第25話 探究心が身を滅ぼす。
エディットが神の園にいる間、此方がどうなっているかを知るすべはない。一瞬の事であるのか、それとも、魂が抜けたように見えるのか。何にせよ、エディットは戻ってきたのである。感覚としてはそうだ。ルシアンが目を丸くしている。それはそうだろう。此方は神官だ。故に分かるのである。エディットが、神に呼ばれ、そして帰ってきたことが。単純に、放つ光が増しているのだ。神の園は、一度足を踏み入れれば、通常の神官の百年分の祈りと同等の経験を積むと言われている。其処に二回行ったのである。単純計算で二百年分の祈りである。ルシアンもまた、若き身でありながら、百年相当の輝きを放っていた。そのルシアンを簡単に超えてしまったのである。ただ客人だけが、先程と変わらない体でそこにいた。だから気付く。時間は経過していないのだろう、と。エディットは其方を見て、眉根を寄せた。
マジで、分かるじゃん……。
何と男性の頭の上に、文字が浮かんでいるのである。どう見ても名前だった。しかもそれだけではなかったのだ。名前の下に、計算だとか、人心掌握、なんて文字が見える。恐らく、スキルである。プライバシー消失のお知らせ。神様、やり過ぎです。エディットは内心で語り掛けたが、願った内容に問題があったとは気付いていないのだ。知らない人の名前が分かるようにしてくれ、と、祈ればよかったものを、知らない人の事が分かるようにして下さい、等と願ったものだから、余計な情報が付加されてしまったのである。全て自分の所為だった。
仕方がない。
分かってしまうものは、仕方がない。
エディットは覚悟を決めた。
「ええと、レイナウト・メルヒオール・ファン・デルベイルさん」
言いながら、長い名前だな、と、軽い感想を抱いていた。いや、言う前に気付くべきだった。基本、人の名前をフルネームで呼ぶ事等ないと言う事に。特にこの世界では、仲が浅かろうが深かろうが、大抵名の方である。つまり、全て口にした、と、言う事は、何らかの意味があっての事なのだと、解釈されるのだ。
実際呼ばれた男性は酷く驚いた顔をしている。
エディットは困惑しながら、男性の頭の上を見た。いや、間違っていない。確かに、レイナウト・メルヒオール・ファン・デルベイルと見える。何度見ても、長い名前である。
「……エディットさん」
「アッハイ」
静かに名を呼ばれ、反射的に返事をした。かと思えば、男性はエディットの目の前にいたのだ。急に距離を詰めてきたのである。思わずエディットは仰け反ってしまった。逃げようとしたのだが、手を掴まれて、動くことが出来なかったのだ。両手で、そう何故か、両手を掴まれている。友好の握手にも見えるし、縋っているようにも見えた。分からないのは理由である。エディットは顔を引き攣らせた。
「このお礼は必ず」
「えっ」
礼とは一体。
聞き返す前に、手が離される。理解するより早く相手が動くものだから、ただエディットは突っ立っているだけだ。
「申し訳ありませんルシアン殿。急用が出来ましたので、失礼させていただきます」
「はい、お気をつけて」
えっ。
展開が早すぎて、エディットに出来る事と言えば、首を動かす事だけだった。つまり、ルシアンとレイナウトなる男を交互に見たのである。だが何方もエディットに見向きもしない。それどころか、宣言通り、レイナウトは部屋を出て行ってしまった。それも、小走りで。大層急いでいるのが分かる。余程の用を思い出したに違いない。内心で、大変だなあ、と、感想を零していると、
「エディット殿」
急に名を呼ばれたものだから、嫌でも現実に引き戻されたのだった。
呼ばれたら、見る。見てしまう。最早条件反射のようなものである。そうして、キラキラ光る美人の頭上に踊る文字の羅列を見てしまったのだった。
ルシアン・ドゥ・ロレーヌ=ヴォーデモン。此方も此方で、エディットの感覚で言えば、立派な名前であった。だが此処では只のルシアンである。神官とはそう言うものだ。
