三人は涙を拭かない 【熱い情熱×男の友情】 ※毎週土曜20時、10話ずつ更新

asher's lab:アッシャーズラボ

第1話「三人の誓い」

 三月の夜風が、古びた研究棟の窓から吹き込んでくる。アダム・ルドニクは、ディスプレイに映る無数のコードを見つめたまま、缶コーヒーを口に運んだ。冷めきったそれは、彼の舌に苦味だけを残した。

「よう、まだやってんのか」

 振り返ると、リドラ・カーティスが研究室のドアに寄りかかっていた。いつものように高価なジャケットを着こなし、自信に満ちた笑みを浮かべている。その後ろから、ショーン・キスヴァーディが申し訳なさそうに顔を覗かせた。

「リドラが、どうしてもって」

「卒業式前日に、お前が一人でこもってるって聞いてな。放っておけるかよ」

 アダムは小さく息を吐いた。三人は同じ大学に通い、同じ年に卒業する。だが、リドラは経営学部のトップ、ショーンは経済学部で優秀な成績を収め、自分は情報工学部で機械としか会話しない日々を送ってきた。接点など、本来あるはずがなかった。

 出会いは一年前。大学主催のビジネスコンテストだった。アダムが開発したAI物流最適化システムのプロトタイプを見て、リドラが声をかけてきた。「これ、事業化できる」と。ショーンは、リドラの幼馴染として付いてきた形だったが、財務分析の的確さで、すぐに三人のチームに欠かせない存在になった。

 そして今、卒業を目前に控えた夜。三人は再び、この研究室に集まっていた。

「で、どうすんだ?」

 リドラが、アダムの隣に椅子を引いて座った。ショーンも反対側に腰を下ろす。

「どうって……卒業したら、お前は父親の会社に入るんだろ」

「断った」

 アダムの手が、キーボードの上で止まった。

「は?」

「昨日、親父に言った。『俺は自分の会社を興す』ってな」

 リドラの声には、いつもの余裕が感じられなかった。むしろ、どこか震えているようにさえ聞こえる。

「リドラの父さん、何て?」

 ショーンが心配そうに尋ねる。

「『好きにしろ。ただし、失敗したら二度と顔を見せるな』だとさ」

 リドラは笑ったが、その笑顔はどこか張り付いたようだった。アダムは、初めて彼の中に不安を見た気がした。

「俺も、内定辞退した」

 ショーンが静かに告げた。

「母さんには、まだ言ってない。でも……リドラと、それにアダムと一緒なら、やれる気がするんだ」

 アダムは二人を見た。リドラの瞳には野心の炎が、ショーンの瞳には決意の光が宿っている。

「お前ら、本気か」

「当たり前だ。お前のシステムは本物だ。俺が売る。ショーンが金を回す。完璧なチームだろ」

「でも、資金は? 人脈は? 俺たちには何もない」

「だから面白いんだろ」

 リドラが立ち上がり、窓の外を見た。キャンパスには、明日の卒業式のために設置された椅子が並んでいる。

「なあ、アダム。お前は自分の技術で、世界を変えたいと思わないのか?」

「……思う」

「ショーン、お前は?」

「僕は……守りたい。大切な人たちを」

 ショーンが、そっと微笑んだ。

「なら、決まりだ」

 リドラが振り返り、右手を差し出した。

「三人で会社を興そう。ゼロから、成り上がってやる」

 アダムは逡巡した。リスクは大きい。失敗すれば、すべてを失う。だが、この二人となら——。

 彼は立ち上がり、リドラの手を握った。ショーンもすぐに手を重ねる。

「一つ、条件がある」

 リドラが真剣な表情で言った。

「これから先、俺たちは苦しいことにたくさんぶつかる。金がなくなる。客が逃げる。技術がうまくいかない。そういうとき、一人で抱え込むな。絶対に、三人で共有しあう。それが俺たちの掟だ」

「掟?」

「ああ。苦しいときこそ、隠すな。逃げるな。三人で向き合う。それができるか?」

 アダムは頷いた。ショーンも、力強く頷く。

「約束する」

「俺も」

「よし。じゃあ、乾杯といこうぜ」

 リドラがリュックから缶ビールを三本取り出した。ショーンが苦笑する。

「用意周到だね」

「当然だろ。今夜が、俺たちの始まりなんだからな」

 三人は缶を掲げた。

「俺たちの未来に」

「三人の、会社に」

「そして——掟に」

 カチン、という音が研究室に響いた。窓の外では、春の風が桜の花びらを舞い上げている。

 翌朝。卒業式が終わり、三人はアダムの古いアパートに集まった。六畳一間の狭い部屋。ここが、彼らの最初のオフィスになる。

「社名、どうする?」

 ショーンがノートパソコンを開きながら尋ねた。

「『トライアド・ロジスティクス』は? 三人組って意味で」

 アダムが提案する。

「悪くないが、もっとインパクトが欲しいな」

 リドラが腕を組んで考え込む。

「『スリー・ブリッジ・ロジスティクス』は? 三本の橋。物流の橋渡しと、三人の絆って意味で」

 ショーンの提案に、二人が顔を上げた。

「……いいな」

「それだ」

 こうして、スリー・ブリッジ・ロジスティクスが誕生した。資本金は、ショーンが母親から借りた五十万ニール。社員は三人。オフィスは六畳一間。

 だが、彼らの目には希望しかなかった。

「よし、じゃあ役割分担だ。アダムはCTO、技術全般を統括。俺はCEO、営業と戦略を担当。ショーンはCFO、財務と管理を頼む」

「了解」

「任せて」

「明日から、動き出すぞ。最初の顧客を掴むまで、寝る暇もないと思え」

 リドラの言葉に、アダムとショーンが頷いた。

 その夜、三人は近所のコンビニで買った弁当を囲んだ。誰も何も言わなかったが、三人とも同じことを考えていた。

 これから、どんな困難が待っているのだろう。

 乗り越えられるのだろうか。

 だが、不安よりも大きな期待が、彼らの胸を満たしていた。

「なあ」

 アダムが口を開いた。

「俺、人と話すの得意じゃないけど……頑張る」

「ショーンは?」

「僕は……二人みたいに強くないけど、支える。絶対に」

 リドラが二人を見て、珍しく柔らかな笑みを浮かべた。

「俺は……お前らがいなきゃ、ただの口だけ野郎だ。だから、一緒に行こう。てっぺんまで」

 三人は再び、拳を合わせた。

 窓の外では、夜の街が静かに眠っている。明日から始まる戦いを知らずに。

 だが、この小さな部屋には、世界を変える力が宿っていた。

 三人の、譲れない夢が。

 そして、絶対に守ると誓った、掟が。

「じゃあ、おやすみ」

「明日、早いからな」

「うん。また明日」

 アダムは一人、ノートパソコンに向かった。システムの改良をしなければ。営業に出せるレベルまで、磨き上げなければ。

 キーボードを叩く音だけが、夜の静寂に響く。

 だが、彼の心は不思議と軽かった。

 一人じゃない。

 その事実が、彼を支えていた。

(第1話終わり)

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