05

 また夢見てんけど。

 なんでなん?

 マジで俺、どうかしてもたんかな? もっと美人、いくらでもおるやんか。なんでよりによってゆりなん? ナイスバディーのブロンドの美女がいい。なんでちんちくりんのゆりなんよ!

 もうええ加減にしてほしい。

 しかもなんで毎回、動かれへんの? 体が重くてだるくて、ゆりの事を嫌って押しのけられへんねん。嫌って言えればええのに、今日なんか一切声出ぇへんかった。

 今日はわざわざ俺の手から、ムーランを奪ってからやった。どっかによけて置くと、俺の両手を押さえつけてきた。

 返してって言いたいのに、声がどうしても出ぇへんくってしんどいんよ。嫌やって、ムーラン返してって一言言えたらええのに、俺はなんも言われへんままやねん。

「大丈夫か?」

 今日はそう言うて、俺の事を覗き込んできた。

 やけに優しい顔してて、ほんのり赤いほっぺたしてた。俺の上に覆いかぶさってくると、自分の髪の毛を耳に掛けてから顔を近寄せて来る。

 また胸の奥がきゅうって苦しくなった。痛くてつらくて、どうにかなってまいそう。もう嫌や。こんなん嫌や。誰か助けて。

 どうせ夢なんやからと思って、俺は我慢すんのやめた。ボロボロ出てきた涙で前が見えへん。でももうええわ。どうせ夢の中なんやから、思いっきりこれでもかって泣いたらええねん。

 口唇を塞がれたら、胸の奥がちくちくした。心臓がまた爆発しそうなくらい音立ててる。きっと耳まで真っ赤になってるけど、なんも出来んと泣いてるだけ。それが悔しくて、余計に涙が止まらへんようになった。

 最初は優しく触れるだけ。冷たくてちょっと濡れた口唇が当たる。熱い紅茶に入れた砂糖みたいに、体がすうってとけてくような感覚。

 気持ちいいんやで? 嫌な訳やないけど、悔しい。なんで俺だけこんなふうにやられっぱなしで泣いてやなあかんの? 今日はムーランとられた。わざわざ俺の両手を押さえつけてる。

 どうせ俺、抵抗出来ひんのに。

 しばらくしたら、今度は濡れたもので口唇を撫でられる。きっと舐められたんや。頭がぼんやりしてきて、もうなんにも考えたくなくなってくる。

「ルノ」

 ゆりは優しい声で俺の名前を呼ぶと、顔を拭いてきた。見たくないのに、ちょっと困ったゆりの顔が見えてくる。

 でもええわ。どうせ夢なんやから。

 我慢せんと泣いたった。

 全部涙と一緒に出て行けばええねん。そしたらすっきり出来そうやんか。今はしんどくてつらいから、もやもやした気持ちと一緒に全部出て行けばいい。こんな事で悩んでたくない。

 ボロボロ泣いてたら、何回も顔を拭かれた。最初は手やったけど、途中からティッシュで拭いてた。ほっぺたに触られたら、ちょっと痛くてそれでもちょっと泣いた。

 全然すっきりせぇへん。思いっきり泣いたのになんでやねん? 胸の奥がもやもやして、痛くて苦しくて、もうしんどい。やめてって言えばええだけやのに、やっぱり俺はなんも出来んくってしんどいだけ。

 俺が落ち着いたら、優しく頭を撫でてきた。

「嫌なら嫌って言うてよ。やめられへんようになるやんか」

 キスは嫌やけど、頭は撫でろ。ムーラン返せ。

 俺にばっかりしてないで、俺にもさせろや。なんで俺の事毎回泣かすんよ。俺ばっかり一人で悩んでアホみたいやんか。

 でも声が出ぇへんから、押さえつけられても文句言われへんねん。悔しくてたまらんのに、俺はされるがまま。

 ゆりは俺のほっぺたを触ると、わざわざキスしやすいように顔を動かしてきた。半開きになった俺の口に、自分の口唇を押し当てて舌を入れてくる。

 胸を奥をぞうきんみたいに絞られてる気分。ぎゅうって苦しくなって、痛くてつらくてやめてほしい。絞ってもなんも出ぇへんのに、しつこく絞ってくる。

 せや。やめてほしいのに、キスはめちゃくちゃ気持ちがいいんよ。いっそ腹立ってくるくらい、気持ちよくてたまらんねん。下手な麻薬よりずっとよくて、頭イカレてまいそうや。

