中西友利子・友人
綾女さんのはじめて会ったのは、まだ夫が生きている頃だったのだから、随分昔の話だ。気が遠くなるほど、昔の。
綾女さんは、夫の仕事上の取引相手の奥さまだった。あまり社交的とは言えない私が、どうしてもと言われて渋々参加した、夫のアメリカ人の上司の家での海外チックなホームパーティに、綾女さんも招かれていたのだ。綾女さんはとてもうつくしく、会話も機知に富んでそつがないので、パーティでは花形だった。私みたいな地味な女とは、関わり合う必要もないひと。それなのに綾女さんは、華奢なグラスに入ったシャンパンを、壁際にただ立っているしか出来ない私に差し出しながら、微笑んでこう囁きかけてくれた。
「私もこういう席は苦手よ。早く終わればいいのに。」
そして私に、とびきりキュートな目配せをくれた。私はそれで完全に、綾女さんのファンになってしまったのだ。
ファンになったからといって、私と綾女さんに大きな接点があるわけではない。私はそれからすぐに夫を亡くしたのだから、なおさらだ。ならば綾女さんにはもう会わなかったのかと問われれば、そうではない。私は、夫の生前から綾女さんに会っていたし、肉体関係も持っていた。自分でも、あまりに自分らしくないその行動に、あっけにとられるしかないのだけれど、それが事実なのだ。夫以外の男性とはろくな交際経験がないし、女性とは全くそういった関係を持ったことのない私が、綾女さんとは知り合ったその日に関係を持った。
「ちょっと抜けだしましょう。息がつまるわ。」
パーティがいよいよ盛り上がりを見せてきた頃、私の隣に再びやってきた綾女さんがそう言ったとき、私は耳を疑った。このパーティの花形である綾女さんが、私と一緒に会場を抜け出す? まさか。
けれど綾女さんは、私の手を掴んで、そのまま会場である吹き抜けの広いリビングルームを本当に飛び出してしまった。私がいなくなった所で会場でそのことに気が付くひとは、せいぜい夫だけだっただろうけど、綾女さんがいなくなれば、誰もがそのことに気が付いてしまう。けれど綾女さんには、まるでそんなことを心配するそぶりはなかった。
「お名前は?」
私の手を取ったまま、うららかな春の日差しを浴びて歩く綾女さんが、私の顔を覗き込みながら、パーティ会場から持ち出してきたシャンパングラスを傾ける。
「……中西と、申します。」
「それは知っているわ。」
「……友利子です。」
「そう。私は綾女。ああいうパーティは苦手なの。夫に言われて出てはきたけど、抜け出したくて仕方がなかったわ。巻き添えにして、ごめんなさいね。」
綾女さんが微笑みながらそう言って、私は反射みたいに大きく首を振った。
「いいえ。私こそ、賑やかな場所は苦手で……助かりました。本当に。」
本心だった。口に出して、はじめて分かった。私はあの場でいっそ泣きだしたくなるくらい、戸惑い、困惑し、孤独を感じていたのだ。
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