4 一番に慄く主人と、主人を訝しむ従者

 朝倉と、私と、他にも勉強やゲームに勤しむグループが数組。

 そんなまばらな教室の中で。


「どうしろと」


 ぽつりと呟いてしまう私。


 誰かに聞かれるほど不器用ではない。忙しい家の娘だからこそ、こういう密かな吐き出しによる発散には慣れている。我が家で代々受け継がれる技術の一つでもあるくらいだ。

 と、偉そうにしてるけど、今回は普通に聞こえる声量で漏らしちゃいました。ので、あくまで仕事に苦戦してますよの体をキープする。伸びをしたり、頭をかいたり。


 はぁ。本当にもう、マジで。

 どうしようと言いたい。叫びたい。

 今すぐ朝倉のそばに駆け寄って、耳元で叫んでやりたい。私は平凡なJKライフをおくりたいだけなのですが?


 あの朝倉とかいう化け物は、どう考えても有象無象の性犯罪者ではない。

 放っておいたら一体どうなってしまうのか……。


 放流は二年後、とも言った。


 盗撮がビジネスとして行われている話も知っている。なら素人の私でもわかる。

 今のうちに撮影しまくって、しばらく寝かせてから一気に販売するつもりなのだろう。犯罪組織かよ。いや、犯罪組織ならいいのよ。家の力で潰せるから。

 でもそうじゃなかった。心の声に一切出てこなかったから。もし関係者が絡んでて、指揮命令系統があるなら必ず心の声にも出る。出ないということは、朝倉は単独犯だ。


 となると証拠が出ないし、今後も出てくるかわからない。

 あの検討の密度を見るに、私個人が出し抜くのも難しそうだし、そもそもそんな戦いなんてしたくない。私は平凡な女子高生になるのです。


 これは心を読めるチートの欠点でもあった。根拠にできないのである。フィクションのように相手の気持ちを当てまくって信じさせることもできるけど、それでは平穏が遠のいてしまう。


 別に佐倉家の重みから逃げるつもりはないけど、私はのんびり暮らしたいだけ。

 世の中、戦いたがりは腐るほどいるし、強者はなぜか血筋がつながってるだけでその力を継がせたがるけど、うるせえ知るか。私はそっち側じゃねえんですー。


 その後も私は仕事を消化しながらも、延々と胸中で検討し続ける朝倉に注視していた。

 程なくして朝倉が立ち上がる。


<保健室を見に行く。吐き気ということにする>


 私も見に行きたい衝動に駆られたが、気付かれるわけにはいかない。

 素人の高校生を尾行するくらい訳ないはずだけど、なぜだか腰が上がらなかった。


 朝倉の行動で教室内の空気が変わったようで、残る組も帰宅を始める。

 私も乗っかることにして、ぱたんとパソコンを閉じた。




 =-=-=-=-=-=-=-=-




 駅前に佐倉家が運営するタワーマンションがある。

 資産運用は想定しておらず、リーズナブルな価格で高い利便性を提供したもので、ビジネスホテルならぬ『ビジネスマンション』と提唱。上層でも年収一千万程度の単身者が住める塩梅ということもあって、すでに満員御礼。

 余談だけど、満員御礼ってまんいんおんれいって読むんだよね。昔小さい頃にまんいんごれいと読んで、ちーちゃんに違うよといわれて、じゃあ調べてみようと検索したら、風俗のサイトが出てきて、何これと読んでみてびっくりした思い出がある――と、そんなことはどうでもよくて。


 実は下層は丸々佐倉家の別宅兼オフィスとなっていて、わたし達の生活拠点も含まれていた。

 2LDKの一室が与えられている。各部屋は広くて、洋室でも12畳、リビングは30畳。


 バシッ、ヒュンッ、パァンとサンドバッグに当てる音が心地よい。

 当てているのはわたし。今だけは汗も気にしないし、真顔でいいし、息だって好きに切れる。ちーちゃんのお付きは大事な仕事だけど、消化不良なんだよねぇ。


 正直言ってちーちゃんの方がはるかに強いけど、わたしがサボっていい理由にはならない。


(今はなおさら)


