「逆さまのきゅう」編

きゅう編① 悪意の空回り


 ヨシが自宅で転んでから、三日が経過した。

 検査の結果、脳や骨などに問題はなく、その日のうちに帰宅することができた。

 とはいえ、しばらくは自宅のベッドで安静にし、回復してからもリハビリに出かけることになった。


『朝御飯のときにも話したけど 午後からケアマネジャーさんとの話し合いです』

『帰る途中で晩ご飯のおかず買ってきて!』


「『了解』、っと」


 母葛乃かずのからのメッセージに返信を返しすと、晴吉はスマホをバッグへとしまい、ふと落としていた視線を上げる。

 するとそれまで数歩先を歩いていたはずの存在かのじょがおらず、彼はギョッとした。


 とんがヨシに向けてしたように、もいつ悪事を働くかわからない。

 特に彼女はなぜか自分のことを毛嫌いしており、一紗かずさとの恋愛に関係のない嫌がらせをしてきそうで怖かったのだ。


 しかし、そんな彼の心配は杞憂に終わった。

 数メートル先の交差点で銀髪を両耳の上あたりでまとめた美少女——『きゅうき』が、キョロキョロと左右を見回していたからだ。


 元々大陸の出身だからか、服装は髪色と同じ銀色の地に金糸で旋風つむじが縫い込まれたチャイナ服。

 妖術で形成しているその服のスリットからは、陶磁器のように真白い太ももがちらりと覗いていた。


 ——ただし、その体躯はてつと同じかそれ以下。

 凹凸に至ってはてつよりも少なく、良く言えば機能美、悪く言えば寸胴だった。

 妹がいたらあんな感じなのかも——という不遜な考えを頭上から振り払い、晴吉は苦笑いしながら彼女へと駆け寄った。


「あのー、きゅう様? そんなにどんどん前に進んでどうしたんですか?」 

「……言いたくない」

「でも……」

「なによ、文句あるの? 私は誇り高い悪神で、お前は人間。身の程を弁えなさい」

「それは、そうなんですけど……」

「ですけど……なに?」


 きゅうが晴吉の方に振り返り、すごむ。

 金色に輝く両目は狐のそれのように吊り上がり、口は不機嫌そうに歪んでいた。

 しかし、晴吉はそこで怯えることなく苦笑くしょうを続ける。


「ええとですね……俺の高校は、一つ前の曲がり角を右なんです。この交差点まで来ちゃうと、ちょっと行き過ぎなんです」


「……」

「……」


 きゅうが晴吉以外に見えないのは、本当に救いだった。

 もし見えていたとしたら、彼女のぷるぷると震えるその様は、注目の的だっただろうから。


「——やろうと思ったの」

「はい?」


 晴吉が聞き返すと、きゅうの顔にボッと火がついた。


「お前をその高校? とやらに遅刻させてやろうと思ったの! そうすれば……」

「ああ……」


 小さいなあ、色々と——と言いそうになるのを、晴吉はぐっと我慢する。

 多分何かしてくるとは思っていたけど、ここまでとは。


「な、なによ、そのニヤケ顔は⁉」

「いえ別に。ただ、早出してきてよかったなあと思っただけです」

「えっ⁉ いつもこの時間じゃないの⁉」

「いつもはもっと遅い時間です。でもきゅう様、あまり家から出たことないみたいですし」

「な、なんでそれを……!?」

「てつ様が教えてくれたんです。きゅう様は神社にいた頃からずっと出不精でぶしょうだって。確か、人が入って来ないように結界を張ってたんですよね?」

「て、てつぅぅぅ!」


 ここにはいない大食いとうてつの笑みを幻視したきゅうが空を仰いだ。


「それを聞いて俺、もしきゅう様が外に出たら色々と目移りするんじゃないかって思ったんです。あと、俺のことを嫌ってるみたいだから、何かちょっかいをかけてくるのかなあ、とも思ってました」

「ぐ、ぐうぅぅぅ……」


 申し訳ございません、と慇懃に頭を下げる晴吉に、きゅうが頭を抱えつつうめき声を上げる。


「さあきゅう様、来た道を戻って高校に行きますよ。高校に興味がないのなら別ですけど、どうします?」

 晴吉が背中越しにきゅうへと尋ねる。

 その少しからかい気味の口調に、きゅうは地団駄を踏んだ。


「ふ、ふん! そうやって余裕をこいていられるのも今のうちよ! この私にかかれば、お前の恋人の……なんだっけ?」

御門みかど先輩ですか?」

「そう、その御門なんとかよ! そいつを破滅させるなんて簡単なんだから!」

「はいはい、どうぞご勝手に。でも……」


 ——それでも俺、諦めませんから。


 どこか赤毛の戦闘狂とうこつにも似てきた晴吉を見て、きゅうは歯噛みするのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る