魔王の育児休暇日記

ヒロまるだし

プロローグ

とある日の居酒屋

居酒屋「のんべい」には酒とタバコの匂いが充満していた。

カウンターの端に座る男の前で、大将は、ビール瓶をそそくさと差し出した。

「大将…もう1瓶くれ。今日はツレが来るんでな」

「あ、あいよ!ただいま!」


客の誰しもがその男に息をのんだ。

角のような黒い突起。鋭い瞳、異様な圧。

——誰もが知る魔王だった。


後ろにいた客が魔王の姿に気づいて口々に声を漏らす。

「ま、魔王だ…」

「てか、魔王って居酒屋くるんだな…」

「うそだよ…普通の客人と変わんねぇじゃん」


ざわめく声など気にも止めず、グラスに入った酒を流し込んだ。

酒が喉を通る音だけが店内に響いた。


その時——カラカラという引き戸が開く音がした。

魔王は振り向くこともせず、ただ独り言を呟くように吐いた。

「来たか・・・」


金属のような足音を鳴らしながらその客人は、魔王の隣の席に腰を下ろした。


「よぉ…魔王。久方ぶりだな」


魔王が横目で見ると、そこにいたのは——かつて幾度となく戦場で剣を交えた勇者の姿だった。

しかし、痩せ細った体、落ちくぼんだ瞳。

見る影もない。


「お前も…って何だその姿は?!!」

勢い良く立ち上がる魔王に、勇者は笑みを浮かべる。

「見ての通りさ、俺の寿命はもうすぐ尽きる。」

勇者は大将に小声で頼み、出された酒を手にとるとグラスを指先でなぞった。


「チっ・・・なら酒なんざやめとけ!

最後の晩餐しちゃぁ、ちんけな店じゃねぇか。」

「最後にてめぇとこいつで語りたくてよ…」

勇者はそういって、グラスを掲げる。


「バカ野郎が…最後なんて言うんじゃねぇよ!縁起でもねぇ」

魔王は腰を下ろし、勇者の顔をみつめた。

「治らねぇのか…?」

恐る恐る聞く魔王に勇者はグラスを持った

「あぁ・・・色んなところに癌が転移しちまってる。魔王には勝てど、寿命には勝てねぇ…情けねぇ話さ」


魔王は自分の胸に手を当てた。

「俺に任せとけよ!魔法とかでなんとかして・・・」

「やめろ…」

勇者は言葉をかぶせてくるように言い放つ。


「そんな事されたら、ただのバケモノと一緒だ。そんなんで長生きはしたかねぇんだ。」


しばしの沈黙。

二人の間で、タバコの煙が細く立ち上がる。

魔王はチラリと勇者をみた。

「てめぇとはよく戦ったな。」

勇者は呟く。

「あぁ…242勝241敗1引き分けだったっけか?」

「よく覚えてやがる…。」

「そりゃあ勇者だからな。」

「くだらねぇ事ばっか覚えやがって」

「それはてめぇもだろ?」

二人は同時にクスッとした。


「なぁ…魔王よ。お前が人間界を襲わなくなったことで神も俺は用済みになっている。俺が死んでも、もう誰も蘇らせてはくれねぇ」

「神なんざそう言うもんさ。」

魔王は鼻でわらう。

「んで?何が言いたいんだ?」

勇者はグラスを置き

少し唇をかんだ。

「ガキが生まれたんだ。」


横目でジロリと見つめた魔王は口角を上げた。

「剣しか取り得なかったお前がか?」

「あぁ…変なもんだよな?40過ぎて子ができるなんてよ。」

勇者はグラスを置き、深く頭を下げた

「頼みがある…ガキの面倒を見てやってくんねぇか?」

カウンターのグラスが震える程、魔王は拳をテーブルに叩きつけた。

「ばかいえ!人間のガキをか?!!」

「お前にしか頼めねぇんだ。」

「お前の仲間がいるだろうが!」

「いや、、、あいつらはもう家族がいる。迷惑はかけたくねぇ。」

勇者の声は掠れる。

「各国の王達が俺の子を狙ってやがる。勇者の血は、戦の道具にもなる。…妻だけじゃ守りきれねぇんだよ」

椅子を引いて勇者は頭を下げた。

「恥を偲んで頼む!!魔王、俺のガキの面倒を見てやってくれ!」

「だからってなんで俺なんだ?他にもいんだろ?」

「お前だけなんだよ…俺の敵だったお前だからだよ。王にも神にも屈しねぇ。お前だけが守ってやれる。」

勇者は再び頭をさげた。

「魔王…頼むよ…ガキの面倒を見てやってくれ。」


長い沈黙の後、魔王は深いため息をついた。

「まぁ、てめぇには仮がある。…ほんとに勝手な奴だ」

「あぁ…ありがとう」

「で?名前はなんつーんだよ?」

「リトだ。」

魔王は笑みをこぼした。

「いい名だ。…」

そして最後にグラスを掲げた。

「勇者よ…これが本当に最後の戦いになるかもな?」

「勝敗はどう決めるつもりだ?」

「てめぇのガキが笑顔ならてめぇの勝ち。てめぇのガキが笑顔じゃなかったら俺の勝ちだ。」

「ははっ…ガキがどうなろうと、俺は子を愛し続けるだけだ。」


二人のグラスがカンとガラスの音を立てて響きわたった


桜が散る満月の日

勇者——リオン・ブラッドが息を引き取った。

悲しみにくれる中。世界中の王達が動き出す。

そして、魔王は月夜の空にグラスを掲げた。


「ついに行ったか?勇者よ…まぁあとは任せておけ」

背後に控える魔獣、魔物達が頭を下げる。

「人間界にいる、リトを奪いにいくぞ」





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