「はい」
「どうして神の園に?」
どうしたって初手でバレるわけである。何と言っても隠しようがない輝きが、エディットを包んでいるのだ。エディットは焦った。大いに焦った。まさかこの美人の前で失態を犯したくないが故に、神を頼ったなどとは口が裂けても言えない。現に神からも、直接聞けばいいと言う有難いアドバイスを頂戴してしまったのだ。既に後の祭りだが。何せ客人はもういないのだ。
「た、探求心が、急に、極まって……」
声を震わせながら答えた。QTKと言う訳である。Q《急に》T《探求心が》K《極まったので》の略だが、一生口に出すことはないだろう。そんなかなり無理のある言い訳を、エディットは天井を見ながら言った。年季の入った建物なので、細かい罅が見える。隣を見る勇気はなかった。でも直接見なくても、光が視界に入り込んでくるのだ。逃げられない。大体神の園に招かれるには、命を懸ける程の祈りが必要なわけであるが、その理由が探求心は本当に無理があった。だが真実を知るのは、エディットと神のみである。
「神の園に招かれる程の探求心……」
エディットは願った。いっそ詰って欲しい。居た堪れなさ過ぎて心が死ぬ。そんなに簡単に信じないで欲しい。詐欺だったら一巻の終わりですよ、と、内心で言うも、神官たるものそのような悪事を働いた時点で終わりである。神に見放されること請け合い、エディットであれば、スキルが消失するだろう。
「そ、それはそうと、一体何の用事だったのでしょうか!」
覚悟を決めエディットは声を張った。力技である。話を逸らさなければいけない。これ以上ボロが出る前に。話題を振るついでにルシアンを見てしまい、勝手に自滅した。余りの眩しさに、目が潰れそう。尤も、エディットの方が輝きの度合いでは上である。顔は地味だが。
「エディット殿、先日、ストランド商会の馬を助けたそうですね」
なんて?
目が潰れることも忘れ、まじまじとエディットはルシアンを見てしまった。意味が分からなかったのだ。しかし返ってきたのは、不思議そうな顔であった。当然の真実として受け入れている顔である。
馬。
言われ、考えてみた。
馬。
確かに、覚えがないこともない。クレマンスと街へ散策へと出かけた折、具合の悪そうな馬を見かけたのだ。馬車に繋がれた馬だった。その場に伏せって動かず、困った御者と車体の中の人は飛び出していったのだ。その誰もいない隙を見計らい、エディットは近づき、そして、癒しの力を使ったのである。あの時確かに手から光は出たのだ。だが、馬は動かなかった。だから、失敗したのだと思っていたのだ。
しかしどうやら、成功していたらしい。
だが、不可解な点はもう一つある。
「ひ、人違いではないでしょうか」
レイナウトへと告げた内容を、もう一度口にする。記憶違いでなければ、あの時近くにいたのは、クレマンスだけである。誰も見ていなかったはずなのだ。つまり、知らない振りで切り抜けることは可能だと思った訳である。無かったことにしたい。そう、エディットが望む理由は一つである。癒しの力を振るうのは、慈善事業ではないのだ。それを勝手にやってしまったわけである。疾しい気持ちでいっぱいだった。
「いえ、聞いたようなので間違い無いでしょう」
「だ、誰に?」
とうとうエディットは尋ねた。他に誰もいなかったはずのあの場所で、一体誰がエディットの名を出したのか。不思議でしかなかったのだ。問われルシアンは平然と答えたのである。
「馬に」
「馬に!?」
「はい」
「えっ?」
「えっ?」
やたらと光を放つ二人が、似たような表情で訝しんでいる。相手の態度をである。エディットは途端に心配になった。目の前の美人がである。何故なら、馬は話さないので。嘶く事はあれども、人語を話したりはしない。大前提である。エディットは意を決した。
