第21話 本の森
猫探しの一件から数日後、僕は再び冒険者ギルドの掲示板の前に立っていた。肩の上のコダマは、ギルドの喧騒は全く気にならない様子で、時折きょろきょろと首を動かしている。
「さて、と……」
めぼしい依頼を探していると、一枚の羊皮紙が目に留まった。
『高名なる学者、オルダス様の研究ノートを探す者、求む。報酬は金貨5枚』
(高名なる学者……これきっと自分で書いたよな。自分で自分のことを高名っていうなんて……ちょっとめんどうくさいひとかもしれないな。学者と名のつく人種は、少し変わり者が多いっていうし。
だが、探し物が相手なら、僕の能力が活かせるはずだ。報酬も悪くない。
僕が依頼書を剥がしていると、受付の女性が苦笑いを浮かべて話しかけてきた。
「あら、カイさん。その依頼、引き受けるの? オルダス様、少し気難しい方だから気をつけてね」
どうやら、想像通りの人物らしい。
案内された屋敷は、貴族街の隅にある、ツタが絡まった古風な建物だった。
扉を開けて現れたのは、フクロウみたいに丸い眼鏡をかけた、小柄な老人だった。鳥の巣のように逆立った白髪に、あちこちインクの染みがついたヨレヨレのローブをまとっている。彼がオルダス様本人らしい。
「おお! 君がギルドから来た『探し屋』かね! いやはや、わしの研究ノートがどこかへ行ってしもうて! あれがないと、歴史が50年は停滞してしまう! 世界の損失じゃ!」
オルダス様は、僕の顔を見るなり、大げさな身振り手振りでまくし立てた。
僕は内心でため息をつきながら、彼に促されて書庫へと足を踏み入れた。
それは壮観だった。床から天井まで本が積み上げられ、まるで本の森だ。かろうじて人が一人通れるくらいの通路が、迷路のように続いている。
「どこでなくされたか、見当は?」
「それが分かれば苦労はせんわい! この書庫のどこかにあるはずなんじゃが……ああ、わしのノート! 古代アウリウム文明の謎を解き明かす、唯一無二の鍵が!」
オルダス様は頭を抱えて嘆いていたが、僕は落ち着いたまま質問を重ねる。
そんな僕ってちょっとプロっぽい感じがしない?
「最後にそのノートを手に取ったのはいつですか?」
「うむ、確か三日前の晩じゃ。世紀の大発見に興奮してな、夢中で書き留めたんじゃが……」
「その後は?」
「いかんせん、興奮しすぎておった! 書庫の中をうろうろと歩き回り、祝杯代わりに貴重な葡萄酒まで開けてしもうて……それからの記憶がどうも曖昧でのう」
(三日前の晩、この書庫の中、か)
僕は静かに目を閉じた。頼りになるのは、この床に残された無数の記憶だけだ。僕は意識を集中させ、書庫全体の床が持つ「道」の声に、そっと耳をあわせる。
無数の足跡の記憶が、濁流のように流れ込んでくる。その中から、三日前の、オルダス様の記憶を探す。
《……ぐるぐる歩き回る……同じ場所を何度も……》
《……焦り……苛立ち……思い出せない……》
これは、ノートを探してうろついていたここ数日の記憶だ。もっと深く、三日前の晩の記憶へ。
《……上機嫌な足取り……鼻歌……少しふらついている……》
これだ。僕はさらに意識を研ぎ澄ませた。
すると、部屋の隅にある、ひときわ高く本が積まれた一角の床から、奇妙な声が聞こえてきた。
《……引きずられた重いもの……軋み……》
(何かを、動かした……?)
床をよく見ると何かをひきずった跡があり、その跡は近くの本棚へとつながっていた。
「オルダス様。この本棚、少し動かせますか?」
「む? なぜじゃ?」
「三日前の晩、あなたがこの本棚を動かした記憶が、床に残っています」
僕の言葉に、学者はきょとんとしていたが、やがて何かを思い出したように「おお!」と声を上げた。
二人でうんとこしょ、と本棚をずらすと、壁にはめ込まれた小さな隠し扉が現れた。
「そうじゃった! わしが自分で作った秘密の棚じゃ! すっかり忘れておったわい!」
オルダス様が興奮気味に扉を開けると、その奥に、一冊の革張りのノートが鎮座していた。
「おお、おお! 我が叡智の結晶よ!」
(どうやら見つかったらしい。楽勝な依頼だったな)
学者がノートを抱きしめて狂喜乱舞しているのを見ながら、僕は移動した本棚のあった場所に、何かがあることに気づいた。それは、手のひらサイズの、古びた羊皮紙の切れ端だった。
何気なく手に取ると、そこには古めかしいインクで、こう記されていた。
『霧深き谷、声なき聖域、沈黙の僧院は…』
そこで文章は途切れている。
(沈黙の僧院……? エララさんが言っていた場所か?)
胸が、とくり、と小さく鳴った。
「おお、若者よ! これはお主への礼じゃ!」
我に返ると、オルダス様が約束の倍はあろうかという金貨を革袋に詰めて、僕に押し付けてきた。よほど嬉しかったらしい。
僕は笑顔を隠さず革袋を受け取りながら、思い切って尋ねてみた。
「オルダス様、つかぬことをお聞きしますが、これに見覚えはありますか?」
僕が羊皮紙の切れ端を差し出すと、学者は丸い眼鏡をくいっと持ち上げて、それを覗き込んだ。
「ふむ……沈黙の僧院とな? ああ、どこかの古書で読んだことがあるような、ないような……確か、人里離れた霧深い谷の奥に、そんな名の僧院があるという、まあ、おとぎ話じゃな」
「おとぎ話、ですか?」
「そうじゃとも。誰も見た者はいない、ただの伝説じゃよ。わしはそんなものより、このノートにある『事実』の方が大事でのう!」
オルダス様はそう言って、再びノートに視線を落としてしまった。これ以上は聞けそうにない。
屋敷を後にし、夕暮れの道を歩きながら、僕はポケットに入れた羊皮紙の切れ端にそっと触れた。
ただの偶然か、それとも何かの導きか。
まだ答えは分からない。けれど、僕が探していた静寂への道が、ほんの少しだけ、見えたような気がした。
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