『おねえちゃんといっしょ──魅了の少女・霜月希未』
蟒蛇シロウ
第1話「“おねえちゃんといっしょ”と笑う声」
「楽しかったなぁ……」
目の前の少女は、まるで約束を確かめるように微笑んだ。
「ねぇおねえちゃん。また会いに来てくれるよね? おねえちゃんと私はいっしょ」
その声の響きは甘いのに、胸の奥を針で突かれたように痛かった。
==========
「お〜い。寝るなら家で寝ろ~」
「う、う~ん……」
黒田編集長の声だ。……どうやら仕事中に居眠りをしてしまったらしい。私はスッキリとしない重い頭を気合で起こし、大きく伸びをしながらデスクの時計の方に目をやる。
「やばっ!? へ、編集長!! どうして起こしてくれなかったんですか!?」
最後に見た時刻が18時54分かそこらで、そして現在は21時12分。つまり二時間以上寝ていたことになる。
「いや起こしたんだが……。けど声掛けてもうなるだけだし、体揺すると暴れるし……」
編集長は困ったように視線を逸らす。
「あっ! ご、ごめんなさい……。この通りです!!」
「いや、いいさ。そもそもお前に最近頑張らせすぎていた私にも責任はある」
今、編集部には私たち二人しかいない。
広報のこしちゃんが珍しく体調不良らしく、その分の仕事を私と編集長で手分けしている状況だ。
もう1人の記者の勝くんは、外界での長期取材のため不在だ。
蛍光灯の白い光が、書類の山を照らしていた。
編集長のこだわりで今でも、紙での発行も行っているため、オフィスは書類だらけだ。
パソコンのファンが低く唸り、遠くでコピー機がガタンと鳴る。
編集部の夜は、静かなのにどこか慌ただしい。
「それにしても寝言まで言って熟睡だったなぁ……。なにか夢でも見ていたのか?」
私が仕事をしようと動き出すと、編集長はそんなことを言いながら面白そうに口元を緩める。
「ど、どんな寝言言ってました?」
思わず"夢"という言葉に反応してしまう。
「ん? 確か……おねえちゃんといっしょ……」
「あー! あー! やっぱ言わなくていいです! 忘れてください!! 恥ずかしいです!」
私は、大げさなリアクションで編集長の声を遮った。
恥ずかしかったから……ではない。
さっきまで見ていた夢を鮮明に覚えている。
何故ならその夢を見るのは、一度や二度じゃないからだ。
「……大丈夫か?」
そんな私の不安そうな様子が伝わったのか、編集長は怪訝そうな顔をしている。しまった。笑顔でごまかしたつもりが、顔が少し曇ってしまったらしい。
「だ、大丈夫ですよ! ほら! 元気モリモリです!」
「ふむ……。まぁ大丈夫ならいいんだが……」
居眠りとはいえ、あそこまでしっかりと寝たのは久しぶりだ……。しっかりと眠れたのは、編集長が近くにいるという安心感のおかげかもしれない。
このところ家では、全くと言っていい程眠れない……。いや、そんなことより仕事仕事……。
私はモニターに映る画面のタスク表に視線を落とす。
そして自分に「あんなのただの夢だ」と言い聞かせながら、雑念を振り払うかのようにキーボードを叩いた。
=====
「すぅぅー……はぁ〜……」
編集部を後にした私は大きく深呼吸し、それから大きく伸びをする。時刻は21時56分になっていたがまだ通りは人でにぎわっている。
「お腹すいたぁ……。えっと……」
私はポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリを開く。
「こしちゃん、大丈夫? お見舞いに行く?っと……」
メッセージを入力し、送信ボタンをタップする。そしてスマホをポケットにしまおうとした瞬間、電話が掛かってきた。
画面にはこしちゃんの名前が出ている。
「もしもし?」
『も、もしもし! あ、あの……ごめんなさい。お仕事増やしてしまって……』
こしちゃんにしては珍しく真面目な謝罪だ。悪いけどちょっと面白いかも。でも少し声が掠れてる気がする。
「いいのいいの! そんなことで謝らなくていいよ。体調はどう? 声、大丈夫?」
『あ、はい……。大丈夫ぇす……。ゲホッゲホッ……声以外はだいぶ、良くなりました……。あーとぉざいます……』
こしちゃんの話し方で、電話口でも少しずついつもの調子に戻ってきているのが分かるし、それが少し嬉しい。早ければ数日の内に戻ってきてくれそうだ。
「そっか。ところで今どこにいるの? 家?」
『は~いぃ。今は家に一人ぇす……。ご飯食べて、またすぐに寝ますぅ……』
