刀の唄
@KURONOINU
第1話
俺は、自分が遠くにいる。
いつもそうだ。目の前で友達が笑っている。俺の冗談に声を上げて、肩を叩いて、親しげに話しかけてくる。俺も笑う。明るく、人懐っこく、みんなが期待する「普通の友達」として。
けれど、その笑顔を作っている自分を、俺はどこか遠くから眺めているような気がしてならない。
まるでガラスの向こう側にいるみたいだ。音も、匂いも、感触も、全部がワンクッション遅れてやってくる。痛みも、喜びも、怒りも、悲しみも。すべてが「他人事」のように感じられる。
これって、なんて言うんだっけ。離人症? そんな名前だったか。まあ、どうでもいい。名前をつけたところで、この感覚が消えるわけじゃないし。
俺、天城蓮は、そんな風に世界と「ズレて」生きてきた。
だから、あの日のことも、きっと他の誰よりも冷静に受け止められたんだと思う。
五時間目の授業中だった。
数学の教師が黒板に何か書いている。俺は窓際の席で頬杖をつきながら、その光景をぼんやりと眺めていた。教師の声は遠い。隣の席の日高翔太が何か話しかけてきたけど、内容は覚えていない。適当に相槌を打ったような気がする。
そのとき、空気が歪んだ。
――ああ、なんだこれ。
教室の蛍光灯が明滅する。窓の外の景色が、水彩画に水をこぼしたみたいに溶けていく。誰かが悲鳴を上げた。担任が何か叫んでいる。クラスメイトたちが立ち上がって、慌てふためいている。
俺は立ち上がらなかった。
立ち上がる理由が、よくわからなかったから。
「蓮! 何ぼーっとしてんだよ!」
翔太が俺の腕を掴む。スポーツ刈りの茶髪に、犬みたいな人懐っこい笑顔。クラスの人気者で、俺の「親友」ということになっている。少なくとも、翔太はそう思っている。
「地震か? いや、違う……これ、ヤバいって!」
翔太の声が遠い。
そして次の瞬間、教室の床が光に飲み込まれた。
浮遊感。視界が真っ白になる。耳が痛い。誰かが叫んでいる。誰かが泣いている。誰かが祈っている。
――ああ、召喚か。
なぜかそう思った。根拠なんてない。ただ、直感的にそう理解できた。異世界召喚。よくあるやつ。ラノベとかアニメで散々見たアレだ。
まさか自分がそれに巻き込まれるとは思わなかったけど、まあ、そういうこともあるんだろう。
俺は、その状況すらも他人事として受け止めていた。
次に視界が戻ったとき、俺たちは石造りの大広間に立っていた。
高い天井、豪奢なタペストリー、床に刻まれた複雑な魔法陣。そして、奥の玉座に座る王冠を被った初老の男。
ああ、わかりやすい。これは「王様」だ。
「ようこそ、勇者たちよ!」
王様が満面の笑みで立ち上がった。
「我が名はリオニス王国第十七代国王、エドワード・リオニス! 汝らを異界より召喚せし者なり!」
クラスメイトたちがざわめく。混乱、恐怖、期待。いろんな感情が渦巻いている。
俺は、その光景を静かに観察していた。
――ああ、これがテンプレってやつか。
王様の周囲には白い法衣の神官たちが並んでいる。手には水晶の球体。おそらくあれで魔力とか適性とかを測るんだろう。そして俺たちにスキルとかいうのを授けて、魔王を倒せとか言い出す。だいたいそういう流れだ。
「恐れることはない。汝らは皆、我が国、いや、この世界を救う希望なのだ。さあ、一人ずつ前へ。神の加護を測定し、相応しきスキルを授けよう」
ほら、やっぱり。
一人、また一人と、クラスメイトたちが魔法陣の前へと進んでいく。
神官が水晶球に手をかざすたびに、光が輝いて、声が響く。
「魔力適性、A。スキル《剣聖の才》、付与完了」
「魔力適性、B+。スキル《炎帝の加護》、付与完了」
歓声と拍手。みんな、意外と順応が早い。さっきまで泣いたり叫んだりしてたのに、もうスキルだの魔法だのに目を輝かせている。
まあ、気持ちはわかる。普通の高校生が突然チート能力を手に入れたら、そりゃテンション上がるだろう。
でも、俺にはそれが遠い。