 舌に舌が絡みついてきて、なかなか放してくれへん。口の中ぐちゃぐちゃにされて、歯茎をゆっくりなぞられた。生温かい舌にこれでもかってくらい、口の中を撫で回されるんよ。

 そのたんびに、気持ちよすぎて頭が真っ白になってく。

 くちゅくちゅいうてる生々しい音が響いて、いっぱい流し込まれる唾を全部受け止める。自分は女みたいな声出してて、慣れてる筈やのに息も出来ひんようになってんねん。はじめてキスした時かて、もうちょっと上手に息出来た筈やのに。

 ゆりに開放されても、俺はカッコ悪く肩で息をしながら、なんの抵抗も出来んかった。もう、どうしようとか、そういう事を考える余裕すらない。ほっぺたを撫でられて、流し込まれた唾をどうにか飲み込むのが精一杯。

 もっとしたいですって顔したゆりが、俺の顔を覗き込んでくる。

「凄い顔してんで。大丈夫か?」

 大丈夫な訳ないやろ?

 でもなんも出来んくって、ゆりの目を見つめてた。心臓がうるさい。頭がくらくらする。情けない事に、あんなヤバい声は出んのに、やめてくれって言う事も出来ひんねん。

 ゆりは親指で俺の口唇を撫でると、意地悪そうな顔して笑った。

「やめてって言うまで、やめたらへんからな」

 心臓が止まったような気がした。

 どうしよう。なんで声が出ぇへんの? ほんの一言、やめてって言うだけやんか。こんな気持ちよすぎるキス、耐えられへんからやめてくれって。おかしくなってまうって。

 せやのにゆりの顔が近付いてくる。

 ゆっくり口唇を合わせると、今度は口をこじ開けて舌を突っ込んできた。

 味わうように、舌を巻き取られて軽く吸われた。ゆっくり歯をなぞられて、口の中を舐め回される。流れ込んでくる唾でいっぱいになってきた。

 もうなんも考えられそうにない。

 頭が真っ白。心臓はやっぱりうるさいし、顔が赤いの自分でも分かる。胸の奥がズキズキしてきて、息が苦しい。

 ゆりはちょっとだけ口唇を離すと、強い声で言うた。

「飲んで」

 言われるままに、何回かに分けて飲み込んだ。

 一瞬、自分が何飲んでんのかすら分からんようになった。こんなもん飲まされてんのに、気持ちよくてぶっ飛びそうになってる。これ以上されたらどうなるか分からんくって、怖くなってきた。体が震えてる。

 必死で息を吸ったら、口を塞がれた。

 もう嫌や。気持ちよすぎて怖い。やめてくれ、嫌や。怖い、もう無理。耐えられへん。

 しつこく出てきた涙を流しながら、俺はぎゅっと目をつぶった。

 これ以上されんのが怖くて仕方がなかった。

 たかがキスが怖いとか、なんでこんなにカッコ悪いんや。お前、それでホンマにパリの悪魔か? キスなんか数え切れんくらいやった筈やろ?

 でもどうしようもなくらい怖くて、体が震えた。

 口の中をぐちゃぐちゃにしてる真っ最中のゆりは、俺が泣いてる事にも、震えてる事にも気付いてない。だって全然やめる気あれへんねんもん。なんならほっぺたに触れてた手で、また手首を押さえつけてきた。

 たっぷり唾の絡んだ舌を差し込んで、俺の事ぐちゃぐちゃにしてる。口の中だけじゃなくて、心までぐちゃぐちゃにされてる気がする。ゆりが女で俺が男の筈やのに、汚されてんのは俺の方やねん。ただキスされてるだけやのに、レイプでもされてる気分。俺は男やっていうのに。

 女みたいなあられもない声が出てる。

 耳にまとわりつく唾の絡む音に、ゆりの息遣い、自分の苦しそうな声。耳まで犯されてるみたい。流れて止まらへん涙に、口からこぼれる唾で顔がもうぐちゃぐちゃ。

 ゆりも余裕なさそうな声出してる。

 口唇を離して息をするたんびに、ゆりがどんどん乱暴になってきた。それが怖くて俺は泣いた。

 気持ちよすぎてしんどい。キスされてんのは口唇の筈やのに、全身がジンジンする。感じすぎて、自分がおかしくなってるって分かる。

 もう無理って、言いたい。お願いやからもうやめて、これ以上は無理。怖いからやめてって言えたらええのに。なんで俺は抵抗すら出来んと泣いてんの?

