第17話 彼の澱みと彼女の歩み

 自身で決めた規約も忘れて、転移魔法で最上階の部屋へと姿を現したアルデバラン。感情のままに机の上のものを全て払おうとして──振り上げたその腕は力無く落ちた。

 そんなことをして何になる。感情任せに行動をするような若く青い頃はとうに過ぎたのに。

 ここにいるのは、二十一歳の肉体を持つだけの齢三百を超えた魂。

 物へ当たる代わりに椅子に身体を投げ、偽物の宙を虚ろな炎が見上げる。


(死にたくない? そんなわけがない)


 死ねるのならそうしている。この命をもって償えるのなら、それで罪を全て流せるのならそうしている。いや、そうしたこともあった。この手で自らを終わらせたことだって。けれど死が安息をもたらしてくれたことは一度だってなかった。 何度命を終えたって、崩れ落ちた肉体から赤子としてまた産まれてしまうのだから。


 冥府の王と契約? そんなものは馬鹿馬鹿しい子供騙しの嘘だ。生まれ直しは契約ではない。神が彼に与えた呪いで、罰だ。こんな化け物になることを自身が望んだ覚えはない。

 世界がゆっくりと進んでいく中で同じ速度で歩みながら、しかし本当の意味で終わることは決して許されず、ただ一人だけ取り残され続けることが苦痛でなければなんだと言うのか。


 ロゼアリアに悪気がなかったことくらい分かっている。けれど、どうしても駄目だった。


 胸に刻まれた月の刻印。再生を司る月の女神が与えた呪い。何も知らない両親はそれを「天の恩恵」だと言ったけれど、そんな優しいものでないことは誰より自分が分かっていた。

 不死の化け物であろうと本質は人。過去は錆びつき、掠れ、もう断片的なことしか覚えていない。いつか全て忘れ去ることを渇望し、何よりも畏れていた。


「……最初から関わるべきじゃなかった」


 ロゼアリアと。人間と。世界と。ほんの一時いっときでも関わるべきじゃなかった。


(いや……別にいい。どうせ数百年もすれば忘れる)


 そうだ。どれだけ親身に関わった相手だっていつか記憶から零れ、それを悲しむことすらなくなってしまう。だから今日のロゼアリアの言葉に動揺する必要もなかったのだ。むしろ、まだ動揺する心があったのかと自身を苦く嗤った。

 今まで通り、ただ淡々と日々を過ごしていればいい。この呪いを受けるきっかけになった罪すら忘れることに怯えながら、ただ淡々と腐っていけばいい。それこそがきっと、神が自分に与えた罰に違いないのだから。


 そうすればいつかはこの呪縛から解き放たれる時が来るのだろうか。


(はっ、希望を持つだけ無駄だな)


 アルデバランが緩慢とした動きで身を起こした。そもそも、終わらせ方ならとっくに知っている。ただ選べないだけだ。

 何をする気にもなれず、とりあえず何か淹れるかと湯を沸かす。スピネージュを漬けた瓶を手に取り、ピタリと動きを止めた。


 そういえば彼女はスピネージュの花茶を気に入っていた。それを思い出すと花茶を飲む気になれず、代わりにしばらく開けていなかった珈琲豆を取り出す。


(あの娘も鋭いもんだな……いや、鈍いからこそか?)


 どうせもう会うつもりがないから、最後だからいいかと書庫へ来ることを許したのが悪かった。


 生まれ直しそのものに興味を持つ魔法使いならある程度はいる。しかし「冥府の王と契約」なんて口にした途端、彼らの興味は瞬く間に失せた。そんな解明のしようがないものに魔法使いの好奇心はそそられない。彼らが心を動かされるのは、この世の原理原則を如何にして捻じ曲げられるかどうかだから。

 要はアルデバランの生死など大半の魔法使いにとってはどうでもいい。


 珈琲の苦さに顔をしかめる。この飲み物はここまで苦いものだったろうか。






 魔塔から帰った後も、ロゼアリアの頭はぼんやりとしたままだった。

 なぜアルデバランは怒ったのだろう。その理由がどうしても分からなかった。分からなかったが、あの問いが失言であったことだけは確かだ。


(明日、カーネリア卿に謝って……でも、何が悪かったのか分かっていないのに謝罪をしても意味があるの?)