みんなが喜んでいるのを見ても、「ああ、喜んでるんだな」って認識するだけで、共感はできない。いつものことだ。
翔太の番が来た。
「魔力適性、S。スキル《勇者候補》……これは!」
神官たちがどよめく。王様が目を見開いて、翔太に駆け寄る。
「《勇者候補》だと! 素晴らしい! 真なる勇者の器よ!」
翔太が顔を真っ赤にしている。周りのクラスメイトたちが羨望の眼差しを向けている。
――ああ、翔太が主人公になったんだ。
そう思った。別に羨ましくもない。ただ、「そういう配役になったんだな」って、遠くから眺めているだけ。
次に、水無月雫が前に出る。
黒髪ロングストレート、眼鏡をかけた優等生。クラス委員長で、成績も常にトップ。俺が「演じている」部分を、もしかしたら薄々気づいているかもしれない、数少ない人物だ。
「魔力適性、S-。スキル《大賢者》……!」
また、どよめき。雫は冷静に頷いている。彼女らしい。
そして、最後に俺の番が来た。
俺は魔法陣の前に立つ。神官が水晶球に手をかざす。
光が――消えた。
水晶球が真っ黒に濁って、ひび割れる。神官が悲鳴を上げて後ずさる。
「な、何だこれは……!」
別の神官が慌てて駆け寄って、別の水晶球を取り出す。再び手をかざす。
結果は同じ。水晶球が黒く染まって、砕け散った。
広間が静まり返る。
――ああ、やっぱりな。
俺は、なぜかそう思った。
なんとなく予感していた。俺は、このシステムに組み込まれないんじゃないかって。いつも世界から「ズレて」いる俺は、異世界に来ても同じなんじゃないかって。
王様の顔が、歓喜から困惑へ、そして嫌悪へと変わっていく。
神官長らしい老人が、震える声で宣言した。
「……魔力適性、測定不能。いや、これは……【神聖拒絶体質】……!」
老神官が俺を見据える。その目には、明確な恐怖と嫌悪が宿っていた。
「忌子(いまわしご)だ。この者は、神の加護を拒絶する、穢れた魂の持ち主!」
どよめきが広がる。
俺は、その反応を静かに観察していた。
翔太が困惑した顔でこっちを見ている。雫が眉をひそめて、一歩後ずさる。他のクラスメイトたちが、俺から距離を取り始める。
――ああ、そうか。俺は「異物」なんだ。
この世界のシステムにとって、イレギュラー。エラー。バグ。だから排除される。
それは、ひどく納得のいく結論だった。
「おい、蓮……お前、大丈夫なのか?」
翔太が声をかけてくる。その声には、戸惑いと、そして薄い恐怖が混じっていた。
大丈夫かって? 何が? 俺は別に何も変わってないけど。
そう言おうとして、やめた。どうせ伝わらない。
「翔太殿」
神官が翔太に近づいて、低い声で囁く。
「その者に近づいてはなりません。神の敵は、善なる者を穢します。勇者候補たる貴方が、穢れに触れることは許されません」
翔太の顔が変わる。
戸惑いが消えて、代わりに「正しさ」が宿る。それは、神官の言葉を無条件に受け入れた証だった。
「……そう、か。ごめん、蓮。俺、勇者候補だから……その、神様に従わないと」
――ああ、そうだよな。
俺は何も言わなかった。
翔太は悪くない。ただ、システムに従っているだけだ。勇者候補としての「正しい行動」を取っているだけ。それは合理的だし、当然のことだ。
雫も同じだった。
「天城くん、残念だけど……神のシステムがあなたを拒絶している以上、私たちとは一緒にいられないわ。これは合理的な判断よ」
合理的。
その言葉が、俺の中で静かに反響する。
――ああ、そうか。これが合理的なのか。
友達が俺を見捨てる理由。それは感情じゃない。システムに従った結果。神という絶対的な権威が、俺を「穢れ」と断定したから。だから彼らは、何の疑問も抱かずに俺を切り捨てる。
それは、ひどく効率的で、ひどく当然で、ひどく他人事だった。
別にいい。俺は最初から、みんなとは違う場所にいたんだから。
王様が手を挙げた。
「忌子を、〈静寂の奈落〉へ。神の裁きに従い、封印遺跡に廃棄せよ」
