第10話 魔石ハンターJOKER

 神崎隼人の独壇場――「無双」は続いていた。


 もはや彼の前に立つゴブリンは敵ですらなかった。それは彼の新しい力と、成長し続けるプレイヤースキルを試すための、ただのまと。あるいは、経験値というチップを払い出してくれる、都合の良いスロットマシンの絵柄でしかなかった。


 一体のゴブリンが奇声を上げて飛びかかってくる。隼人は、それをもはや目で追うことすらしなかった。肌で風の流れを、耳で空気を切り裂く音を、そしてギャンブラーとしての直感が、攻撃の軌道を寸分の狂いもなく彼に伝えていた。


 彼は最小限の動きでそれを回避すると、すれ違いざまにナイフを振るった。クラスを得る前の彼であれば、確実に仕留めるために神経をすり減らして急所を狙わなければならなかった一撃。だが今の彼に、そんな繊細な作業は必要ない。


 【筋力】を10まで引き上げた彼の純粋な腕力が、ただの薙ぎ払いを、かろうじて必殺の一撃へと昇華させる。


 刃こぼれのナイフがゴブリンの脇腹に深々と食い込み、その勢いのまま体内の臓腑を滅茶苦茶にかき回した。ゴブリンは断末魔の叫びを上げることすらできず、その場で崩れ落ち、おびただしい光の粒子となって霧散していく。


「…ふぅ」


 隼人は短く息をついた。戦闘だというのに彼の心拍数は安定したまま。だが、額には玉の汗が滲んでいる。


 以前は一体倒すだけでもアドレナリンが駆け巡り、心臓がうるさいほどに脈打っていた。だが今では、まるで一本の綱の上を渡りきるような、極度の集中を終えた後の、心地よい精神的疲労感しか残っていなかった。


(…これが強者の戦いか)


 彼はその圧倒的な成長と、その裏にある危うさを、自らのことながらどこか他人事のように冷静に分析していた。


 視聴者A:うますぎる…

 視聴者B:見てるこっちが緊張するわ。一発でも食らったらヤバそうだもんな。

 視聴者C:でもそれを完璧に捌ききってる。これがJOKERニキの才能か。


 視聴者たちのコメントも、彼の無双劇がいかに繊細で危ういバランスの上に成り立っているかを理解し始めていた。彼らは、もっと強い敵との戦いを望み始めていたが、隼人はまだこの洞窟から出るつもりはなかった。


 彼はこの「確実な勝利」を繰り返すことで得られる経験とデータの蓄積、そして何よりも「魔石」という現物を重視していた。


 隼人の「狩り」は凄絶を極めた。


 彼の頭の中にあるのはただ一つ。「時間対効果」の最大化。いかに短い時間で、いかに多くのゴブリンを処理し、魔石ドロップの試行回数を稼ぐか。その一点のみだった。


 洞窟の奥へと進むにつれて、ゴブリンの出現頻度は彼の予想通り高まっていく。二体、三体と群れで行動している個体も珍しくない。


 クラスを得る前の彼であれば絶望的な状況。だが今の彼にとって、それはまとめてチップを稼げる「ボーナスタイム」でしかなかった。


「グルルル…」


 三体のゴブリンが、彼を包囲するようにじりじりと距離を詰めてくる。


 隼人はその動きを冷静に観察し、最適解を瞬時に導き出す。


(――三体の中心。そこが最も効率よく立ち回れる一点)


 彼は臆することなく、その包囲網の中心へと自ら飛び込んでいった。


 視聴者F:うお! 囲まれてるのに突っ込んでったぞ!

 視聴者G:無謀だろ!