「お見舞いに何か買って行ってあげようか?欲しいものある?」
『え、悪いですよぉ。あ、でも温かいものが食べたい……かも……。えへ、欲張りでごめんなさい……』
「あはは。全然いいよ! でも分かった。こしちゃんが食べれそうなものを適当に買って行くね!」
『はいぃ。ありがとうございます~……』
「じゃあ、また後でね。ゆっくり休むんだよ~」
そう言って私は電話を切った。
こしちゃんの家に行くのは初めてだが、まぁ場所は聞いているから大丈夫だ。
「よし! 早く買って行ってあげなきゃ!」
お粥、うどん、消化の良いフルーツ……後はスポーツドリンクとか?あとはスイーツもか。コンビニだと限られるけど、24時間やってるあの店なら多分大丈夫だろう。
=====
「はぁ……。重かったぁ……」
結局、コンビニを二つ梯子した上にコンビニスイーツまで買ってしまった。我ながらどうかしてるとは思う。
「まぁ、これもこしちゃんのためだ!」
私はそんなことを呟きながらインターホンを鳴らす。
少しして扉が開き、こしちゃんがひょっこりと顔を出した。
「わ~い! やっぱり来てくれたんですねぇ~!」
電話と同じく少し掠れた声だが、少しだけ元気そうな様子が伝わってくる。この様子ならすぐに元気になるだろう。やっぱり私が行ってあげて良かった。
「ふふん。お見舞いに来たよ!」
私は胸を張って威張ってみる。するとこしちゃんは「な、なんか申し訳ないぇす……」と申し訳なさそうに苦笑いした。
=====
「ご馳走様でしたぁ~!」
結局、こしちゃんはお粥を三杯も食べてしまった……。いやまぁ元気そうで良かったけど……。
「はい! お粗末様でした! でも本当にもう大丈夫?」
「はいぃ~! ご心配おかけしましたぁ! リリカさん、わざわざ本当にありがとうございますぅ!」
こしちゃんは元気そうにニッコリと笑う。
その表情はまだ少し弱々しいが、これは時間が経てば治るだろう。
「いえいえ。いいのいいの!じゃあ私、そろそろ帰るね!」
私はそう言って玄関へと向かう。こしちゃんも見送るためについてきてくれるらしい。
「今日は本当にありがとうございます~。今度、何かお礼をしますぅ~!」
「あはは。じゃあお言葉に甘えようかな」
他愛もない話をしながら廊下を進む。
そして玄関までもう少し……というところで、こしちゃんは急に立ち止まった。
「リリカさん……最近、何か悩みとかありませんん?リリカさんは頑張りすぎてしまうところがありますから、たまにはあたしを頼ってくださいねぇ?」
こしちゃんはこちらに笑顔を向ける。
「あはは。ありがとう! じゃあその時は遠慮なく頼らせてもらうね!」
私も同じように笑顔を返し、玄関のドアノブに手をかける。振り返ってまたね、と手を振る。こしちゃんもドアが閉まるまで両手を振ってくれていた。
(こしちゃん思ったより元気そうだったな……)
こしちゃんの家から歩いてそのまま自分の家に帰宅した私は、お風呂に入ってすぐに寝ることにした。
明日もいくつかの取材が入っているし、先日取材したものを記事としてまとめる必要がある。
こしちゃんもまだ明日は来られないだろうから、こしちゃんの広報の仕事も編集長と分担してやらなければならない。
「ん~……。やっぱり寝れないなぁ……」
私は布団の中でそんなことをぼやき、大きく伸びをする。時計の針は12時を回っていた。
(明日は午前中に個人取材が一件と午後にもう一社取材があるだけ……。そこまで急がなくても大丈夫かな?)
そんなことを考えつつ、スマホを弄りながらも今日の居眠りの時の夢のことを思い出していた。
……いや、正確には今日だけじゃない……。
疲れたり、不安なことがあったり、何か悩んでいることがあったり……。
そんな時は必ずあの夢を見る。
いや、それも不正確だ。
あれは夢じゃない。
あの少女の笑顔、言葉、全てが私の脳裏にこびりついて離れない。
凶悪な犯罪者たちへの取材の時でさえ感じなかった得体の知れない恐怖を……言葉では言い表しようのない不安を、幼かったあの少女からは感じた。
あの夢を見始めたのは彼女への取材を行ってからだ。
……って、考え込んでも仕方ない。
今日も仕事だし、早く寝よう。私は枕に顔をうずめ、目を閉じた。
……しかし結局、その日も眠りにつけることはなかった。
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