第1話 処刑人アストラル

 時は遡ること一日前――


 ブラックチャペル自警団本部の団長室は散らかっていた。


 中央の机には書類が積まれ、床は足の踏み場がない。改造途中の《蒸気銃》などスチームガジェットから小難しい哲学書、サッカーの雑誌まで趣味は広い。


 仕事の報告のため中に入るも、団長の姿は埋もれていた。


「ちょ~っと待ってくれぬか? いま片付ける」


 書類の向こうから情けない声が聞こえた。


 バタバタと手を動かして書類をずらし、顔をのぞかせる。仕事に追われているのか参ったような表情だった。


 ブラックチャペル自警団の団長、ヨシタカである。この街では珍しい東洋人。祖国では武士という騎士階級だったらしい。


 俺の上司だ。


「アストラルじゃったか。仕事は……ああ、なるほど」


 団長は俺を見て得心したように頷く。


 俺の右手には、痩せこけた男の生首が握られていた。


 つい先ほど、街で暴れ狂っていたので処刑した男だ。準指名手配のような扱いだったこともあり、仕事の成果報告はそれだけで十分だった。


「いつもすまぬな。お主にばかり負担をかける」

「……構わん。これが俺の仕事だ」


 首を振る。処刑人の仕事が負担だとは思わなかった。


「そうだアストラル、今朝のタブロイドは見たか?」

「いや」

「ほれ、新情報がでておったぞ」


 安っぽい新聞紙を渡される。


“THE MURDER IN THE EAST-END”

“14th victim of jack the ripper?”


