オルゴール戦記
ファナ少佐ちゃん
第一話「目覚める鋼」
1937年―――
運搬、建設、軍事、警察――その姿は日常に溶け込み、人々の生活を根底から変えていった。
世界は確実に、変わり始めていたーーー。
農地が広がる閑静な村で、鳥の囀りが辺りを包んでいた。
(ジジジジジ……ジジ)
その音は、家の外壁に取り付けられた旧型の発動機の修理音。
その近くには、クレーンのように構えられた作業用リーゼ、オルゴール1号のアーム。
その鋼鉄の掌に腰を下ろし、汗をにじませながら修理作業に没頭するのは、
16歳の少女――マキ・オルガンだった。
右腕の義手が、金属の工具を器用に操っている。歯車の調整、配線の確認、彼女の動きには一切の無駄がない。義手の関節部がわずかに軋む音すら、彼女には作業の一部に過ぎなかった。
「ふう……これで動くかな?」
最後のナットを締めると、発動機は一度、ちらつくように明滅し、次の瞬間、低くうなるような音を立てて始動した。
老夫婦の家の電灯が一斉に灯り、辺りにほのかな温かみが戻る。マキは汗を拭いながら、小さくガッツポーズを作った。
「降ろして、オルゴール」
そう言うと、オルゴール1号のアームはゆっくりとマキを乗せたまま地面へと下がる。
「治ったのかしら? マキちゃん、ありがとうね〜」
「いやあ、ほんと助かるわ。ろうそくの火じゃ料理もままならなくてねえ」
家の中から顔を出した老夫婦が、満面の笑みで手を振る。
マキも笑顔を返しながら工具箱を閉じた。
片付けを終えたところで、老婆が慌てて駆け寄ってきた。
「今日はお昼食べていかないの?」
その言葉に、マキは一瞬心が揺れた。だが町での買い物を思い出し、申し訳なさそうに首を振る。
「すみません、今日はちょっと時間がなくて…」
オルゴールのコックピットへと駆け足で向かいながら、マキは振り返って手を振る。
「よし! オルゴール、出発するよ!」
当然、返事はない。
けれど、マキは思わず語りかけてしまう。静かに始動する音が、唯一の相槌のようだった。
踵のホイールが地面を蹴り上げるようにして走り出すオルゴール。
足元で巻き上がる土煙が、陽に照らされ黄金色に揺れていた。
「夕飯、何にしようかな? オルゴール。お爺ちゃんの好きなアレにしようかな…」
独り言混じりに進むその道すがら、マキはラジオのスイッチを押す。
機内スピーカーから、ノイズ混じりのニュースが流れてきた。
『…テログループ“アトラスの矢”、首謀幹部の移送が開始された模様です。軍警察中隊が護送を担当し、安全確保中です…』
その瞬間、マキの指がわずかに震える。
喉元を何かが通り過ぎたような違和感と、胸の奥がざわつく感覚。彼女は無意識にアクセルを踏み込んでいた。
街道の先、帝都方面の空がわずかに霞んで見える。
ラジオの声は、その先で起きつつあることを淡々と告げていた。
――そのニュースが流れている、その頃。
重厚な鉄の車輪がレールを擦り、金属の悲鳴のような音を立てながら列車が走る。
帝国西部の山間部を抜け、都市部へと続く長いトンネルを進む軍用高速列車。
その車両のひとつには、異様な静寂が漂っていた。
そこに座るのは、一人の男――アーヴェ・フォルク。
“アトラスの矢”の幹部にして、数々のテロを指揮した張本人。
手足を拘束され、顔の半分を覆うバイザー越しに、彼はかすかな笑みを浮かべていた。
「……帝国の車両は、いつ見ても無駄に重厚だな」
皮肉を言うような声に、警備兵が目を光らせる。
だが、彼の前に立つ軍警察の中尉が、静かに手を上げた。
「余計なことを言うな。目的地は目前だ」
「帝都の収容施設…か……あそこは墓場だ」
アーヴェは小さく笑い、背もたれに身を預ける。その笑いは、列車の軋む音と混ざり、どこか不吉な響きを帯びていた。
車両後部の無線からは、規則的な通信が流れる。
『護送列車、第七区間を通過。予定通り輸送車への切り替えポイントへ向かう』
中尉は短く返答し、周囲の警備兵に目を配る。
「気を緩めるな。帝都まであと三時間。ここを抜ければ安全圏だ」
「はっ!」と敬礼した声が響く。
だが、一人の若い兵士の手が、わずかに震えていた。汗が顎を伝い、制服の襟を濡らす。