 ちーちゃんはというと、カフェインレスの紅茶を片手に、ノートパソコンで調べもの。

 仕事の雰囲気じゃない。でも画面を覗き込まれない位置取りポジショニングをしていて、やましさがあると思われる。カフェインに手をつけてないあたり、緊急ではなさそう。


 何してるんだろ、聞いてみようかな、どうしようかなと迷っていると、一瞬目が合った。


「いきなり変なこと聞くけど、盗撮についてどう思う?」


 親切なことにカメラのジェスチャーつき。

 盗撮、ですか……。


「わたしたちが美人だからって、勝手に撮らないでほしいよね」

「そっちじゃない」

「性犯罪のほう?」


 ちーちゃんはこくりと頷き、カップを傾けて、のどをこくりと鳴らす。

 ちょうど飲み干したようで、おかわりを補給しに席を立った。


「んー、特に気にしたことはなかったけど、ゴキブリみたいにうようよいるって聞いた」

「そうよね。私もそのイメージ。まあ私らは無縁だけれど」


 距離が離れてるし、わたしの打撃音と破裂音もうるさいのでお互い声を張り上げている。

 きりがいいので、わたしも練習を切り上げてキッチンに向かった。「汗拭きなさいよ」まあまあ良いじゃないのぅ。


 性犯罪としての盗撮と聞いても、大した感想が浮かばない。

 わたしもちーちゃんも、鬼の教育のせいで女子らしからぬフィジカルとメンタルを持っている。盗撮犯なんて近寄らせないし、撮られても気付けるだろうし、その場で制圧してしまえばいい。本家に頼れば事情聴取もスルーできる。

 ましてちーちゃんはわたし以上。こんなことで悩むほど可愛くはない。


「たしかにいきなりだね、どったの?」


 率直に尋ねるに限る。

 ちーちゃんは黙ったまま、わたしが冷蔵庫から瓶を取り出し、牛乳を注いで、ぷはぁと飲み干す様子を眺めてきた。


「――社内の盗撮事例が未遂も含めて数件挙がってるのよ」

「わぉ、うちでもあるんだねぇ」

「大企業だしね」


 従業員が増えてくると、人材のクオリティの統一が構造的に難しくなる。学校と同じように玉石混交になっていく。

 それは従業員数20万の大企業であり、優秀な人材の獲得競争にも勝ち続ける佐倉グループとて例外ではない。


「被害者性の若い意見も聞きたいってことで私に来たのよ」


 すっ、と口元にマイクを模した手が差し出される。「問題です」うわぁ面倒くさい。逃げよう。


「男性社員によるトイレや更衣室の盗撮を防止する対策を論じ――」


 良い機会なので、仕掛けてみることに。

 差し出された右手の甲の方に踏み込みつつ、わたしも右腕を添えて牽制。この時点でわたしが有利。あとは次の動きを見切りつつ、突っ切って逃げるだけ――なのに、ちーちゃんの重心移動と足払いが速すぎて。


 どんっ、とシンクに押し付けられて終了。


「論じるのです」


 今度は手がグイグイと頬をえぐってくる。痛いよちーちゃん。

 幸いにもすぐに離してくれた。すぐにレバーを上げて、手についた汗を洗い流している。

 無闇に接触もしてないし、実際ちーちゃんのルームウェアも汚れてない。そう立ち回れるだけの余裕があったというわけで――やっぱり強いなぁ。


 反射神経と瞬発力が違いすぎる。

 先生曰く、護身や戦闘の場面ではパワーよりもスピードがものをいい、スピードは技術と神経と集中力が肝という。多少の体格差であれば自重だけでも立派な凶器だし、人体には脆い部分も多いため、早く動けた方が勝てる。


 門外不出の戦闘術『佐倉流』において、佐倉千尋ちーちゃんは稀代の天才だ。

 その天才が横目で催促を促してくる。はいはい。


「対策っていうか、見せしめに厳しく処分すればいいと思った」

「盗撮の加害者は依存症であることも多いですわよ」

「じゃあ侵入を検出しちゃう? ドアに鍵かけて顔認証で開けるとか……」

「コストが高すぎますわね」

「だったら教育! 用を足す前はカメラに警戒しましょう、見つけたら速やかに上位者に報告エスカレーションしましょう的な」

「悪くないけれど、人の意思に頼るだけでは弱いわね」

「降参」


 はぁ、と可愛いため息。ちーちゃんはお疲れの様子だ。

 こういう難題の依頼は珍しいことではない。ひどいときは数十件抱えたこともあった。


「別にちーちゃんが負うことでもないと思うよ」

「ありがと。単純に悔しいだけよ。いい打ち手が思いつかない」


 悪い癖が出ている。ちーちゃんはプライドが高くて、納得がいかないとすぐ粘ろうとする。それがカッコいいところでもあるけど、もうちょっと自分を労ってほしい。普段のナマケモノ気質を見習うべき。


「お風呂、いただくね」

「ええ」


 とりあえず早めに解放されて助かった。ひどいと三十分以上付き合わされちゃうから……。


 脱衣所で、全裸になったところでわたしの手が止まる。


「ちーちゃん……」


 まだ何か隠している気がする。

 日中の様子も少しおかしかったし、そんな仕事なんて下に任せればいい。わたしよりもちーちゃんの方が何百倍もわかってるだろうし、自分のことになると見えなくなるほど無能でもない。

 そんなちーちゃんがをにじませている。


 ねぇ、ちーちゃん。何と戦っているの?


 付き合い長いし、わたしはお付きでしかないから出過ぎた真似もしないけど。

 困ったら遠慮なく頼ってね。

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