 頭がぼうっとする。

 息がしたくて、泣きながら唾を飲み込んだ。でも息する暇なく、また口を塞がれた。苦しい。苦しくて、俺は泣いた。


 気が付くと、ゆりが横でゲームしてた。

 ゲームの音が聞こえてきて、楽しそうになんか言うてるんよ。ゆりの太ももが目の前にあって、いつも抱いてる筈のムーランがいてへんかった。

 まだ胸の奥がジンジンしてる。頭もぼうっとするし、体がまだ震えてる気がする。

 あれは夢やった筈やのに。

 ゆっくり起き上がると、辺りを見回した。すぐ横でムーランが布団かぶってる。そばにはギャレットとジュラ子さんもおって、ちょっとだけ安心した。

「おはよう」

 ゆりに返事出来んくって、目をつぶると膝を抱えた。涙が出てきて止まらへん。なんでまだ怖いんや? これは夢やないから、ゆりはなんもして来ぇへんのに。

「どうした?」

 ゆっくり背中を撫でられて、変な声出た。

 泣きながら、必死で首を横に振る。手探りでムーランを探して、そのままぎゅっと抱きしめた。いつも通りの匂いと手触りに安心する。このまましばらく大人しくしてよ。

「ルノ、大丈夫か?」

「大丈夫、平気やから」

 ゆっくり息してたら落ち着いてきた。顔を上げて両手で顔を拭いてたら、ゆりが急に抱きついてきた。頭を撫でられて、背中をゆっくりさすられる。

「泣いてええで。誰にも言わへん」

 ちょっとだけや。ちょっとだけ。

 あかんかったら虫が出る夢見た事にしよう。めっちゃ怖かったって言えばいい。それ以上は訊いて来ぇへんやろ。

 俺はゆりにしがみついて泣いた。

 思いっきり泣いたらすっきりしてくる。力も抜けてきて、すぐに落ち着いた。

「すっきりしたか?」

 目の前のゆりに、俺はゆっくり頷いた。

「ごめん。もう大丈夫」

 ゆりはそれを聞いてから放してくれた。

 最後にもう一回だけ顔を拭くと、ムーランをクッションの上に座らせた。自分がかぶってた毛布を掛けてから、ジュラ子さんをその横に並べる。

 ギャレットを抱いてボディバッグを掴むと、パジャマのままやったけど気にせず下げた。ギャレットをちゃんと中に入れてたら、ゆりが笑った。

「ご飯行くで。うち、もう我慢出来ひん」

「ごめん」

 大人しく立ち上がると、ゆりと一緒に部屋を出た。廊下をゆっくり歩きながら、俺はゆりに訊いた。

「ダンテは?」

「とっくに仕事行ったわ。ルノが起きひんから、うちずっと待ってたんやで?」

 食堂のドアを開けると、ゆりと一緒に中に入った。今日のご飯はなんやろ?

 バッグをその辺のテーブルに置くと、朝ご飯の弁当を選んだ。今日は変わったうどんがあったからそれにする。あんまり食欲ないからちょうどええかと思って。

 汁のないうどんをお盆にのせて持って行くと、ゆりが朝から脂っこそうなカツに卵が掛かったやつを持って戻ってきた。ご飯にそれを掛けて食べるらしい。胸やけせぇへんのか?