 だが、それは無謀ではなかった。


 彼が中心に飛び込むのと同時に、一体が棍棒を振り下ろす。隼人はそれをナイフの腹でいなし、その勢いを殺さずに体を回転。その遠心力を利用して、背後のゴブリンの喉元を切り裂く。


 一体目を仕留めたその勢いのまま、さらに回転を加え、最後の一体の心臓部へとナイフを突き立てる。


 速い。


万象の守りパンデモニウム・ガード】がもたらす「攻撃速度+15%」の恩恵は、彼の研ぎ澄まされた体術と合わさることで、まるで流れる水のような無駄のない連続攻撃を可能にしていた。


 わずか十数秒。三体のゴブリンが、なすすべもなく光の粒子となって消えていった。


 視聴者H:強すぎワロタ

 視聴者I:今の連携マジで新人かよ…

視聴者J:スキルなしで立ち回りだけで三体処理とか化け物か…


 戦闘はもはや「戦い」ではなく、流れるような「作業」だった。


 隼人はドロップしたアイテムを素早く回収し、魔石がないことを確認すると、すぐに次の獲物を探しに動き出す。その姿には、一切の無駄がない。


 彼は、この蹂躙の中で常に思考を巡らせていた。どうすればもっと速く? もっと低燃費に?


 そして、その答えを彼自身が見つけ出していた。


 武器が強くなったのではない。

 スキルが増えたわけでもない。


 それを振るう「俺自身」が。「無職」として戦う経験によって、「格」の違う存在へと生まれ変わりつつあるのだ。


 これまでは強力なアイテムという「カード」の力に頼るしかなかった。だが今は違う。プレイヤーである俺自身が、ゲームのルールをハックするほどの「答え」を、この体で導き出している。


「ハ…ハハ…」


 乾いた笑いが彼の口から漏れた。それは恐怖でも狂気でもない。自らの内に眠っていた途方もない可能性の大きさに気づいてしまった、純粋な喜びの笑いだった。


 彼はその圧倒的な力を確かめるように、洞窟の奥へとさらに歩を進めた。


 もはや彼の進軍を阻むものは何もなかった。


 次に現れた兜を被ったゴブリンも、もはや敵ではない。槍による鋭い突きを、隼人は最小限の動きでいなし、その腕を掴んで体勢を崩させると、無防備になった首筋にナイフを深々と突き立てた。


 狭い通路で待ち伏せしていたゴブリンも無駄だった。隼人は、もはや地形の利など必要としなかった。その圧倒的な踏み込みの速さで、ゴブリンが棍棒を振りかぶる前に勝負を決めた。


 戦闘はもはや、スリリングな「戦い」ではなく、単純で確実な「作業」へと変わっていた。


 彼のレベルはまだ2のまま。だが、その戦闘能力は、もはや低レベル探索者のそれではない。


 視聴者O:無双止まんねぇwww

 視聴者P:これが…JOKERニキの最適解…!

 視聴者Q:JOKERさん完全にこのダンジョンのヌシじゃん…ゴブリンが可哀想になってきた


 コメント欄も、もはや彼の勝利を疑う者は一人もいなかった。ただ、彼が次にどんな圧倒的な立ち回りを見せてくれるのか、その一点のみに期待が集まっていた。


 隼人は、一体一体ゴブリンを処理するたびに、自らの新しい体に馴染んでいくのを感じていた。


 無職としての立ち回り、力の込め方、スキルのなさを補う戦術。その全てが、経験を積むごとに彼の血肉となっていく。


 彼はこの蹂躙の中で、確かな手応えと、自らの成長を心の底から楽しんでいた。


(これは最高のゲームだ)


 そして彼の狩りは、ついに確かな「成果」として結実する。


 立て続けに二体のゴブリンを処理した後、そのドロップ品の中に、あの鈍い紫色の輝きが確かに存在していたのだ。


 彼はゆっくりとそれを拾い上げる。


【ゴブリンの魔石(小)】を入手しました。


 これで二つ目だ。


 彼の「狩り」はさらに加速した。自らの才能が開花していく確かな手応えと、魔石という具体的な報酬に突き動かされ、まるで何かに憑かれたかのようにゴブリンを狩り続けた。


 そしてさらに数体を処理した後、彼は三つ目となる魔石をドロップさせることに成功した。


 ポケットの中の三つの魔石。


 その確かな重みが、彼の心をこれ以上ないほどの達成感で満たしていた。


 今日の稼ぎ、合計3万円。


 それは、彼の人生が確かに良い方向へと転がり始めた、何よりの証拠だった。

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