雨森の中で
淡内 梢
第1章 消えたい人
第1話
その森は人々に恵みの雨をもたらした。
しかし、その森に立ち入った者は――
* * *
「お客さん、終点だよ!」
突然の声に、
バスに揺られているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。
何か夢を見ていたような気がするが、もう思い出すことはできない。
声をかけたバスの運転手は、すでに車内の片付けに入っていた。
「あの、すみません。ここは『
運転手に整理券と運賃を渡しながら明里はおずおずと尋ねた。
「そうだよ。寝過ごしたのかい? 折り返しのバスは一時間後だから、どこかで時間を潰して待ってな」
片付けを終えた運転手は帽子を被り直す。
「まぁ、この辺は何もないけどね」
まさかここで降りる予定だったとは言い出せず、明里は曖昧に頷いてバスを降りた。
バスのエンジン音が遠ざかった後、辺りは静寂に包まれた。
人けのないバス停には簡素な造りの待合小屋と、やや傾いたベンチだけが置かれている。
先ほど慌てて起きたせいか軽い頭の痛みを感じた明里は、今にも壊れそうなベンチにゆっくりと腰掛け、ぬるくなったペットボトルの水で頭痛薬を飲んだ。
母親と喧嘩になり、衝動的にいつもとは反対方向の電車に乗ったのは今朝のこと。
さらに電車とバスを乗り継いでようやくここに辿り着いた今、すでに太陽は真上を過ぎていた。
ひと息ついた後、制服のポケットからスマホを取り出し地図アプリを開いた。
笠木間村は周囲を山に囲まれた細長い地形になっている。
今いるバス停は山が途切れた村の入口付近、そして明里が目指す場所は村の一番奥にあった。
体力に自信のない自分の足では一時間近くかかりそうだと明里は顔を曇らせる。
帰りのバスの時間が気になったが、すぐに思い直した。
「そっか、もう帰りの事は考えなくていいんだ。ここで消えるんだから」
今度はブラウザを開き、ブックマークしていたウェブサイトにアクセスした。
そのサイトには日本各地の伝承や都市伝説を集めた記事が並んでおり、明里はその内の一つを開く。
◇
【笠木間村にある神隠しの森について】
古くから禁足地となっているこの森に立ち入った者は皆、忽然と姿を消してしまう。
そのため、この森は『神隠しの森』とも呼ばれ、人々に畏れられていた――
◇
明里がこの話を見つけたのは偶然だった。
消えてしまいたい――そんな思いを抱えながら毎日を過ごしていた明里は、人が消えるこの森に心惹かれた。
記事のコメント欄には、この森にまつわる真偽不明の噂が色々と書き込まれている。
《千年前から人が消えてたらしい》
《親の知り合いに笠木間村出身の人がいたけど、その人は神隠しなんてないって言ってたよ》
《でも昭和の終わりくらいに本当に消えた人がいるんでしょ?》
《あーそれ覚えてる。神隠しが起きたって当時は結構報道されてた》
コメントには笠木間村の失踪事件についてまとめた記事のリンクも添えられていた。
そのリンクを押そうとした時、スマホの着信音が鳴り出し明里はスマホを落としそうになる。
「お母さん……」
画面に表示された名前を見て慌ててスマホの電源を切った。きっと学校から連絡がいったのだろう。
跳ね上がった鼓動を落ち着かせるように大きく深呼吸した明里はベンチから立ち上がる。
(今更帰るわけにはいけない。それに――)
時刻表の横には、このバス路線の廃止を告知する張り紙が貼り付けられていた。
「これが最初で最後のチャンスだ」
気持ちを奮い立たせるように自分に言い聞かせ、明里はバス停を後にした。
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