 思わず横に座ったゆりの脇腹をつまんだ。まだ全然ない。そんなに肉ないぞ。ジュラ子さんが怒りそうや。食べるところないって。

「なんや?」

「いや。やっぱりまだスモーファイターには早いと思って」

「ルノはもっと食え」

「昼いっぱい食べるわ」

 うどんをパスタみたいにくるくるフォークに巻きつけてたら、誰かが前に座った。

 何かと思って顔をあげたら、もしゃもしゃ支部長が笑ってた。黒のスーツをきちんと着てて、どこぞの支部長とは大違い。めちゃくちゃ真面目そうに見える。

「おはよう。ルノくん、それ食べにくくない?」

「箸使われへんねんもん」

 よぅ見たらもしゃもしゃの後ろにはヘイリーがおった。黒のジャケットに白いシャツ、黒のピタッとしたパンツのカッコしてた。これからどっかに仕事にでも行くんやろか。髪の毛もいつもと違う感じにセットしてる。

 ゆりがあからさまに嫌な顔した。

「話があるんだけど、今いい?」

「食べながらでええんやったら、ええで」

 もしゃもしゃ支部長は、自分の横にヘイリーを座らせるとこっちを見た。

「昨日は大丈夫だったかい?」

「知らん。俺、なんも覚えてへん」

 ゆりが嫌そうな顔をして、箸を置いた。さっきまで腹減ったって言うてた筈やのに、そんなにこいつが嫌いなんやろか? しつこい男は嫌われるって事やろな。俺も気をつけよう。

 うどんを口に入れると、思ってた以上に美味しかった。もちもちしてて、塩気もある。あっさりしてて食べやすい。くたくたのもやしが美味しい。

「そうか。まあいいや、とにかく謝罪に来たんだ」

 もしゃもしゃに言われて、おどおどは頭を下げた。

 納得してなさそうな顔してるけど、俺はマジでなんも覚えてへんからな。こいつに殴られて頭をぶつけたみたいやけど、正直マジで覚えてないからな。何を謝ってんのかよぅ分からん。

 昨日はダンテもゆりも、ちょっと怒ってるみたいやったから大人しくしてた。二人して、ピリピリしてるから怖かった。すぐ寝たからこれもあんまりよく覚えてへんねけど。

「勘違いで殴ってしまって、すみません」

「そうなん? ええで、別に」

 そしたらゆりがテーブルを叩いた。

「よくないわ」

 食堂がしんと静かになる。正直、ゆりが怖かった。ゆりに殴られたって痛くもかゆくもない筈やのに、めちゃくちゃ怖かった。

「勘違い? お前、十発は殴っとったよな。それも無抵抗の人間を一方的に殴って、それが勘違い? ああ、うちの勘違いやったらあかんから、あそこの監視カメラの映像確認しよか?」

 それを聞いて、真っ青になったもしゃもしゃがヘイリーを見た。

「ちょっと待って。ヘイリー、そんなに殴ったの? 聞いてないよ」

「いや、そこまでは」

「もし本当だったら、謝罪では済まないよ」

 ゆりがにっこり笑って立ち上がった。

「パソコン持ってくるから、みんなで確認しよか。データの改ざんが出来ひんように、大阪支部にもバックアップ取らせてくれるんやろ?」

 近所に座ってたマッキノンが言うた。

「ああ、それやったら安心してぇや。昨日すでにダンテがジェームス支部長に映像送ってたから」

「それはよかった」

「俺、自分の端末とってくるから、リリーはそこにおりぃや。ルノが勝手に許してもたらあかんからな」

 何? 俺、知らん間にそんないっぱい殴られたんか? ヴィヴィアンに殴られても記憶飛んだ事ないって事は、ものすんごい勢いで殴ったって事ちゃうん? こいつ、俺の事を殺す気やったんか?

 ゆりはマッキノンにお礼を言うと、すぐに座った。

「ところでアルベルト支部長。なんでその映像、見てへんの?」

「え?」

「普通やったら、それがホンマなんか確認するやろ? アンタがここで一番偉いんやから、それがアンタの仕事ちゃうんか?」

 確かにゆりは間違ってない。

 多分、ダサジャージやったら一番に映像を確認する筈や。それから二人の言い分を聞く。それから謝らせたり、処分を決めたりするんちゃうんか? 俺が支部長やったとしてもそうする。