「……本当に、大丈夫なんでしょうか。情報が漏れているという話が──」
「軍警察に抜かりはない。そのための輸送車への切り替えだ。ダミー輸送車も出す」
中尉の言葉は冷たくも断言的だった。
だが、車内に漂う緊張の空気は、列車の振動と共にどこか重く沈んでいた。
やがて列車は、都市外れの輸送ポイントに到着する。
車両の横には、エンジンを唸らせる装甲輸送車の隊列が整然と待機している。
護衛には、装甲車とリーゼ部隊。
その中でもひときわ目を引くのは、軍警察のエリートが駆る機体――
フロッグポリス・セカンドが悠然と立っている。陽光に照らされた装甲が、輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。
「輸送車両、出発準備完了。これより都市部ルートへ移行します」
「よし、行け!」
中尉の号令で、列車からアーヴェを乗せた輸送車がゆっくりと動き出す。
舗装された石畳の街道を進むと、遠くに街の尖塔群が見え始める。
その頃――同じ街の外れ、倉庫街。
積み上げられた荷台の影に、数人の男たちが身を潜めていた。
手にはライフル。薄暗い路地の中、腕に黒い矢の紋章を刻んだ影が、ひそやかに息を潜めている。
「……準備完了。輸送車列が通るのは、あと五分」
「計画通りにやれ。連中がポイントに入った瞬間、仕掛ける」
低く、濁った声が響く。
その中心に立つのは、巨大なリーゼ数機。機体の肩には、塗り潰された識別番号。
「ボスを取り戻す。連中に、目にもの見せるぞ」
男の声が終わると同時に、遠くから車列のエンジン音が近づいてきた。
都市のにぎわいの中で、鉄と火薬の臭いが静かに混ざり合おうとしていたーーー。
街の輪郭が見え始め、マキとオルゴールは大通りに入ろうとしていた。
街は、昼でも人で溢れていた。
運搬用、建設用、警察用の多種多様なリーゼが行き交い、地面はその巨体の振動で微かに揺れている。
マキは駐機場にオルゴールを止めると、勢いよく飛び降りた。
メモ帳を広げ、買うべきものを口に出して確認する。
「えーと、お肉と野菜と…あとミルクも…」
ビール片手に昼から騒ぐ人々の間を縫いながら、マキは肉屋へと向かった。
「マキ、今日はソーセージか?」
「うん、サービスお願い!」
肉屋の店主が笑いながら袋を手渡そうとした、その時だった。
(ドォン!)
轟音。
視界が一瞬、白く閃いたかと思えば、続いて建物の向こうから黒煙が立ち上る。
耳をつんざく爆発音に、人々の叫びが重なる。
「テロだあああ!!」
「テロ…!? まさか…」
マキの背筋に冷たいものが走る。
幼い頃の記憶がフラッシュバックする。
母の叫び、血に染まった床、自分の小さな手が赤く濡れていた光景。
過呼吸気味になるマキ。
キーンとなる耳鳴りで何も聞こえなくなっていたその時、足元の、割れたガラスが鈍く光った。
「…助けなきゃ、助けなきゃ!!」
マキは全力で駆け出した。
オルゴールの操縦席に飛び乗り、機体を始動させる。
巨大なボディが震え、目を光らせて立ち上がる。
戦場と化した街。
テロリストのリーゼが暴れ回り、銃火が飛び交う中、避難する親子の上に建物の瓦礫が崩れ落ちようとしていた。
「間に合えええええッ!!」
マキは機体を巧みに操作し、オルゴールの巨体をその前に滑り込ませた。
ホイールが石畳を削り、重たい瓦礫が肩部装甲を叩き潰す。
中で警告灯が赤く点滅するが、親子は無事だった。
「早く逃げて!!」
敵の銃口がこちらに向く。
オルゴールが盾になったまま動けない。
焦りと恐怖が交錯する中、マキは周囲に視線を走らせた。
「…あれだ!」
破損した軍警察のリーゼが落としたシールドが、半ば瓦礫に埋もれていた。
「当たれ!!」
マキはワイヤーアンカーを射出し、それを引き寄せると、その勢いのまま敵機にぶつけた。
後部の動力部に命中したのか、装甲がへこみ、噴き上がる煙。
「止まってくれた?!」
敵機が爆音を立てて倒れる。だが、まだ終わりではない。
「なんだ?! 新手か!!」
動揺するテロリスト。
「まとめてかかれ! 時間がない!」
テロリストたちが連携を取り始めた。
マキはリアボックスから巨大レンチを左手で引き抜き、再び戦場へと身を投じる。
振り抜かれる鋼鉄の一撃。
風圧で周囲の粉塵が舞い、1機、2機と敵機がなぎ倒されていく。
「なんなんだ、こいつ…!?」
次の瞬間、オルゴールの目が怪しく輝く。
出力計が異常な反応を示し、敵の一機を捕捉すると、その機体は宙に舞い、まるで解体されたかのようにバラバラとなって地面に散った。
「残り…一機?!…」
マキの手が震える。息は荒く、額から汗が滴る。
一瞬、街が静まり返ったように感じられた。
破壊された装甲車の上に、ひときわ異様なシルエットが現れる。
軍警察仕様のリーゼ――フロッグポリス・セカンド。
その胸部装甲には、さっきまで護送にあたっていた中隊章。
そのコックピットに、仁王立ちする影があった。
──幹部アーヴェ・フォルクが、奪った軍警察のリーゼを乗り込み、見下ろしていた。
右腕には分厚いパイルバンカー。
左腕のシールドの脇には、近距離用ショットガンの砲口が覗いている。
「面白いなお前!!」
スピーカー越しの声が、耳障りなほど楽しげだった。
「まるで、あの女みてえだなああ!!」
「あの女…?」
マキが思わず呟いた瞬間、アーヴェ機の左腕がわずかに跳ね上がる。
(来る――!)
「死ねや、黄色いのおぉ!!」
乾いた炸裂音。
ショットガンの散弾が扇状に吐き出され、空気を裂いた。
「っ……!」
マキは咄嗟に操縦桿を倒し、ホイールを全開で回す。
オルゴールの足元が横滑りし、石畳の上を火花を散らしながらスライドする。
散弾が、さっきまでオルゴールがいた空間を薙ぎ払った。
背後の建物の壁が蜂の巣のように抉れ、ガラス窓が一斉に粉々に砕け散る。
(あと半歩、遅れてたら……)
息をすることさえ忘れそうになる。
アーヴェは笑いながら、追撃のショットガンを撃ってきた。
散弾が地面を抉り、石片がオルゴールの装甲を叩く。
「逃げ回るだけかよ、ああ!? “あの女”はもっと前に出てきたぜ!!」
「あの女って……誰のことですか!」
問い返しながら、マキは建物の陰に滑り込む。
角を利用して一瞬視線を切ると同時に、アーヴェ機が建物の角を吹き飛ばした。
(ドゴォン!!)
ショットガンの弾が壁ごと角を削り、粉塵が噴き出す。
ホイールをきしませながら後退するオルゴール。
視界は悪い。だが、その隙間から、パイルバンカーの先端がぎらりと光るのが見えた。
「隠れんなよ!」
アーヴェ機が突進してくる。ホイールの唸りと重量の乗った衝撃で、石畳がひび割れていく。
「来るっ!」
マキがシールドを構えるのと、パイルバンカーが突き出されるのはほとんど同時だった。
(ガギィィィン!!)
凄まじい衝撃。
シールドごと機体が後ろへ弾き飛ばされる。マキの身体がシートに叩きつけられ、視界が揺れた。
「まだ…まだっ…!!」
シールドの警告ランプが真っ赤に点滅する。
前面装甲は、ほとんど持ちこたえていない。
息を整える間もなく、二撃目が来る。
「終わりだァ!!」
アーヴェ機がショットガンを地面に向け、牽制の一斉射。その爆音と粉塵に紛れて、死角からパイルバンカーを突き込んでくる。
「っ――!」
マキはシールドを斜めに構え直す。
だが、防ぎきれなかった。
パイルバンカーがシールドを貫き、支柱ごと粉砕した。
金属片がオルゴールの胸部装甲をかすめ、警告音が機内に鳴り響く。
「ぐっ……!」
手にしていたシールドは、もはや原型を留めていない。
続く右拳が、オルゴールの左腕関節を正確に叩き潰した。
関節部がひしゃげ、配線が露出して火花を散らす。
唯一の武器である巨大レンチが、力なく地面に転がり落ちた。
「左腕が…動かない…っ!」
左側の操作レバーを引いても、反応はない。
「ハッ、丸腰じゃねえか!」
アーヴェ機がホイールを鳴らし、半円を描くようにマキの周囲を滑走する。
右のパイルバンカーがいつでも突き出せる間合い。
左のショットガンは、逃げ場を潰すようにじりじりと向きを変えていた。
「終わりだ!!」
パイルバンカーの先端が、狙いを定めて迫ってくる。
距離はほとんどゼロに等しい。
(ここまで……?)