 第一、アルデバランがまだ会ってくれるかも分からない。


(あの表情と声……もしかしたら、もう──)


 会ってくれないかもしれない。いや、きっと会ってくれない。この短い間でも彼の人柄はよく分かった。アルデバランはもうロゼアリアが関わることを許しはしないだろう。魔塔へ入ることも出来ない可能性だって高い。


(せっかく、友人になれたと思ったのに)


 窓際のスピネージュ。アルデバランがくれた愛らしい花と、素敵なガラスケース。貰ったのは一昨日なのに、もう随分と前のことのような。あの頃が一番楽しかった。彼らのおかげで、アーレリウスに裏切られた痛みがそこまで辛くなかったから。


(頬の傷だって、彼のおかげで早く抜糸できた)


 一度開いた傷はアルデバランが治癒を進めてくれたおかげで、あまり歪にならずに済んだ。


 なぜアルデバランが怒ったのか、その経緯はオロルックには話していない。生まれ直し自体は隠しているわけではなさそうだったが、勝手に話すのは良くないと思った。

 交渉が進まないことへの焦りは不思議と感じなかった。それよりも、初めてできた魔法使いの友人を失う方が気が滅入る。


(「今世は」って、そういう意味だったんだ)


 何度も生まれ直しているなら、年齢を聞かれた時にそう答えたのも頷ける。


(やっぱりもう一度、図書館で人間と魔法使いの歴史について調べて──)


 調べて何になる? それが分かれば、アルデバランが怒った理由が分かるのだろうか。彼の気持ちは、アルデバラン本人にしか分からないのに。


 ぐるぐるぐると、考えれば考えるほどどうすれば良いか分からなくなる。明日すぐにでも魔塔へ行って謝るべき? それとも、当分は行くのを控えるべきか?

 まず、どうして怒ったのか、その理由を知るのが先決なような。


 ベッドの中でも考え続けてしまったせいか、その日はあまり眠れなかった。






「──お嬢様、本日は魔塔へ行かれないのですか?」


 いつもより遅く起きたロゼアリアの身支度を整えなが、フィオラが尋ねる。連日早起きしては馬を駆って魔塔へ出かけていたのに、今日は随分のんびりしている。


「うん……昨日カーネリア卿を怒らせてしまったから、しばらくいかない方がいいような気がして」

「そうなのですか? 一体どうして」

「私が気に障ることを言ったせい。でもそれがどうして気に障ったのか分からなくて、すぐに謝った方がいいのか悩んでるの」


 道理で、昨夜から悩ましげな表情をしているわけだ。眉根を寄せる主の顔を鏡越しに見つめ、フィオラが丁寧にローズピンクの髪にブラシを通す。


「お嬢様。自身の非を受け入れ、相手にお詫びをしたいと思っていらっしゃるのにどうして躊躇われる必要があるのですか」


 優しく、だがしっかりとした口調でフィオラが語る。それでもロゼアリアの悩みは晴れない。


「でも、カーネリア卿は私に会いたくないかもしれないし……」

「お嬢様はご自身をきちんと反省し、改めることが出来るお方です。すぐにでも謝罪したいと思われているのであれば、まずはお嬢様のお気持ちを優先して行動される方が良いと私は思います」


──そう思うなら謝れば済む話だろ。悩むまでもない。

──それを決めるのは相手だ。ただ、謝罪しなければ許しを乞う立場にもなれないがな。


 ふと、あの日アルデバランに言われたことを思い出した。フィオラに酷い言葉を投げかけ、無意識に魔塔へと行った日のこと。

 そうだ。悪いと思ったなら謝ればいい。許してもらえるかどうか、それを決めるのは相手なのだから。自分が今ここで悩んでいても何も変わらない。


「……フィオラ、私やっぱり魔塔へ行ってくる。怒らせてしまった理由は分からないけれど、それでもカーネリア卿に謝らなくちゃ」

「はい。では、お召し物はいつもの通りでよろしいでしょうか?」

「うん!」


 身支度が終わるなりオロルックを引き連れて邸宅を

飛び出す。

 魔塔は、魔法使いは、アルデバランは、ロゼアリアがただのロゼアリアでいることを受け入れてくれた。そこでは仮面を被る必要も着飾る必要も無いのだから、自分が思うままに行動して良いんだ。


「お嬢、飛ばしすぎっスよ!」


 愛馬を思い切り走らせるロゼアリアの後ろからオロルックの声が飛んでくる。そんなことを言われても、いつもより遅く出たのだから急がねば。

 オロルックの注意を聞き流して、ロゼアリアは真っ黒な巨塔へ一直線に駆けた。

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