 でもこいつ、俺がなんも覚えてないからって、ヘイリーから聞いた話だけで終わらせようとしてたって事やろ? ゆりからも詳しく聞いてへんみたいやし、面倒な事にならんようにしようとしてたんや。

 俺とヘイリーが揉めたら、大阪の連中に嫌がられるようになる。すでにダンテはこのもしゃもしゃ嫌いみたいやし、トラブルになったらダサジャージにも話が行く。そうなったら困るのはもしゃもしゃや。

 今、ゆりが一緒やなかったら、全部なかった事にされるところやったって事やん。俺、覚えてへんねんもん。許すも何も、なんで謝られたんかすら分からんまま許してた。

 ぞっとして、怖なった。

 俺は近くにいてる筈のギャレットを探して、手を後ろに回した。バッグを膝にのせるとそのままぎゅっと自分にくっつける。

「おかしいと思ってん。うちとダンテとマッキノンだけが仕事してんのに、東京支部のハッカーはゲームしてる奴までおるんやもん。暇そうに遊びながら、ダンテの研修が受けたいとかどうなってんの? 遊んでる奴になんの研修すんの? ゲームの攻略法か?」

 ダンテはそこまで言うてなかったぞ。

 仕事せんとゲームしてんの? そりゃ仕事出来んで当然やろ。通りで無関係の俺のが役に立ったりする、意味の分からん事が起こったりする訳や。

 滅多に怒らんダンテがキレて、仕事行きたくないとか言い出す筈やん。真面目にやってる横でゲームされたら、嫌にもなるやろ。そいつらに講習会って、する意味ないからな。

 びっくりしてゆりを見てたら、もしゃもしゃが焦った顔で固まった。どうやら、こいつはそれを知らんみたいやな。

 ゴリラのダサジャージは、誰がサボってゲームしてるかちゃんと知っとったぞ。ダンテと俺がプリンばっかり食ってても、仕事さえしてたらなんも言わんかった。ミトニックがゲームで遊んでても、仕事してるって知ってたから怒らんかった。

 それやのに、こいつも元はハッカーなんやろ? なんで仲間の仕事状況も知らんねん? あのゴリラ、機械音痴やったけどちゃんとそれくらいは知ってたぞ。工作員の仕事が分からんならともかく、ハッカーの仕事が分からんとか、ありえんやろ。

 呆然としてたら、パソコンを持ったマッキノンとダンテが来た。ダンテは手にiPadを持ってて、誰かと話をしてるみたいやった。

「お待たせしました。ジェームス支部長はちょうど暇らしいから、話し合いに参加するそうです」

 ダンテがiPadをテーブルに置くと、寝癖のついたままの支部長が画面に映った。今日は普通のジャージを着てる。ジャージやけど。

「おはようございます。なんか事件だって?」

「うん、ジェームス。ちょっと付き合って」

 ダンテは俺の横に座ると、にっこり笑った。

 ダンテの正面にマッキノンが座って、ラップトップを広げた。カタカタやってから、みんなに見えるように置いた。

「ジェームスはすでに見てるから知ってると思うけど、昨日ルノが殴られたんは覚えてる?」

「ああ、あの一方的に殴られまくってたやつか?」

 そんなに殴られてたん、俺が?

 しかもこのジャージが殴られまくったって言うほどやったら相当やろ? ヴィヴィアンがどんなに俺をボコっても、大してなんも言わん人やぞ。

 正面に座ったマッキノンが、iPadに向かって手を振った。

「お久しぶりです」

「おう、元気にしてるか?」

「過労死しそうです」

 マッキノンは笑顔でそう言うと、もしゃもしゃとヘイリーに向かって言うた。

「こちら、大阪支部のジェームス支部長。ダンテのパパです。ママの方はただいま検査中だそうです」

 確かにそうやけど、なんちゅう言い方しとんねん? 真面目な話の筈やのに、マッキノンのせいで笑いそうになったぞ。

「パパってなんだ、おい」

「事実やないですか」

 マッキノンは楽しそうにそう言うと、もしゃもしゃとヘイリーを指差した。

「こちらはアルベルト支部長と工作員のヘイリーです」

 顔色の悪い二人は呆然としながらiPadを見てる。

「では、全く無関係のマッキノンが勝手に喋りまーす」

 楽しそうなマッキノンはパソコンを覗き込んで話を始めた。

「昨日の夕方六時頃、食堂にて急にヘイリーがルノを殴りました。理由はリリーにいいところを見せるためです」

「おい、ルノ。お前工作員ならやり返せよ」

「支部長、俺なんも覚えてない」

「お前そんなんだからジジにやられるんじゃないのか?」

 ちょっと待てジャージ、そういう問題か?

