第27話 生活水準の差。
どうやら誰かと一緒でないと、気が抜けてしまうらしい。
「エディット殿」
夢の中からエディットを引き摺り出したのは、聞き覚えのある声だった。目を開ければ、視界に飛び込んでくる見知った顔。
「レモンド殿」
神殿騎士のレモンドだった。本日エディットを一人で送り出した張本人である。尤も彼女とて上からの指示であるが。本人の独断ではないのだ。体を起こせば、未だ馬車の中である事に気付く。安堵を覚えた。抱き下ろされる事は免れたらしい。この騎士ならやりかねない。そんな風にエディットは思ったのだ。何せ女性でありながら、男性顔負けの男前具合である。勿論仕草の話だ。
「よく眠れましたか?」
「お陰様で」
冗談めかして言いながら手を差し伸べてくる。そろそろ慣れる頃合いだ。だから気負わずエディットは、騎士の手に自分の手を重ねたのである。馬車の乗り降りに手を貸すのはマナー以前に楽だからだな、と、そんな風に思いながら。馬車から降りれば、立派な教会が目に映る。荘厳で、無言で語り掛けてくるような佇まい。それが今の住まいなのだと思えば、不思議ですらあった。
「時計を」
指示せずとも去り行く馬車の音を聞きながら、そう言った。
「まだ必要でしょうから、どうぞ持っていて下さい」
だが、返ってきたのは拒否だったのだ。未だ必要、と、言う事は、今後も一人で冒険者ギルドに行かねばならないと言う事である。何だかなあ、と、思いながらそのまま教会の入り口で別れたのだった。レモンドは騎士だ。神官見習いとは、居場所が別なのである。なのに現れたと言う事は、仕事だからかもしれないが、態々、エディットを迎えに来てくれたのだ。一人でも困らないだろうが、助けが得られるのは心強い。
教会の廊下を歩くと、光も一緒に目に入る。神官は皆、多かれ少なかれ光を放っているのだ。信仰心と言う名の光である。尤も本人無自覚なだけで、人一倍眩しいのがエディットだった。だから誰も話しかけてこないのだ。
「ご機嫌ようエディット殿」
一緒に見習いになった人間以外は。
「こんにちはクレマンス殿」
どれだけ光っていても普通に接してくれる相手、その事の希少さに今は未だ気付いていない。
「暇でしょうエディット殿」
「クレマンス殿がお暇なら一緒じゃないですかね」
「なら一緒に食事をしましょうよ」
「食堂で?」
「わたくしの部屋よ」
確かに空腹を覚える頃合いである。納得しながらエディットはクレマンスと共に歩いたのだ。そして気付く。
「いえ、私が急に押しかけたらご迷惑じゃないですか」
一緒に食事をする、と、言う事は、クレマンスの部屋の誰かが用意をしてくれると言う事だろう。お嬢さんの分しかないと思うのは当然の事である。エディットは決してお嬢さんではないので、寧ろ仕える側の気持ちの方が分かるのだ。
「大丈夫でしょ」
「ええ……」
だがクレマンスはお嬢さんだった。しかも十歳のお嬢さんである。周りの苦労など、然程に考えていなかったのだ。突然一人分余計に食事を用意するのって大変だろうな、と、エディットは想像する。やはり辞退すべきでは。だが悩む時間はなかった。直ぐに部屋へと辿り着いてしまったのだ。躊躇せずクレマンスが扉を開ける。自室なので、躊躇う理由などないと言わんばかり。戸惑ったのはエディットだ。このまま去った方がいいのでは。その考えを見透かしたかのように、クレマンスが手首を掴んだ。逃げられない。つられるがまま、エディットは、扉の向こうへと踏み込んでしまったのだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
聞いた事のある声がする。クレマンスの侍女のアミシーだ。見れば、深々と頭を下げていた。主人が着ている見習いの神官服より立派な侍女用の服を身に着けている。
「戻ったわ。エディット殿も一緒よ」
「はい、こんにちはエディット様」
「え、ええと、こんにちはアミシー様」
戸惑いながら、名を口にした。アミシーは神官ではない。クレマンスにとっては侍女であろうとも、エディットにすれば上位者である。敬称に困った結果が、様である。逆を言えば、様を付けて間違いであるはずがないくらいには思っていた。エディットは知っていたのだ。貴族の子女の侍女が平民とは限らない事を。尚これは現世の知識ではない。
「エディット様、私は一介の侍女に過ぎません。どうぞお呼び捨てください」
しかし本人に拒否される始末。それを言えばエディットなど、今は神官見習いだが、元はと言えば農民の出である。どう考えても一番下で、それこそ、様、等と敬称を付けられる立場ではなかった。だがこれ以上固辞してもきっと吞まれない事も分かっていたのだ。何せ、相手は、知人の侍女である。主人の知人を無下に扱う事等絶対にしないだろう。
