第10話 レオン王道ルートその5 「推し、死ぬ」

――王宮・大広間

『王都セレスティアの中心、白大理石の王宮。

その最上階に広がる大広間は、まるで夜空を封じ込めたかのようだった。


天井には無数の水晶灯が連なり、黄金の枝を伸ばすシャンデリアが星座のように輝く。

壁面を飾る鏡はすべて銀箔細工で縁取られ、反射する光が天井をゆらめかせる。

音楽隊のヴァイオリンが序曲を奏で、ゆるやかに始まるワルツ。

真紅と藍のドレスが螺旋を描くように踊り、人々の笑い声が花の香のように満ちていた。


磨かれた床に、黄金の装飾靴がすべり、すれ違うたびに絹の袖がかすかに触れ合う。

白粉と香水の匂いが混ざり、暖かな光に包まれた空間の奥には、

まだ春を知らぬ庭園から運ばれたアネモネや薔薇などの花瓶が並べられている』


(ここのテキスト長いんだよなあ……雰囲気は好きだけど)

そんなことを思いながら、優子(イザベラの姿)はテキストウインドウに流れる文字と、優雅な舞踏会の風景を眺めていた。

(結局、あれから失敗続きだった。クラウスとレオンの剣の稽古イベントでも、クラウスが勝って黒幕笑いしてたし……わざと負けるのも許されないとは)

会場から歓声が上がった。


『中央の階段では、王家の紋章が織り込まれた紫の幕が下がり、

その前に立つクラウス・ヴァレンティン伯爵の姿があった。

銀の髪に、深紅の瞳。

彼が一歩前に出るだけで、ざわめきが波のように広がる。

周囲の令嬢たちは扇子を口元に当て、視線だけで互いを牽制し合う。


セリオは柱の陰でグラスを傾け、金の液体に灯りを映していた。

彼の瞳は、笑っていながら冷たく、まるで舞台装置の裏側を覗いているような色をしている。

リリアはその視線に気づかぬまま、庭師見習いの身でありながら招かれたこの場所に、

ただ緊張したようにスカートの裾を握りしめていた。


音楽が変わる。

一人、また一人とフロアへ出ていく。

リリアの前に、クラウスが立ち止まった。

彼は静かに一礼し、手を差し出す。

その仕草は完璧な礼法に則っていながら、どこか優しさが滲んでいた。


リリアの手が重なった瞬間、会場の照明がわずかに落とされ、

窓越しに映る月光がふたりの影を床に落とした。

白い影と黒い影がゆっくりと重なり、

ワルツの旋律が流れ出す。


誰もが拍手を忘れ、息をひそめて見守っていた。

その踊りは儀礼ではなく、祈りのように静かで、

まるで「この夜が終わらないように」と願う誰かの夢そのものだった。


しかし、天井の灯りが揺れるたび、

その美しい夜会のどこかに、薄氷のような不穏さが走っていた。

杯の底に沈む黒い影、

壁際で囁き合う貴族たちの声。


ワルツが終わる。

拍手と歓声が満ちる中、

クラウスはリリアの手を放し、微笑んだ。

「美しい舞だ」

その声の余韻に、赤い月光が差し込んだ。


遠く、塔の鐘が鳴る。

それは祝福か、あるいは――警告の音だった』


踊りを終えたクラウスが、いそいそと優子(イザベラの姿)のところへ向かう。

クラウスがワインをグラスで揺すりながら、イザベラに小声で尋ねる。

「貴様の言う通り、あの平民の娘と踊ってやったぞ」

「ありがとうございます。これでレオン王子と踊る分岐は避けられました」

「これで俺は死なずにすむか?」

優子(イザベラの姿)が首をひねる。ドレスのどこに隠してあったのか、手帳を取り出す。

「う~ん……たぶん無理かなあ……」

「なに!? レオンとあの女がくっつかなければいいのだろう!?」

「そう簡単じゃないんですよ……」


――大聖堂

国王の死から、わずか数日。

王都セレスティアの中央、大聖堂は拍手に包まれていた。

高く伸びる天井には、神々の物語を描いたステンドグラスが嵌め込まれ、午後の光が赤や青に砕けて床へ降り注いでいる。

その光の粒が人々の肩や頬に落ち、まるで祝福の印のように揺れた。


壇上には玉座。その手前に立つのは、王の装束をまとったクラウス。

その周囲を囲むように、レオン、ガイ、セリオ、そして数多の貴族と聖職者たち。リリアは聖堂の片隅に立っている。

優子(イザベラの姿)が息を潜め、クラウスを見守っていた。

(ああ、とうとう解決編まで来てしまった……)

聖職者が王冠を掲げ、光の中で金細工がかすかにきらめく。

一瞬の静寂。

次の瞬間、響く声。

「待った!」

(来た……!)