 マッキノンは楽しそうに何かを見て言うた。

「ヘイリーによると、ダンテと思われる人物から、リリーはルノに勝てるくらいは強くないと嫌といった内容のメールをもらったとの事。でもダンテはそれを知らないと言っております」

 俺、そんなしょうもない理由で殴られたん? 信じられんねんけど。もうちょっとマシな理由やったらよかったのに。いくらなんでもイタズラメールみたいなやつを本気にしたアホに殴られるとか、恥ずかしすぎんぞ。

 横にいてるダンテとゆりを見たけど、二人は大真面目な顔して座ってる。どうやらマジでそうらしい。

「では、問題の映像を確認して下さい」

 小さい画面いっぱいに、食堂の映像が写る。

 俺とゆりが座ってるところにヘイリーが寄ってきて、ゆりになんか言うた。それから急にヘイリーは俺を一発殴った。床に倒れた俺に掴みかかってボカスカ殴ってる。しかも俺、一発目がきれいに決まったからか、途中からぐったりしたまま動いてない。

 確かに、数発やない。最低でも十五発は食らってる。無理矢理拡大してるから見づらいけど、それでも十分分かる。

「おいルノ、受け身も取ってないぞ。カッコ悪すぎるだろ」

 ジャージが面倒くさそうに言うた。

「いやでも、これ一発目がきれいに入ってるから、その時点で俺気絶してるやろ」

「なんで避けないんだよ。お前それでも工作員か?」

「見たら分かるやろ。食堂で急に殴られてるやん。支部長やったらどんなに油断しててもヴィヴィアンのパンチ避けれる言うんか?」

「寝ボケてない限りは避けられます」

 なんやねん、このゴリラ。なんでそんな自信満々やねん。お前、その嫁さんに殴られて食堂のドア壊したくせに。

 ダンテが言うた。

「黙ってゴリラ。仮にそのメールが本物やったとしても、殴ってええ訳ないやろ。これについて、文句ある人おる?」

 目の前で映像をもう一回流してるもしゃもしゃが、口を開けて呆然としてる。信じられへんとばかりに三回目を流したところで、ダンテが言うた。

「ついでに確認です。なんでアルベルト支部長はこれを三回も見てるんですか? 当然、見てるんちゃうんですか? 何を今更見返す必要があるんです?」

 そしたら、ゴリラが言うた。

「念のためじゃないのか?」

「それやったら三回も見んでええやろ」

 もしゃもしゃがぴたっと止まった。

「見てません」

 かすれそうな小さい声で言うた。

 ゴリラが低い声で言う。

「はあ? アルベルト支部長、なんで確認してないんだ」

「ヘイリーからすでに聞いていたので」

「嘘をついてたらどうするんだ? 普通だったら真っ先に確認するものじゃないのか?」

 ちょっと怪しいと思ったんか、ゴリラは座り直すと腕を組んだ。

 普段は細く見えるけど、そのジャージはピタッとしてるから筋肉がよく目立つ。なかなか怖い見た目になってんぞ。ヴィヴィアンの趣味か? 確かに凄いいかつく見えるデザインや。

 ゆりがそんな支部長に、ちょっと嬉しそうな顔をする。

 気持ちは分かる。強い味方が来たからな。しかもそこそこ偉いっていう、結構心強い奴。ジャージで寝癖ついたままのゴリラやけど。おまけに紹介がダンテのパパやぞ。わろてまうわ。

