勇者への興味

 意識が薄れていく。

 敬愛する我が君、ベリアル陛下の威厳に満ちた、それでいてどこか寂しげな最後のお顔を瞼に焼き付けながら、私の魂は肉体からゆっくりと乖離していくのを感じていた。

 転生の術は正しく発動したらしい。だが、新たな生を受けるまでの間、魂という不確かな存在は、時も空間も無い、ただただ暗く、温かいだけの虚無を漂う。

 思考だけが、やけに鮮明に過去を映し出す。走馬灯というものだろうか。数多の記憶が浮かんでは消える。戦術を練り続けた書斎、陛下に謁見した玉座の間、そして……幾度となく刃を交え、言葉を交わした、あの戦場の光景。


 不思議なことに、死の間際に思い出すのは、陛下の顔と同じくらい鮮明に、あの女の顔だった。

 我が魔王軍、そして私の全てを打ち破った宿敵。

 勇者、マリア・エルミタージュ。



 ◆◇◆◇◆



 魔王軍による人界侵攻作戦が二年目に差し掛かった頃だっただろうか。

 ギデオン平原。人界東部における最重要拠点である城塞都市アルティアの喉元に位置するこの平原は、戦争の趨勢を決める天王山であった。

 私はこの決戦に、我ながら完璧と呼べる作戦を準備していた。


「報告! 第一陣、第二陣、左右に展開! 人界軍先鋒を誘引中! 全て総参謀長閣下の計画通りです!」

 

「よろしい。第三陣、中央突破の準備。上空のガーゴイル部隊に命じよ! 頃合いを見て急降下。敵本陣を奇襲せよ」


 野戦指揮所の魔導水晶に映る戦況を見ながら、私は部下達に指示を飛ばす。

 今回の作戦の要は、陽動と奇襲の連携にある。まず、圧倒的な物量を持つ我が軍の両翼が人界軍を釣り出し、中央に隙を作る。そこへ精鋭部隊を突撃させ、敵陣を分断。同時に、空からの奇襲で指揮系統を麻痺させる。分断され、混乱した人界軍を、左右の部隊が再展開して包囲殲滅する。兵力差も地の利も我らにある。負ける要素は何一つなかった。

 ……そう、ただ一つの不安要素さえ、存在しなければ。


「総参謀長! て、敵中央より、単騎が突出!」

 

「何? ……遂に勇者が姿を見せたか」


 水晶が映し出す映像の解像度を上げる。そこに現れたのは、黄金の鎧を纏い、金色の剣を携えた一人の女騎士。夕陽を反射して輝く、流れるような金色の長髪。

 勇者マリア。その姿を目にした、私は苦々しい思いがした。

 幾度も私の作戦を邪魔しては、私から勝利を奪い去った人界軍の切り札。

 彼女のせいで何度、この私が辛酸を舐めさせられてきた事か。


「全軍に告ぐ! 中央第三陣、攻撃開始! ガーゴイル部隊は、攻撃対象を変更! あの勇者を何としても仕留めよ!」


 すぐに作戦を切り替えて檄を飛ばすが、それが無駄である事を私は心のどこかで感じ取っていた。

 単騎で突撃してきた彼女に対し、我が軍の精鋭たるオークの重装兵団が分厚い壁となって立ちはだかる。数にして五百。だが、彼女は怯まなかった。

 白銀の剣が一閃される。それだけだ。ただの一振りで、前衛のオーク兵数十体の巨大な体躯が、まるで紙切れのように両断された。魔法障壁も、鍛え抜かれた魔鋼の鎧も、何の意味もなさない。

 彼女は止まらない。疾風の如く我が軍の中央を駆け抜け、その軌跡に凄惨な死体の山を築き上げていく。


「な……馬鹿な……」

 

「ひ、怯むな! 魔法部隊! 一斉砲撃!」


 インプの魔術師団が放つ数百の火球や雷撃が、彼女一人に集中する。だが、彼女が剣を軽く振るうと、不可視の障壁が展開されたかのように、全ての魔法が着弾する前に霧散してしまった。

 私の緻密な計算と戦術が、たった一人の、規格外の暴力によって、まるで子供の砂遊びのように崩されていく。

 

 理不尽。不条理。戦略も戦術も意味を成さない。

 だが、この絶望的な状況の中、私の胸を占めたのは、畏怖と、そして強烈なまでの知的好奇心だった。

 この怪物を、この天災を、どうすれば攻略できる?

 いや、そもそも彼女は、本当にただの破壊者なのだろうか。あれほどの力を持ち、幾度の戦場で勝利を得ながらも、彼女の瞳には愉悦も驕りもない。ただ、悲しいほどに澄んだ、強い意志の色だけが見て取れた。


 結局、この戦いは、勇者マリアの単独行動によって人界軍の勝利に終わった。

 魔王軍は多大な損害を被り、撤退を余儀なくされた。

 自室に戻った私は、作戦失敗の責を問われることも忘れ、ただ一人、彼女のことだけを考えていた。

 今日も彼女にしてやられた。一体、彼女は何者なのだ? 何を考えている? 何を目的としている? 本当に、ただ魔族を鏖殺することだけが望みなのか?


 衝動的に、私は一枚の羊皮紙を取った。

 そして、古代魔法で編まれた、特定の魔力を持つ者にしか開けない封蝋を施した手紙をしたためた。

『勇者マリア・エルミタージュ殿。貴殿の武勇、見事の一言に尽きる。だが、この不毛な戦いの行く末を、一度冷静に語り合ってはみぬか。貴殿にその意志があるのなら、三日後の満月の夜、西の山の麓にある古い神殿の遺跡にて待つ』

 これを魔法でコーティングした小鳥に託し、戦場の空へと放った。彼女ほどの実力者ならば、この魔力に気づくはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る