玉座の前に、レオンが進み出る。

若き王子の青い瞳は、兄をまっすぐに射抜いていた。


クラウスがレオンを睨む。

「レオン!? 厳粛な式を中断するとはいかなる了見か?」

「戴冠の前に、あなたが真にセレスティアの国王足るものか問いただす」

「なんだと!?」

「吾は告発する。兄、クラウス・ヴァレンティン。あなたは陛下を謁見の間において、王権を奪うために……殺した!」

ざわめきが大聖堂全体に広がる。

列席する貴族たちが息をのむ中、レオンが声を張り上げた。

「リリア! 来てくれ」

群衆の中から、リリアがゆっくりと前に進み出た。

栗色の三つ編みが光を受け、淡く輝く。

優子は一人ため息を吐く。

(ここから推理ショーが始まる……これまで得た証拠をもとにしたリリアの推理に、クラウスが追い詰められていく……)


リリアの推理を周囲の人々は聞き入っている。

ときおりレオンが合いの手を挟み、リリアを手助けする。

一方のクラウスはリリアに時折反論しつつも、逆にリリアから反論を受けてしまう。

徐々に、場の雰囲気はクラウスを疑うものに変わっていく。

この流れは止められない……と優子は思った。


リリアは深呼吸をして、真っすぐクラウスを見た。

「……と、おっしゃいましたか?」

「言ったが、それがなんだ?」

リリアがレオンと頷き合う。

「この血の付いた手袋は……レオン様のもの。

しかし、事件当夜それは盗まれていました。

今のクラウス殿下のお言葉は、それを事件の夜に持っていたのが殿下その人であると証明している

……それはもはや、自白に等しいのです」

イザベラは頭を振る。

クラウスは驚愕の表情をして、リリアを見つめている。

「なっ!? 無礼も甚だしいぞ!」

「兄上……もう、観念なさいませ。この手袋に血をつけたのは、あなた。

つまり父王を殺害したのも、あなたです」

レオンの頭の上にハートのマークが浮かび、ピンクの液体が完全に満ちる。《100%》の表示。

(シナリオ通りに進んでるよお……好感度も結局MAXになってるし。舞踏会イベントはやっぱり分岐に関係ないんだなあ……)

優子は諦めの表情で三人の会話を見つめている。


クラウスが小さく笑い声を漏らした。

「くくく……」

(だめだ……諦めてクラウスが悪役笑いしながら自白するパートに入ってしまった)

「面妖な……まさか平民の女ごときに、俺の完璧な計画が見破られるとはな……そうだ! 父を殺したのは私だ!」

その声と同時に、クラウスは剣を抜く。

金属音が、石造りの聖堂に冷たく響いた。

「レオン、だがここで貴様を葬れば、王位継承者は私しかいない」

優子(イザベラの姿)が一歩、足を踏み出す。

(ああ……このあとレオンと対決するけど、クラウスは最初から自分が負けるつもりで……

その方がレオンが王位を継ぐのに正当性があるとアピールできるから……と後でわかるんだけど)

レオンが剣を構え、目を細める。

「本気か……兄上」

「貴様との百一戦目の勝敗……つけてくれるわ!」


二人の間の空気が張りつめる。

その瞬間――優子は駆けだした。

「待って!」

優子(イザベラの姿)が、叫びながら二人の間に飛び込んだ。

床に膝をつき、頭を下げる。長い金髪がばさりと揺れる。

金髪の悪役令嬢は、土下座をした。

「安いお芝居はもうやめましょう!

ここで伯爵が死ぬ必要なんてないでしょう?

お願いします、二人とも剣を収めて!」

堂内がざわめく。

貴族たちが顔を見合わせ、聖職者までも息をのむ。

「ゆう……イザベラ!?」

「イザベラ殿?」

(……何故か知らないけど、身体が勝手に動いた。

イザベラの姿で土下座なんてありえないけど、なりふり構ってる場合じゃない……!)

リリアが小さく声を漏らす。

「イザベラ様……」


クラウスが静かに歩み寄り、イザベラの肩に手を置いた。

顔を上げると、クラウスの紅の瞳がやさしげに見ている。

「巻き込まれると危ないぞ、優子」

小声で囁くクラウス。そして、ほんのわずかに笑った。

そのまま、クラウスはイザベラの肩を強く突き飛ばす。

「ああっ!」

床に倒れたイザベラを見下ろし、クラウスが大声を張り上げる。

「貴族の身で命乞いなど、面妖なことをする女だ、まったく……貴様などもはや婚約者ではない!」

優子はその意図を悟り、息をのむ。


レオンとクラウスが再び剣を構える。

刃がぶつかり合い、火花が散る。

金属音が大聖堂の石壁に反響する。

「うおおおっ!」

クラウスの剣が弾かれ、次の瞬間、血が舞う。

彼の体がゆっくりと崩れ落ち、床に膝をつく。

胸から赤い血しぶきが噴き出し、白い床を染めていく。


優子の呼吸が止まる。その光景は、とてもリアルだった。ゲームの中なのに、初めて六畳間でクラウスを見たとき、鏡に映ったイザベラの姿を見たときに感じた、圧倒的な質感。

その質感で、床に広がっているのは、推しの赤い血だった。

(……いやだ……いや、だ……もう無理死ぬ……一緒に……)


視界がぐらりと揺れる。

光が白くはじけ、すべてが遠のいていく。

最後に感じたのは――マンションのストーブの生暖かい風が、腕に触れる感覚だった。

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