 ダンテのパパはもう一回言うた。

「アルベルト、一体どうなっているんだ?」

 もしゃもしゃがiPadの方を向いた。

「すみません。ただの喧嘩かと」

「仮にも工作員同士の喧嘩の時点で大問題だろ? その二人は人を殺す技術を持っているんだぞ」

 いやいや、アンタとその嫁さんはどうやねん。しかも二人してとんでもない化け物レベルやん。その二人は食堂で殴り合いの喧嘩してええんか? アンタらの喧嘩、殴り合いっていうより殺し合いやったぞ。人の事、言われへんやろ。

 多分、ダンテもそう思ったんやと思う。そっぽ向くと、くすっと笑った。

 マッキノンはその喧嘩を見てへんからやろか。そんなダンテをちょっと不思議そうに見てた。

「アルベルト支部長、映像を見る限りルノは一発も殴っていない。ヘイリーとかいうのに何か処罰があるんだよな?」

 もしゃもしゃは困った顔をして支部長を見る。

「すみません。考えていませんでした」

 ジャージが頭を抱えた。

「そうか、通りでダンテが参加しろっていう訳だ」

 寝癖頭をわさわさかいて、支部長はようやく顔を上げた。

「よし分かった。ダンテ、リリー、ルノを連れて大阪支部に戻って来い。そんなところにお前らを置いておく訳にはいかない」

 もしゃもしゃが立ち上がった。

「待って下さい。それでは困ります」

「そんな危険な場所へ、うちの人員を置いてはおけない。奴らの安全の方が大事だ。お前らが困っても助ける義理はない」

 するとマッキノンが手を上げた。

「ジェームス支部長、俺とっても反省しました。なので大阪支部に戻して下さい」

 ジャージがダンテを見た。

「ダンテ、お前はどう思う?」

「ホンマに反省してると思う」

 マッキノンの方を見て、ジャージははっきり言うた。

「よし、そういう事ならクリントに言っておく。でもあんまり期待するなよ、東京支部の人員足りてないみたいだから」

「ありがとうございます」

 もしゃもしゃが焦った様子でiPadに向かってデカい声を出した。

「でもルノを外に出すのは危険な筈では?」

「ルノなら自分で自分の身くらい守れる。それに私は暇だ。明日、三人を迎えに行く」

 頼れるジャージはそう言うと、ダンテに向かって言うた。

「お前ら、今日のうちに荷物まとめておけよ。朝にはそっちにつくようにするけど、人目を避けての移動になるから覚悟しておけ」

 ダンテが真面目な顔をした。

「ジェームス、ルノに変装は?」

「頭どうにかしろ」

「切るのも染めんのも嫌」

「じゃあきれいにウィッグかぶっとけ」

 そしたら別の声が聞こえてきた。

「ちょっと待ってぇや。ダーリン、うちの事一人にするつもり?」

 ヴィヴィアンが駄々こねてるみたいや。

 気持ちは分からんでもない。せっかく毎日支部長とくっついてたんやからな。もうちょっとくらい一緒におりたいやろ。しかも今、ヴィヴィアンは怪我人なんやから。

「お前、ピンピンしてるんだから、おばちゃん達の警護くらいやれよ」

「嫌や。ダーリンに守ってほしい」

「そもそもヴィヴィアンに警護いらないだろ」

 甘えてるって分かってなさそうなジャージは、冷たくそう言うとこっちを向いた。

「ダンテ、新幹線のチケット、ネットで予約しとけ。俺とお前らの分な」

「分かった」

 ヴィヴィアンが画面に写った。支部長にしがみついて暴れてる。確かに元気そうや。ピンピンしてる。

「酷い、一人にせんといてぇや」

「戻ったら一緒にいてやるから」

「今がええの!」

 騒ぐヴィヴィアンを無視して、支部長は言うた。

「リリーもその頭は目立つからどうにかしろ。それからスケボーはダンテに持たせろ。いつもと違う服装にするんだ。いいな?」

「はい」

「ダンテはスケボー持っててもおかしくない服装だ。センスないから、ルノがやれ」

「こんな細いのに?」

「どうにかしろよ。お前なら出来るだろ」

 かなりの無茶ぶりされてるけど、しゃーない。いっぱい服着せて、もうちょっとチャラくしたらええんやろ? そこまで難しい事でもないと思うけど、出来るやろか。

 俺は服屋とか行かれへんし、それっぽいの買って来させてもダンテのセンスやもんな。役に立たん。ゆりの服やったら着れるかもしれん。ダンテ、ちっこいし。それっぽく出来たらええんやけど。