「馬は、話さない、と、思うのですが」
純然たる事実を、口にしたのである。だがルシアンはこれに目を丸くしたのだ。
「あの、エディット殿」
「はい」
「スキルです」
「えっ」
「ですから、動物と話すスキルを持った人物が間に入ったのだと……」
「あっ」
すっかり失念していた。以前聞いていたのだ。あの、六本足の馬が引く馬車に乗った際、神殿騎士であるレモンドに聞いたのだ。魔物と会話するスキルを持つ人間がいると。そうであるならば、動物と会話するスキルがあったとて、何らおかしな事はない。前世にない事だったので、イコールで結ぶことすら出来なかったのだ。
「……馬って、賢いですね」
喉から搾り出すような声音だった。事実上の敗北宣言である。
「ええ、二人組の少女が癒して行ったと」
あの時、ぴくりとも動かなかった癖に、どうやら治っていたらしい。恐らく知らない人間が傍にいると言うことで警戒していたのだろう。腹立たしいほどに賢い。幾ら人助けならぬ馬助けとはいえ、もう軽い気持ちで行うのはやめよう。そもそも失敗したと思っていたのだ。まさか後からこのような事態に巻き込まれるなどとは、想像もしていない。別に悪いことはしていないが、人間には人間の事情があるのだ。
「しかし、普通はそこまでしませんので安心してください。ストランド商会の馬だったからですよ」
「ストランド商会?」
聞き覚えのない名前であるが、自分の記憶力に自信がなくなってきているエディットは、黙って続きを待つことにした。
「王都で五指に入る商会ですよ。商人は、借りを作るのを厭いますからね、早々に返しにきたんでしょう」
尤も返す前に出ていってしまったわけだが。ただ、エディットの方は返して欲しいなどとは微塵も思っていなかった。何せ、忘れていたくらいである。寧ろもう二度と来ないで欲しいくらいだ。レイナウトさえ来なければ、神の園へ行くことも、新たな力を授かることもなかったのである。ほぼ逆恨み。
「因みに先程の方、お名前をレイナウト・ストランドと言います」
「えっ」
「ストランド商会の跡取りです」
神様!!
顔を引き攣らせながら内心で呼んだ。勿論返事はない。あったら困るのだが。しかし、縋りたくもなると言うものだった。何故なら、違うのだ。先程、エディットが見た名前と。顔を顰めて、記憶を辿る。レイナウト・メルヒオール・ファン・デルベイル、確かにそう書かれていたのだ。素直に読んだわけである。まさか、神の力に間違いなど有ろうはずがない。つまり、何方かが偽名と言うわけだ。いや、どっちでもいいな。エディットは気付いた。今日初めて会っただけの人の本名など、どうでもいいわけである。ストランドさんだか、メルヒオールさんだか、デルベイルさんだか知らないが、どうでもいいのだ。
よし、この話は終わり。
勝手に結論付けた。
エディットの様子を見ていたルシアンは、これ以上は何も言わない方がいいと、此方も此方で同じ結論に至ったのか、口を閉ざしたのだった。こうして他人の謎を残したまま、新たな力だけを授かり、客人との邂逅は終わったわけである。
部屋に戻る最中、偶々出くわしたクレマンスが言った。
「あなた、一体どうしたらそうなるの!?」
掃除をしていた時も輝いていたが、更に光が増していたものだから、つい口から出たのだ。この短時間で一体何が。そう思うのは当然の事だ。思わずエディットは両手を顔で覆って俯いた。羞恥に呻いているわけである。
「知っていますかクレマンス殿」
「なにを」
「後悔は、先に立たないのです」
聞いたクレマンスが半眼になる。そうして思った。また何か、やらかしたんだな、と。概ね正解である。エディットは今日も、やらかしたのだった。その代償が、二百年分の祈りの力と、全身から溢れる信仰心を表す光である。無駄に、輝いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます