怪人と真実

夜中2時、俺は一人で街を歩いていた。

—怪人を捕まえるために。


俺は重たい足取りで階段を登った。生まれて初めて自分の推理が外れていることを願っていた。扉をゆっくりと開けた。窓の外の街灯の青白い光の中に一人、佇んでいる人影があった。

「やっと見つけたぞ、怪人。」

こちらに背中を向けていた影がこちらを振り返った。

「やはりお前か——アッシュ。」

「遅いんですけど。」

アッシュは力無く呟いて少しうつむき、前髪で表情を隠してしまった。それでも彼の口元が楽しげに歪んでいるのが見えた。

ゆっくりとアッシュはこちらに向かって歩いてきた。

「ちなみに、どうやってここがわかったんですか。推理をお聞きしても?探偵サン?」

「あの和歌の謎を解いたまでだ。」

「へぇ、古文の成績、下から数えたほうが早いのにわかったんですね。」

「…健之に教わった。」

「でしょうね。さあ、続けてください。」

「『うしける』は文法がおかしいんだ。正しくは、『うせける』だ。だからこの和歌は文法を捻じ曲げてでも伝えたいメッセージがある。『ぬばたま』『叢雲』も夜や月を連想させる。ならば『うし』は丑の刻のことを指すわけだ。」

「わぁ、すごいですね!絶対に律さんには解けないと思っていたのに。」

アッシュは目を輝かせて言った。だが、その輝きはどこか脆く危なげなものだった。

「それだけじゃ怪人が誰か絞り込めませんよね?なんで僕だって目星つけていたんですか。」

「あの和歌にある『庚申こうしん』が興信所と掛けられていることに気がつけば、ここを知っている人は限られる。」

「でも、自分で言うのもなんですが、僕は律さんが考えた犯人像から程遠い人物だと思いますよ?」

「俺はどうやら勘違いをしていたようだ。あの多くの傷はなぶった際にできたものじゃない。躊躇ためらってできたものなんだ。繊細で優しい性格のアッシュらしいな。」

「過大評価しすぎ。僕はそんな良い人間じゃないですよ。」

なんだか俺がアッシュの家さえ知らないことを責められているような気分だった。俺はアッシュのことを見ていなかったのかもしれない。

「申し訳ない。俺が不甲斐ないばかりに…」

俺は俯いた。アッシュを直視することができなかった。そして、そんな弱い自分に腹が立った。

「良いんですよ。僕は律さんが探偵として輝いていてくれれば。ただ、それだけで。他には何もいりません。」

いつの間にか近づいてきていたアッシュはポケットから玩具の手錠を取り出した。

「さあ、この手錠を僕に掛けてください。」

「そんなことできる訳がないだろう!」

俺は手錠を奪い取って床に叩きつけた。安い作りの手錠はチェーンの部分が壊れてしまった。

「ああ、ダメだって、律さん。探偵たるもの常に冷静でないと。」

「許せ。許してくれアッシュ…」

膝に力が入らなくなって、俺はその場に座り込んだ。

「俺はバカだ。ここまでならないと、自分の本心にすら気づかないんだ。…俺はお前のことが大切だ。だから…こんな真実なら知りたくなかった…」

真実なんて…と繰り返す俺の背中をアッシュはしばらくの間さすり続けた


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る