第5話
ガウェインたちが王都で大騒ぎになっているとは夢にも思わず、俺は森での穏やかな生活を満喫していた。
あれから数日が経ったが、騎士が再び訪れる気配はない。
(やっぱり、ただの見間違いだったんだな)
俺はすっかり安心しきっていた。
今日の作業は、小屋の増築だ。
一人で暮らすには十分な広さだが、収穫した作物を保管する場所が手狭になってきたのだ。
森から手頃な木材を切り出し、ノミとカナヅチで加工していく。
パーティーにいた頃、壊れた荷車の修理をやらされていた経験が、こんなところで役立っていた。
「ふぅ、こんなものかな」
半日ほどかけて、小さな倉庫が完成した。
我ながらなかなかの出来栄えだ。
汗を拭い、一息ついていると、ふと森の奥から複数の人の気配がするのに気づいた。
(ん? 誰か来るのか……?)
この森で人の気配を感じるのは、ガウェイン以来だ。
まさか、またあの騎士だろうか。
俺は警戒しながら、気配がする方へと視線を向けた。
やがて、木々の間から姿を現したのは、やはりガウェインだった。
だが、彼の後ろには、前回いなかった人々がずらりと並んでいる。
同じように鎧をまとった騎士が十数名。
それに、豪華なドレスを身にまとった、いかにも高貴そうな女性と、その侍女らしき人々。
総勢二十名以上の一団だった。
(うわ……。なんか、すごく面倒くさいことになってる……)
俺は思わず顔を引きつらせた。
先頭を歩くガウェインが俺の姿を認めると、ぱあっと顔を輝かせ、駆け寄ってきた。
「カイン様! ご無事でしたか! またお目にかかれて光栄の至り!」
「は、はあ……。どうも。それで、この方たちは?」
俺が尋ねると、ガウェインは恭しく体を横に向け、後ろに控えていた女性を紹介した。
「こちらは、我がリオネス王国の至宝、聖女セシリア様でございます」
紹介された女性、セシリアは、透き通るような白い肌に、陽の光を浴びてきらきらと輝くプラチナブロンドの髪を持つ、人形のように美しい人だった。
だが、その顔色は病的に青白く、今にも倒れてしまいそうなほど儚げな雰囲気をまとっている。
「……はじめまして。わたくしは、セシリアと申します」
彼女はか細い声で挨拶をすると、優雅にスカートの裾を持ち上げてお辞儀をした。
その洗練された所作は、本物の高貴な身分であることを物語っている。
(聖女様、か……。どうしてそんな偉い人が、こんなところに?)
俺が困惑していると、セシリアはふらつき、隣にいた侍女に支えられた。
長い旅の疲れが出たのだろう。
彼女は苦しそうに胸元を押さえ、小さく咳き込んだ。
「セシリア様! お気を確かに!」
「大丈夫です……。それよりも、この場所は……なんて、清らかな気に満ちているのでしょう……」
セシリアはうっとりと目を細め、俺の畑と小屋を見つめている。
清らかな気なんて、俺には全く感じられないが。
ただの土と草の匂いしかしない。
「カイン様、どうかお願いでございます! 聖女セシリア様は、長年原因不明の病に苦しんでおられます。どのような治療も効果がなく、日に日に衰弱されるばかり……。どうか、カイン様のお力で、聖女様をお救いいただけないでしょうか!」
ガウェインが俺の前にひざまずき、深く頭を下げた。
その真剣な眼差しに、俺はたじろぐ。
(俺の力って言われてもな……。俺にできることなんて、畑仕事くらいだぞ)
医者でもない俺に、病気を治せるわけがない。
だが、目の前で苦しんでいる人を見捨てるのも、寝覚めが悪い。
彼女の咳を見ていると、ただの風邪のようにも思える。
それなら、あれが効くかもしれない。
「……とりあえず、中に入ってください。体を温めるお茶でも淹れますから」
「おお! よろしいのですか!?」
ガウェインが感激の声を上げる。
俺は一行を、先ほど増築したばかりの倉庫へと案内した。
さすがに、この人数が小さな小屋に入るのは無理だからだ。
俺は早速、いつもの「元気が出る葉っぱ」を取り出し、お湯を沸かしてお茶を淹れた。
湯気と共に、心を落ち着かせる香りが倉庫の中に広がる。
「どうぞ。熱いので、気をつけてください」
俺が木製のカップを差し出すと、セシリアは侍女に助けられながら、震える手でそれを受け取った。
「ありがとうございます……。とても、良い香りですね……」
彼女はカップにそっと口をつける。
一口、また一口と、ゆっくりとお茶を飲み干していく。
すると、信じられない変化が彼女の身に起こり始めた。
病的に青白かった彼女の頬に、みるみるうちに赤みが差していく。
弱々しかった瞳には力が戻り、生気がみなぎってくるのが分かった。
「あ……。ああ……!」
セシリアは自分の両手を見つめ、驚きの声を上げた。
かさついていた肌は潤いを取り戻し、細かった指先まで血の気が通っている。
彼女はゆっくりと立ち上がった。
さっきまでの、侍女の肩を借りなければ歩けなかった姿が嘘のようだ。
「からだが……体が、軽い……! あんなに重く、息苦しかったのが、嘘みたいに……!」
彼女はその場で軽く飛び跳ねてみせた。
その動きは、健康な少女そのものだった。
長年彼女を蝕んでいた病の影は、どこにも見当たらない。
「こ、これは……奇跡だ……!」
護衛の騎士の一人が、そう呟いた。
その場にいた誰もが、目の前の光景を信じられないといった表情で見つめている。
侍女たちは喜びのあまり泣き崩れ、騎士たちは感動のあまり剣の柄を握りしめて震えていた。
「やはり、カイン様は……! 我々の救い主だ!」
ガウェインは感極まった様子で叫び、その場に五体投地する。
他の騎士たちも、それに倣って一斉にひれ伏した。
倉庫の中は、異様な熱気に包まれている。
俺だけが、その状況についていけずにいた。
(え、なんで? ただのお茶を飲んだだけだよな……?)
俺には、何が起きたのかさっぱり理解できなかった。
風邪には温かいお茶が良い、ただそれだけのことだ。
それなのに、この人たちはおおげさすぎる。
全快したセシリアは、俺の方へと向き直った。
その美しい瑠璃色の瞳は、涙で潤んでいた。
彼女は俺の前に進み出ると、深々と頭を下げた。
いや、そのままひざまずこうとする。
「ちょ、ちょっと、何するんですか!」
俺は慌てて彼女の肩を支えた。
聖女様だか何だか知らないが、女の子にひざまずかれる趣味はない。
「カイン様……。このご恩は、一生忘れません。いいえ、この命、あなた様に捧げます」
「いや、命とか言われても困るんですけど……」
俺の困惑をよそに、セシリアはうっとりとした表情で俺を見つめ、とんでもないことを言い出した。
「どうか、お願いです。このまま、わたくしをあなたのそばに置いてください! これからの人生、あなた様にお仕えしたいのです!」
「……は?」
俺は思わず、間の抜けた声を出してしまった。
一体、どうしてそんな話になるんだ。
目の前で真剣な顔をしている聖女様に、俺はどう答えたらいいのだろうか。
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