第35話 終わり

エルドラ渓谷。

崩壊しかけた大地は、辛うじて形を保っていた。

地表は焦げつき、抉れ、亀裂が蜘蛛の巣のように走る。


だが、奇跡的にまだ“世界”と呼べる輪郭を残している。


世界の“釘”が抜かれた跡。

そこだけが、異様なほど静かだった。

土も、石も、風も――どこか現実の重さを失っている。


まるで、その地点だけ時間の流れが止まったように。

乾いた風が吹き抜ける。


焦げた岩肌に当たり、余熱をかすかに撫でる。

その風の中で、Sランク探索者たちは無言で立っていた。


長い静寂。

倒れた瓦礫の軋みと、遠くで崩れ落ちる岩片の音だけが響く。


最初に口を開いたのは――

鋼鉄の巨人、オルフェン・ヴァルトだった。



「……終わったか?」


低く、鉄を擦るような声。


誰もすぐには答えなかった。

彼の言葉が、場に落ちたまま、風に削られていく。


「“終わった”って言うにはちょっとデカすぎる事件だったな」


肩をすくめたのは、英国の騎士王、アーサー・グランドだった。


折れた剣を杖代わりに地面へ突き立て、

灰を被った鎧越しに鋭い息を吐いた。


「零、釘二本……」


彼は苦笑する。


「世界がギリギリで踏みとどまった、ってところか」


「踏みとどまった、というより――」


音もなく横に現れたのは、世界最速の女、ヘレナ・グラニエ。


その姿は風の延長のようで、足音さえ残らない。


「彼が、止めたのよ」


淡々とした声。

その一言に、全員の視線が一斉に天音へと集まった。


青年は沈黙していた。


風に揺らぐ影のように、ただ立っていた。

手にはもう“光”も“呪”もなく、目の下には深い隈。



「……俺は、ただ、判定が出ただけです」


掠れた声で、天音がようやく答えた。

「止めたのは、たぶん――“本物の”」


最後まで言い切らない。

だが、彼の言葉の続きを誰も問いたださなかった。


フロスト・イグナートが破顔した。

白い息を吐きながら、わずかに唇を歪める。


「……『それを使えた時点で、十分異常だ』」


からかうような口調にも、どこか敬意の滲む響き。


天音は苦い顔をした。


「やめてくださいよ、そういうの」


「俺、ただの学生ですよ」


その瞬間、短い沈黙。

全員の間に空気の緩みが生まれ、


吹き出したのは、意外にも龍姫だった。


「ははっ!」


乾いた笑いが響く。

真紅の髪を揺らし、豪快に脇腹を押さえる。


「今さら何言ってんの、天音」


「世界が崩れる寸前で片脚踏みとどまった人間が、

“ただの学生”はちょっと無理があるでしょ」


「……空も飛べないし」


「そこじゃないから!」


龍姫の背後で、小さな龍の使い魔が震えながら口を挟んだ。


《ーーーーーーーー》


「ほら、龍にも言われてる」


龍姫がにやにや笑う。

天音はそっと一歩後ずさった。


「……やっぱ怖いんで、距離取りますね」


「何でよ」


「いや、なんか直感的に」



オルフェンが、腕を組んで全員を見回す。


皮膚の下で機械仕掛けの筋肉が軋むように動く。


「問題はこれからだ」

低く重い声音で言った。


「釘は抜かれた。だが、世界はまだ安定していない」


空気の揺らぎが、依然どこか歪んでいる。

風の流れがときおり逆転し、光の影が遅れて動く。

完全に止まったわけではない。


ヘレナが頷いた。


「零は消えた。でも――」


少しだけ視線を逸らし、唇を噛む。


「“同じことが起きない”保証は、どこにもない」

その言葉に、誰も返せなかった。


全員が自然と、空を見上げる。

それは見慣れた青空のはずだった。

けれど、誰も信じきれない。

“同じ青空”がまだ続いているなどと。

しばしの沈黙。


やがて、天音が口を開いた。


「……俺」


「《無限地獄》、使ったんですよ」


一瞬、周囲の空気が硬直する。

音もなく、それぞれの表情が凍る。


天音は俯いたまま、淡々と言葉を続けた。



「能力無効とか関係ない

あの場にいた“世界”が、従ってた」



見たのだ。

その扉を、あの“膜”を、世界が怯えた瞬間を。


アーサーが静かに言った。


「それは……もはや《神域》だな」


フロストが半分冗談のように呟く。


「人間が踏み込んでいい場所じゃない」


龍姫が腕を組み、少しだけ真剣な顔をした。


「……それでも、使ったんでしょ」


天音は小さく頷く。


「使わなかったら、全部終わってました」


それは、一切の誇張を含まない真実だった。


沈黙。

風の音が再び戻る。

焦げた岩壁の割れ目から、熱気と冷気が交差する。


オルフェンが一歩、前に出た。


「ならば――」


「次も、頼る」


短い言葉。

しかしそこに宿る重みは、誰よりも強かった。

命令でも、脅しでもない。

命を共有する者同士の、静かな覚悟だった。

天音は、苦笑した。


「……ほんと、大人って嫌だ」


「俺、帰ったらテスト勉強なんですけど」


それを聞いたヘレナが、くすっと笑う。


「生きてテストを受けられるだけで、運がいい方よ」


龍姫が肩を叩く。


「そのうち、世界史に名前載るんじゃない?」


「やめてください」


天音は即答した。


「絶対に嫌です」



アーサーが呆れ混じりに言う。


「ではせめて、伝説の脚注くらいにはしておこう」

「いや、だから……!」


天音の抗議をよそに、

そこには久しく感じていなかった“人の温度”が滲み始めていた。


だが、空の青は静かに揺れている。

風の奥底で、かすかな“音”が聞こえた気がした。

まだ誰も気づかない。


崩壊したはずの時の流れの、わずかな“ほつれ”。

扉の向こうで、誰かが、微笑んだ。


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