「では、あの、アミシーさん」
「はい、エディット様。本日はどういった御用件でしょうか」
「アミシー、エディット殿と一緒に食事をするわ」
「はい畏まりましたお嬢様」
「えっ」
話が纏まるのが早すぎる。少しは難色を示して欲しい。正に、この程度我儘とも言えぬと言わんばかり。エディットは困惑している。誰も見向きもしないが。白いテーブルクロスがかけられた丸テーブルに、椅子が追加される。勿論、エディットの分である。最早、座るしかなかった。エディットは思った。お洒落なカフェに来たみたい。現実逃避である。しかもアミシーが、目の前で紅茶を淹れ出したものだから、益々カフェ感が強くなった。現実逃避である。
「お食事の準備が整うまで、今しばらくお待ちください」
「……ありがとうございます」
じ、と、湯気が上がるティーカップを前にして、エディットは動きを止めていた。
「どうなさったの? お嫌いだった?」
「いえ、どう触れていいのか分からなくて」
「なんて?」
これは別に冗談でも何でもなかった。本気でエディットはそう思ったのだ。単純にティーカップが高そうだったからである。こんなに立派なカップを手にした事がなかったのだ。エディットは貧しい家の出なのである。
「普通に触ったらいいのでは?」
「大丈夫ですか?」
「何が?」
心底理解出来ないと言ったクレマンスの視線を浴びながら、漸くエディットは手を伸ばした。カップを持ったのだ。重い。それはそうである。液体が入っているのだ。そう言えば、作法を知らないな、と、思ったが今更だった。持ち手に指を入れてはいけないのだっけ。だが、無理である。重い。カップを持ち上げて気付く。カップもソーサーも白磁で、シンプルなデザインだった。だが、ソーサーの方は真ん中に鳥の絵が入っていたのだ。意味が分からない。意味が分からないが、お洒落な事は分かる。もう限界だった。お茶の味も全く分からなかった。多分美味しい。きっと美味しい。これが美味しくないなら、味覚の方がおかしい。エディットは自分と戦っている。
「どう?」
「大変素晴らしいです」
「何が?」
クレマンスの純粋な視線が痛い。田舎者を苛めるの止めて欲しい。心底思ったが、クレマンスにそのような意図は毛頭ない。勝手にエディットが追い詰められているだけである。
「アミシー」
「はい、お嬢様」
「エディット殿に、カップをプレゼントして頂戴」
「はい畏まりました」
「どうして!?」
突然お嬢さんが訳の分からない事を言い出したので、言葉が口を突いて出てしまった。目を丸くして呆気にとられる様を見て、クレマンスは目を細めたのだ。楽しんでいた。
「あなた、部屋にカップないでしょ」
「カップどころか、飲むものがないんですけど!?」
「何時も水飲んでるって言ってたじゃない。それでいいでしょ」
「水を!? ティーカップで!?」
「少しはお慣れなさいな」
「飲む相手、クレマンス殿だけなんですけど!?」
「あなたのお部屋で、一緒に水が飲めるのを楽しみにしているわ」
これが意地悪なら何とでも言い返しただろう。だがそうではないのだ。本当に純粋に、このお嬢さんは、エディットの部屋に水を飲みに来る気でいるわけである。其処には悪意など微塵もない。ただ面白そう、とは思っているだろうが。エディットは困った。それはもう心底困った。お茶請けも何もないあの部屋で、このお嬢さんを招待して水を飲む。そもそも椅子は二脚あっただろうか。ない。立ち飲み? 水を? ティーカップで? 流石に侍女に怒られるだろう。頭が痛い。食事をしに来ただけでこの有様。生活水準が違うと、こんなにも早々に躓くのだな、と、そんな風に思っていた。これからの付き合い方に悩む出来事である。
盛り上がっていると、食事が運ばれてきた。そうしてエディットは又固まったのだ。テーブルに乗せられる皿。その皿の上の物を見て、唖然としたのである。
肉だった。
こんがりと焼けた、立派なお肉だった。
教会の食堂で、いや、エディットの人生で一度も目にした事がないくらい立派な肉がお目見えしたのである。
「クレマンス殿」
「どうなさったの? お嫌いだった?」
「いえ、食堂には絶対来ない方がいいです」
「なんて?」
カルチャーショックで倒れるかもしれない。割と本気でエディットは心配している。食生活に差があり過ぎる。そりゃあ、すくすくとお育ちになる筈である。改めてクレマンスを見て思ったのだった。同時に、一緒に運ばれてきたパンを見て、部屋に持ち帰っていいだろうかと思った自分が悲しかった。最早遺伝子レベルで貧乏が身に沁みついている。一生水飲んで生きよう。勝手にそう決意したのだった。肉は大変美味しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます