起詞回声 ~ウクライナ少女と作詞おじさん、農大バンドで再起する~
蒼山みゆう
Disc.1_起詞の章(来日編)
Track.00_干からびて、しまえばいい_Acapella.ver ☆
笑い方を置いてきた西洋人形が、瞬きさえすることもなく、ただ真顔で俺を見つめている。
大丈夫だったか、心配したんだぞ、リュミナ。
そんなありきたりの言葉は、声にならず。
紺碧よりも仄暗い、開ききった瞳孔に呑み込まれてしまった。
夜の農芸池への入水事件。
酔っぱらい共の悪ノリなんかではなく、本気で歩みを進めていたらしい。
たまたま部活帰りで通りがかった彼女の友人たちがいなければ、俺は過去と同じ後悔を再び味わうことになっただろう。
リュミナには運と人望があったことを、彼女の信じる神様に初めて感謝を捧げる。
一方で、結局俺がやってきたことはただの自己満足だったらしい。
ウクライナからの来日や大学の編入手続き、資金的援助で、俺なんかでも傷ついた彼女を、ちょっとは救えたのだと思いあがっていた。
異性への配慮と言い訳しつつ、時間帯にも物理的にも、俺はリュミナと距離を取りすぎていた。
俺のそんな慢心によって、残された者の痛み、逃げてしまった者の後悔───彼女が抱え込んでいたサバイバーズギルトが、心ない誹謗中傷たちによって、ついに暴発してしまった。
あんなにも食いしん坊で、歌とアニメが大好きで、素直さが取り柄な彼女は、目の前の心を喪ったかのような人形と化しており、俺の知っている姿とはまるで別人だ。
小麦畑のように輝く長い髪も、粉雪のような透き通る肌も、泥濘に塗れて見る影もない。彼女の友人たち3人がタオルで必死に拭うも、心の隙間に潜り込むようにへばりついて中々取れる気配はない。
慰めるための言葉など、とうの昔に使い果たしていた。
異性、ひと回り以上歳上、又従兄という微妙な縁。
諸事情で保護者になっただけの俺は、リュミナを取り囲む同性の友人たちにケアを任せるべきなのかと思う気持ちも嘘じゃない。
ただ、だからと言って、ここで任せきりにするのは違うという直感があった。或いはこれが初めての啓示だったのかもしれない。
引き留めなければ、昔の俺と同じようにまた馬鹿なことをしかねないと、そう確信に至る何かが俺の脳内を駆け巡っていた。
アイツがいなくなったあのとき、俺はどうしたっけ。
誰も許せなくて、誰にも許してもらいたくなくて。
許されることが罰であるからこそ、自分で罰するしかなくて。
そうだ。あのときの俺は。
「────干からびて、しまえばいい のに」
リズムを敢えて噛み千切りながら、俺は咄嗟にそう叫ぶ。
こんな池なんか、干からびてしまえばいい。
そうすれば向こう岸へ渡れるのに。
水面を見つめながら、浮かんできた言葉を音に変えただけだ。
音楽の力を信じているわけではない。
ただ普通に喋るのでは、想いが軽すぎる。
音が小さすぎる。
自然と腹式呼吸で、池の向こう岸まで届く声を絞り出していた。
「
行ける、今の俺ならやれる。
終着点はもう見えた。
リュミナ以外の誰かの雑音なぞ、無視しろ。
もう一度だ。
いっそのこと、失ってしまいたかったものは他に何があったか。
「涙も」
暗闇の中で辞書を手繰る必要などない。
「怒りも」
蛍光色の付箋は、この人生で既に貼ってある。
「希望も」
今は、その中から幾つかの頁をめくるだけだ。
「言葉も」
「全部、全部、全部」
「干からびて、しまえばいい────」
音も揺らしながら、定まる場所を見つけるまで伸ばし切り、思考の汚泥の中に潜り潜り、潜る。
そして、陸で溺れるまで
「のに」
ブレスと共に、静かに言葉を置いた。
池から這い上がってくる湿った空気が、肺を、生命を満たしていくのを感じる。
少しだけ、リュミナと対等な立ち位置に近づけたかもしれない。
でもこの歌は徹頭徹尾、あの時の、死にたがり屋だった俺のための歌だ。
リュミナのために歌えるほど、知ったかぶりはできない。
だが、これが道標だと、代弁だと彼女を騙せるのなら。やるしかない。