 一面は切り裂きジャックの話題でもちきりだった。どの情報も質が低く、模倣犯の影響で情報は錯綜している。本物による犠牲者は報道の半分ほどだ。


本文を読むと犠牲者は娼婦、目撃証言はなしとある。今回は本物の傾向に近い。


「また切り裂きジャックか」

「どう思う?」

「本物の可能性が高いだろうな。犠牲者も証言も傾向が一致している」

「やはりか。となれば、これで推定七人目の被害者。自警団としてはいよいよ本腰を入れなければならなくなってきたのう」


 うーん、と腕を組み難しい顔をする。

 葛藤するように宙をにらみつけていたが、やがて息をついた。


「そこで相談なのじゃが――アストラル、お主に切り裂きジャック処刑の依頼を頼みたい」


「……俺に? 構わないが、対策チームを作った方が効率的じゃないか」


 意外な依頼だった。広い街で特定の一人を追いかけるのは難しい。単独行動の俺は不向きだ。指名手配犯は人海戦術が基本である。


「報告から考えるに、相当危険な相手じゃ。お主の実力でなければどれだけ追い回しても殺されるだけじゃろう。……それにひとつ、奇妙な報告があった」


 団長は俺を見透かすような目をした。


「――切り裂きジャックは、鋼鉄の獣を連れている」

「……まさか」

「ただの噂じゃよ。じゃが、お主にとってはまた違った意味があるじゃろう?」


 団長には少しだけ事情を話している。


 鋼鉄の獣――間違いなく《蒸気獣》だ。


「わかった。今までの調査資料をくれるか」


 例の研究員の手掛かりはなく、途方に暮れていたところだ。藁にもすがる思いだった。


 資料を受け取りざっと目を通す。

 事件発生箇所のまとめを見ると偏りを発見した。


「やっぱり《ホワイトシグリッド》本部の付近に集中しているな」

「……じゃな」


 団長は複雑そうに言った。


 切り裂きジャックは主に娼婦を狙い、殺人の目撃証言がない。現場の隣人でさえ、被害者の悲鳴が聞こえないらしい。


「……大体は理解した。明日から取り掛かってみる。じゃあ、俺はこいつを埋葬してくるよ」


 状況から考えて、嫌な推理が浮かんでくる。邪推で空気が重くなる前に生首を掴んだまま踵を返す。部屋を出ようとすると、背中に声をかけられた。


「ありがとう。いつもすまぬな、アストラル」


 俺は振り向かないまま足を止めた。


「処刑屋……お主にしか任せられぬが、損な役回りじゃろう。辛くなったらいつでも言うがよい。お主は少し働きすぎじゃ。頼りになりすぎるのも考え物じゃな」


 俺の仕事はただ一つ。罪人の処刑だ。


 警察とは違う。殺すことしか能がない。

 殺し屋とも違う。金で動くほど堕ちていない。


 負担の大きい仕事だった。いつ自分が殺されるかもわからない。殺人の感触も消えない。孤独の運命は免れない。


「俺は俺の仕事をしているだけだ。団長には団長の仕事があるように、俺には泥をかぶる仕事がある。それだけだ」

「じゃが……それではあんまりじゃろう。いつまでたっても、お主は……」


 言葉をにごしたが、言いたいことはわかった。孤立する俺を心配しているのだろう。


 俺は背を向け続けた。

処刑人が親しまれては恐れられない。抑止力になれなくなる。


「そうだ、これから食事に行かぬか? 向かいの通りにうまい飯屋が――」

「いや、悪いな。殺したばかりで食う気分じゃないんだ」


 拒絶すると、ヨシタカはわかりやすく肩を落とした。


 心が痛む。気遣いを無碍にするのは苦しい。


「……失礼する」


 埋葬所へと向かった。



 × × ×


《腐敗病》――蒸気排煙に暴露され続けた身体が、内側から徐々に細胞が変質していく病だ。排煙に暴露された期間に比例して症状は進行するため、イーストエンドでは三十を超える大人は一人もいない。


 処刑したこの男は《腐敗病》の末期患者だった。少ない髪ははらはらと抜け落ち、頭蓋骨まで腐り果てているため驚くほど軽い。脳がやられたことで正常な判断ができなくなり、犯罪を繰り返したのだろう。


《腐敗病》で変性した身体は身元がわからない。数も膨大なので、自警団が勝手に埋葬していた。


 自警団本部の裏手にある埋葬所は広くない。膨大な遺体の埋葬は難しく、頭部だけを埋めていた。残った胴体の処理は想像に任せる。


 埋葬すると時刻は十八時を過ぎていた。海底都市に日光は届かないが、夕方になればメインストリートのガス灯は消灯し薄暗くなる。


 三階の自室に戻り、黒の斧の手入れをする。血が付着しては切れ味が鈍るのだ。一振りで首を落とせなければ苦しませる。


 磨き終わるとようやく一息付けた。団長には強がったが、この仕事の負担は大きい。けれど、助けは求められない。


 俺は独りでいるべきだから。


 不意に胸が苦しくなり、縋りつくようにタンスにかぶせてあった布をとる。


 中にはリザ姉の頭蓋骨。

 以前はむき出しで机上に置いていたが、同僚に怖がられたので隠していた。処刑人を続けていると、どうも感覚がズレてくる。


「なあ、リザ姉……俺、少しだけ苦しいよ」


 ……故郷の幼馴染だった。そして、俺が戦い続ける理由だった。

 

 彼女の前では素直になれる。胸の窮屈さが解消される。目をつぶれば今でも無遠慮でからかうような声が聞こえてくるようだ。


「少しだけ、くじけそうになるよ」


 ここは海底蒸気都市アトランティス。

 都市をドーム状のガラスが覆い、海の底に沈んでいる。


“奴”を処刑するためこの都市に乗り込んだが、三年間で進捗はなかった。目の前の仕事に目一杯で、居場所さえつかめていない。


 袋小路な未来を想像してうなだれていると、不意にノックの音が聞こえた。


「あのー、そろそろ夕食が――ひっ!」


 返事をする前に扉が開かれ、同僚が顔をのぞかせる。リザ姉を見つけると小さく悲鳴を漏らした。慌てて「ご、ごめんなさい!」と扉を閉める。


「夕食はいらないよ。みんなにもそう伝えてくれ」


 扉越しに言う。怯えさせないようにできるだけ優しく。

 処刑人がなれ合う必要はないが、リザ姉を拒絶するような反応は胸につっかえた。


「そうですか……。あ、あの、その、ごめんなさい!」


声が上擦っていた。逃げるような足音が遠ざかっていく。


独り部屋に残される。静かな部屋に、俺一人。


リザ姉は喋らない。無遠慮な声は、もう聞こえない。


逃げる場所はない。帰る場所もない。この殺風景な部屋が、俺が唯一滞在を許された場所だった。


ふと寒さを感じ、クローゼットから黒の上着を取り出す。日の光が差さず、天候の変化がないアトランティスだが、やはり夜になると気温が下がる気がする。


「いや……違う」


 壁にかかるカレンダーを見て思い出す。


 そうか……どうりで寒いわけだ。




 今年も冬が、やってきたのだ。


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