喉がひりつく。
その瞬間――
オルゴールの動力ユニットが、突如として悲鳴のような高音を上げた。
「……え?」
出力計の針が、あり得ない値まで跳ね上がる。
計器盤のランプが一斉に明滅し、薄い振動が機体全体を走り抜けた。
(プツッ)
何かが切り替わるような感覚。
マキの心臓が、強く一度だけ脈打つ。
マキの義手も同じように光を放ち、指先が震え始める。義手の内部の動力ユニットが唸りを上げた。
「な…なんだ!? この光は!」
アーヴェが動揺する。
次の瞬間、オルゴールが視認できない速さで横に滑走。
「なにっ──!?」
パイルバンカーが突き通していたはずの空間には、もうオルゴールの胴体はない。
代わりに、地面を抉るだけの空撃ち。
石畳が砕け、粉塵が舞い上がる。
(速い……!)
マキ自身が、その加速に追いつけない感覚を覚える。
ホイールが悲鳴を上げながら、オルゴールは円を描くようにアーヴェ機の背後へ回り込んでいた。
「クソッ――!」
アーヴェがショットガンを乱射する。
だが、そのほとんどは空を撃つか、遅れた位置の地面を抉るだけだった。
「今――!」
右アーム、まだ動く。
マキは、残された右拳に全出力を込めた。
オルゴールの右アームがうなりを上げて伸びる。
アーヴェ機のボディ側面――咄嗟にガードした右腕のパイルバンカーに、拳がめり込んだ。
「ぐっ……!」
厚い装甲が歪み、内部のフレームが軋む音が伝わってくる。
制御系統が乱れたのか、アーヴェ機の関節がガクガクと震えた。
「まだだッ!」
マキは続けざまに足を踏み込む。
ホイールをロックし、左脚の義足にまで負荷がかかるのを感じながら、全体重を乗せた蹴りを叩き込んだ。
オルゴールの脚が、アーヴェ機の腰関節を蹴り砕く。
バランスを崩した敵機が宙に浮きかけたその瞬間、マキは追うようにホイールを解放した。
「うわあああああッ!!」
跳び上がるように加速し、上から右拳を叩きつける。
頭部と胸部の境目を狙った渾身の一撃。
(ドゴォォ!!)
嫌な音とともに、アーヴェ機が地面に叩きつけられた。
装甲の合わせ目から火花が吹き出し、油と煙の臭いが一気に周囲に広がる。
ボロボロになったオルゴールの拳から、金属片がぽろぽろと落ちる。
(プシューーー……)
動力系統の過負荷で、オルゴール各部から白い煙が噴き出した。
マキの視界が、一瞬白くかすむ。
「はぁ……はぁっ……」
息が荒い。
計器は、ほとんど真っ赤な警告で埋まっていた。
そこへ、軍警察の応援部隊が到着する。
「な……なんだ、この有様は……!」
複数の装甲車とリーゼ部隊が周囲を取り囲む。その中のひとりが、オルゴールの黄色い外装を目にして叫んだ。
「あれは…オルゴール!?」
フロッグポリスの一機から降りてきた男がいた。
短く刈った髪、見覚えのある軍警察の制服。
「マキか!? マキ!」
彼――カール・リープマン軍警察官は、マキの知り合いだった。
「マキ、大丈夫か!?」
彼は駆け寄り、酷く歪んだコックピットハッチに手をかける。
何とかこじ開け、中の様子を確認しようと身を乗り出した。
「終わった…の?……ごほっ…」
マキがかすれた声で呟いた、その次の瞬間。
「っ……!」
鮮血が彼女の唇から溢れ、前のめりに崩れ落ちる。
「マキ! マキ!!」
カールが慌てて受け止める。
彼女の顔は真っ青で、呼吸も浅い。
「誰か、救護班を!! メディックを呼べ!!」
喧騒の中、少女の命が、光と鉄の匂いの中で揺れていた。
――つづく
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