たった3文字を伝えるためだけに、盛大な前振りを宛てがう。
パッとしないボカロPから、それなりの商社マンに転身できた武器──この即興話術に全てを注ぎ込め。
集中しろ。
さぁ、もう一度だ。
さっきのフレーズは転換点のBメロラストとして、Bメロの始まりとなる少し前から歌い出す。
「笑い方 置いてきたの」
1音目に強烈なアクセントを置き、喪失の動詞と共に一気に音量を絞り込む。
あのときの俺が喪っていて、リュミナもそうでありそうなものは。
「赦し方 捨ててきたの」
同じ音程とリズムの連打で畳みかける。
とっさに思い浮かばなかったとも言うが、それでいい。
「眠り方 忘れていたの」
ここだけ頭を緩やかに始め、音量と音程も最後の1音で一気に上げ、感情のボルテージを一気に加速させる。
「涙も 怒りも 希望も 言葉も」
「全部 全部 全部」
「干からびて、しまえばいい のに」
明確なアクセントと畳みかけるリズムで1度目よりも勢いをつけながら、先ほど見つけた音程で修正をかける。
暫しの沈黙。
一度沈んで落ち着いた気持ちでサビのフレーズとなる言葉を探す。
季節外れの水鳥が、水面を叩く音が向こう側から聞こえる。
陸で溺れた反動で、喉が軋み、渇いた唾がその上をなぞる。熱い喉が冷える刹那。
そして、誰かのかわりに夜空が泣いて、俺の輪郭をなぞる。
あぁ、これだ。
目で分かる、身体で分かるというのは説得力があってとても良い。サビが自然と湧き上がる。
「喉に残る雪は」
20年以上昔、小学生の頃に流行った連想ゲーム。
運動音痴な俺が無双できていた唯一の遊び───マジカルゴリラの要領だ。
「いま」
与えられた余白は1拍のみ。
倍速と同値のベリーハード。
【雪と言ったら?】
「融けて 濡れて 冷める」
連想の三連打に、掠れた裏声が混じる。
「そして 頬を伝う雨を また」
【涙と言ったら?】
「拭いて 舐めて 飲んで」
手振りごと、その動詞を喉から出力する。
「このまま」
踵で刻んでいたリズムを、膝ごと持ち上げ、ここで大きく叩き潰す。
そしてラストフレーズ、すなわち一番伝えたいことは、最初から明確だ。
だからここからは感情の勢いを落とさず、言葉も滞留させずに駆け抜ける。
「向こう岸が 見えない」
音程など捨て去れ。
ただ感情の蛇口を、声量を、全開で捻るだけだ。
「水面で生きて 生きて 生きて」
そうだ、俺はこうして生きてきた。
「息して」
こうして恥を晒しながら生きている。
「不誠実なまま 生きる────────」
それでもいいから、生きてくれ。リュミナ。
枯れ果てるまでのロングトーン。
それで、この歌は一度終わる。
今はこの部分だけで充分。他の部分を作り込むタイミングは、今じゃない。
それなりに拍手の気配を感じるが、肝心の人形姫はどうだ?
「えっと……ドライブのときより音痴だね。ミコト」
「なぁ、即興をまずは褒めろや。音も決めたし次はもっと上手く歌えるわ」
声の温度感からすると、少しはいつもの調子に戻ったかもしれない。
こんな顔を見られるわけにもいかない俺は、このまま池を眺めていることにする。
向こう岸の葦が風にそよぎ、俺たちを手招きしている。
「……悪いな」
俺は臆病だから、リュミナと暫くこっちで暮らしとくわ。
あの子をそちら側へ行かせるのは、決して今じゃない。
「かすうどんでも食いに行くか? 俺は腹減ったわ」
振り返ると、肯定インコになったリュミナがいた。本当にこういうときは分かりやすいな。
「着替え借りたら、部室棟のシャワー行ってこい」
「うん、そうする。すぐ戻るから待ってて」
少なくとも、身体は生きたがってる。
それがようやくこの目で確認できた。
あぁ、充分だ。
そして俺は1人、池のほとりで佇み彼女の帰りを待つ。
傘を差すには至らない程度の五月雨───ひとくち分にも満たないそれを、手のひらに溜めてから口内を少し湿らせる。
少しだけ、空気酔いがほどけた気がした。
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