兵士たちが俺を取り囲む。翔太は目を逸らす。雫は冷静に頷く。他のクラスメイトたちは、安堵の表情を浮かべている。
――ああ、これで元通りか。
俺という「異物」が消えれば、みんなはまた仲良くやれる。勇者パーティーを組んで、魔王を倒しに行く。ハッピーエンド。
俺は抵抗しなかった。
抵抗する理由が、見つからなかったから。
兵士に両腕を掴まれて、広間から引きずり出される。誰も助けようとしない。誰も声をかけない。それが「正しい」からだ。神が、そう決めたから。
城の地下深く、さらに奥へと続く階段を降りていく。
石の壁、松明の明かり、冷たい空気。
やがて、巨大な縦穴の前に辿り着いた。
〈静寂の奈落〉。
かつて神に背いた者たちが封印された、古代遺跡。そこは今や、システムから外れた「異物」を廃棄する場所となっている。
兵士が俺を縦穴の縁に立たせる。
「神の慈悲により、即座に処刑はしない。だが、この奈落から生還した者は一人もいない。お前の運命は、既に決まっている」
兵士が俺を突き飛ばした。
身体が、暗闇へと落ちていく。
風が耳を切り裂く。視界が真っ暗になる。身体が何度も壁に叩きつけられる。痛い。でも、その痛みも遠い。
――ああ、死ぬのかな。
そう思った。別に恐怖はない。ただ、「死ぬんだな」って、他人事みたいに認識するだけ。
どれくらい落ちたんだろう。
衝撃。
身体が石床に叩きつけられた。
骨が軋む音がした。口の中が血の味で満たされる。意識が遠のきかける。
でも、死なない。
しばらく横たわっていた。天井を見上げる。そこには、微かに光る苔が張り付いていた。
――綺麗だな。
そんなことを思った。
やがて、俺はゆっくりと身体を起こした。
奇跡的に骨は折れていないらしい。たぶん、落下の途中で何度も壁にぶつかったおかげで、速度が落ちたんだろう。
周囲を見渡す。
古代遺跡の内部。崩れかけた石柱、朽ちた祭壇、そして――無数の骸。
人間のもの、人間じゃないもの。それらはすべて、神に見捨てられた者たちの成れの果て。
――ああ、俺もいずれこうなるのか。
そう思ったけど、別に怖くはなかった。ただ、「そうなんだな」って受け止めるだけ。
でも、今すぐ死ぬつもりもない。
俺は立ち上がって、遺跡の奥へと進み始めた。
暗闇の中を、光る苔を頼りに歩く。時折、何かが動く気配がする。魔導兵の残骸とか、失敗作の生物兵器とか、そういうやつだろう。
戦う気力はない。ただ、避けて進む。
どれくらい歩いただろうか。
やがて、最奥の部屋へと辿り着いた。
そこには、祭壇があった。
祭壇の上に、一振りの刀が安置されている。
刀身は真っ黒。鞘はない。柄には、何重もの封印符が巻かれていて、古代文字が刻まれている。
――なんだこれ。
俺は、その刀を見つめた。
何かに惹かれるように、足が動く。
なんでだろう。理由はわからない。ただ、この刀に触れなきゃいけないような気がした。
手を伸ばす。
柄に触れる。
その瞬間――
柄から、棘が伸びた。
無数の棘が、俺の掌を貫く。
――痛っ。
血が溢れる。痛みが走る。でも、やっぱりそれも遠い。
黒い靄が刀身から溢れ出して、俺の身体を包み込む。刀が、体内へと吸い込まれていく。
――なんだこれ。
そして――声が聞こえた。
『……ようやく、見つけた』
女性の声だった。
優しくて、でも冷たい声。
『我は黎鳴。血を啜り、唄を刻む』
――黎鳴?
『……ようやく見つけた、神のロックが及ばぬ器よ』
――器? 俺が?
そう問いかけようとして、意識が途切れた。
暗闇に落ちていく。
でも、その暗闇の中で、声は続いた。
『安心しなさい。私はあなたの味方よ。……少なくとも、今は』
――味方、か。
俺には、それが本当なのかどうか、わからなかった。
でも、別にいい。
どうせ俺は、最初から一人だったんだから。
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