 俺はそんな事を考えながら、ゆりを見た。

「ゆり、俺とダンテのスーツケースは寮やろ? 片付けどうしよ」

「ルノの荷物はめちゃくちゃ少ないから、やっといたんで。着替えとパジャマ入れるだけの状態にして、玄関ホールに置いといたるわ」

「俺のパンツ見たいんか?」

「なんや? おもろい柄なんか?」

 流石にパンツ見られんのは恥ずかしいぞ。嫌なんやけど。自分でやりたい。玄関のところまで持って来てくれたら自分でやるんやけど。

 でももしゃもしゃが言うた。

「勝手に決められては困ります」

「こちらも、大事な部下が危険に晒される

ようでは困る。特にルノは今回、家族を亡くしたばかりだ。戻して葬式くらいさせてやらないと可哀想だろ」

 そうや。戻ってジャンヌを見送らなあかん。

 でもどうしよう。ジャンヌに会うのが怖い。まだそれは酷い嘘で、信じたくない自分がいる。姉ちゃんもいてへんのに、ジャンヌを一人で見送るのは嫌や。

 下を向いてバッグを握ってたら、ゆりが俺の手を撫でた。優しく撫でながら、椅子をちょっと近寄せて座る。俺の肩をぐいっと引っ張ると、ゆりに近寄せてからさすってくれた。

「ダンテもリリーも、ルノの兄弟とは仲が良かった。参列させてやりたいから、どっちにしてもいったん連れて戻らせてもらう」

 考えたくない。ジャンヌの葬式の事なんか、もう考えたくなかったのに。

 目をつぶると、パリの自分ちが真っ赤になってるのを思い出す。

 俺は誰のかすら分からん血で滑ってこけて、自分の大事な妹がぐしゃぐしゃになってるのを見つけたんや。警察を呼ばなあかんのに、パニックになった俺はジャメルに電話したんよ。

 すぐに来てくれたジャメルは俺の代わりに警察に電話をした。ハシシを持って帰ってから、自分が警察におったら危ないのも分かった上でずっと一緒におってくれた。

 きっと、大国町の家も同じように真っ赤やった筈や。今もそのままやったら、その血を掃除すんのは俺なんやろか? 泣きながら妹の血をぞうきんで拭く事になるとか、絶対に嫌や。

 今度は顔を潰されてなかったらええな。あの可愛い顔をちゃんと見たい。最後なんやから、ちゃんと顔を見て見送ってあげたい。ちっちゃかった頃みたいにおでこにキスして、頭撫でてあげたい。

 思い出したら勝手に涙が出てきて、手が震えた。カッコ悪く泣いてたら、ゆりが抱きしめて撫でてくれる。温かい体温にちょっとだけ安心して落ち着いた。

 ゆりが目の前の誰かに向かって言うた。

「お前、こんな状態の奴殴ったん分かってる?」

 横におったダンテがゆりを止めようとしてんのか、立ち上がった。

「ゆりちゃん、もうやめようや」

「待って。最後にこれだけ言わせて」

 ゆりが俺の事をぎゅっと強く抱きしめた。

「お前らルノの家族が死んだ事は知ってた筈やろ。知ってた上で殴って、うちがお前みたいなんにホレるとホンマに思ったん? 頭おかしいんちゃうか?」

 それから俺に言うた。

「ルノ、仮眠室戻ろ。今日はもう大人しく寝てて。うちがなんか買ってくるから」

 ゆりはそれから立ち上がると、俺を立たせて手を引っ張った。

 行儀悪く鼻水すすって、顔を拭く。俺はバッグを片手で抱いたまま、大人しくゆりについて行った。前はよぅ見えへんかったけど、ゆりは俺の肩をさすりながら一緒に歩いてくれた。

 仮眠室に入ると、ふかふかの床に座った。ムーランにしがみついて、壁にもたれてたらゆりが前にしゃがんだ。

「ルノ、薬飲もか。水とってくるから、待ってて」

 俺は大人しく頷くと、ムーランの頭に顔をくっつけて泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る