立たないって? 冗談じゃないぞ。お前さんがいなきゃ、俺のジジイは死んでたんだぞ? お前さんは人一人の生命いのちを救ってるんだ。それはわかるだろう?」

「誠志朗……俺は……」

「俺は?」

 誠志朗は柔らかな笑みを浮かべて問う。

「あんた……言ったよな? 俺が傲慢だって。だから、俺は俺にできることを当たり前だと思うことはやめた。俺は、俺にできることを精いっぱいやろうと思った。そう思って、俺は松岡家本家当主を継いだんだ。それは俺にしかできないことだと思って、継ぐことを決めた。だけど、俺の覚悟が甘かったんだ。当人のあんたがあいつに対してさして怒ってないのに……俺は、あいつが許せない。人の生命いのちをあまりにも軽く扱うあいつのことがどうしても許せないんだ。あんたが言ったように、松岡家本家当主が空席だってことは、この日本にとってすごく大変なことだということはわかってるんだ。それでも俺は、この世界で生きていくことがどうしてもできない」

「ムリをすることはないさ」

 言って、誠志朗は笑う。

 どうしてこの男はこんなにも軽やかでいられるのだろうと、慎太郎は思った。

「お前さんをサポートするために俺はいるんだ。それは何度も言ってきたな? お前さんは何も失うものはない。俺のものは全てお前さんのものだ。言ったよな? お前さんと俺の道が分かたれたとしても、お前さんはずっと俺の友達だ。俺のたった一人の友達だ。俺はこの生命いのちかけて、お前さんを守る。理由なんかたった一つでいい。お前さんが俺の友達だっていうことだけだ。お前さんは自由になれ。光の世界に帰れ」

「あんただって……あんただって、自由に生きりゃいいじゃないか。陰陽師おんみょうじもヤクザも蹴り飛ばして、好きなように生きればいい」

「俺がそれをするにはリスクが高すぎるんだよ」

「どう考えたって、俺の方がリスキーだろうが。一国がかかってるんだぞ」

 慎太郎の言葉に誠志朗はふっと笑った。

「誰もお前さんにそんな重責を頼んじゃいないよ」

「……そりゃ……そうだけど……」

「どこの誰が、お前さんに松岡家本家当主を押し付けた? あの野郎くらいだろうが。お前さんは自分の意志で松岡家本家当主を引き受けようと思った。そして、自分の意志で辞めたんだろう?」

「それは……そうだよ」

「そうだろう? お前さんはこっちの世界に愛想が尽きたんだ。違うか?」

「……そうなのかも知れない……俺は、正直言って修行は辛くなかったんだ。俺にとって、あれは必要なことだったんだと思う。ホントのことを言うと、あの修行をしてなかったら、あんたのおじいさんを助けることはできなかっただろう。でも……多分、俺は逃げてたんだ、現実から。俺は、無意識のうちに俺を待っている現実を感じていて、そこに向き合いたくなくって、逃げてた。俺が向き合わないといけない現実は、祐佑だ。あいつと向き合うことがイヤだったんだ。あいつが持っている闇を、俺は無意識のうちに感じ取っていたんだと思う」

「そうだな……お前さんは自覚していなかっただろうけど、多分そうだったんだろうな。言わば、お前さんとあいつはコインの裏と表みたいなもんだ」

「え?」

「コインの裏側は表を見ることはできない。表にも同じことが言える。お前さんは光を見ている。祐佑は闇を見ている。二人ともがそう生まれついてるからな。コインの裏表……言い換えれば背中合わせだな。お前さんとあいつはそれぞれ真逆のものを見ているんだ。絶対に視線が交わることはない」

「だからなのかな? 俺があいつのことを理解できないのは」

「それはあるかもな。お前さんと祐佑は見ているものがそもそも全く違うんだ。お前さんは真っ当に、真摯しんしに向かい合おうとしていた。だがな、祐佑は違う。あいつにとっての正義は松岡家本家だ。松岡家本家の継続だけが正義で……あいつはあいつなりの正義を持って、松岡家本家と向き合ってはいるんだろうとは思う。だが、お前さんと向いている向きが真逆なんだ。だから、お互いがお互いを理解できない」

「……そうだな……俺は、あいつを理解できないし……あんなことがあった今、そもそも理解しようとも思わない」

 慎太郎はきっぱりとそう言い切った。

「そうだろうな……」

 誠志朗はふーっとタバコの煙を吐いた。

「……慎太郎。腹減ってないか?」

 唐突に誠志朗がそう言った。

「え? まあ、ピザは食べたけど……減ったって言やあ減ったかも」

「じゃあ、メシ行こうか」

「いいのか? あんた疲れてるんじゃないのか?」

「お前さんはホントにできた奴だなぁ……自分のことより、まず他人のことを考えることが自然にできるんだから」

「そんなことはないけどさ……あんた帰ってきたばっかりじゃないか。あっちはあっちで、あんたの家ではあるんだろうけど、ここってあんたの隠れ家なんだろ? ゆっくりしたいんじゃないのか?」

「俺は腹減った。付き合ってくれよ」

「じゃあ、遠慮なく」

 慎太郎と誠志朗は連れだって部屋を出る。

 律儀に誠志朗を待っていたリムジンに乗り、慎太郎にとっては初めて訪れる、高級ホテルのラウンジに向かった。

 誠志朗はブランデーをたしなみ、慎太郎はここの名物のスペアリブをかじる。

「これ、美味いなぁ……」

「気に入ってもらえて嬉しいよ。良かったらガーリックライスも食いな」

「うん、もらうよ。ありがとう」

 一年間、精進潔斎していた慎太郎には久々の肉がとてつもなく美味く感じる。

「さっき、ピザなんか食うんじゃなかったなぁ……」

「気にすんなよ。これからはいつだって好きなものを食えるんだからさ。前に一緒に行った焼肉屋とかも行こうぜ」

「やった! すっげえ楽しみ! ありがとう、誠志朗!」

 嬉しそうに言った慎太郎に、誠志朗は笑みを深くした。

 食事を終え、松濤のマンションに戻る。

「広瀬、俺もう出掛けないからお前も下がっていいぜ。誰か当番の奴だけ残しておいてくれ」

「かしこまりました、若。ごゆっくりお休みください。高生さまも」

「あ、うん……ありがとう」

慎太郎と誠志朗は広瀬たちと別れ、エントランスを通って部屋へと戻って行った。

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