降霊術よりパフェが高い

 社会というものには、ルールがある。


 ルールがあるからこそ、社会は円滑えんかつに回り、秩序を保っていける。


 だからこそ、そのルールを破り、秩序を壊す者は、社会から排除される。


 俺は今日、その『排除されるべき存在』と対峙する。


 すべては社会の秩序――いや、俺自身の生活を守るために!


 大きく深呼吸をして、俺――新人社会人の草間大地くさまだいちは、自分が暮らすアパートの隣室のドアを、決意とともに激しく叩いた。


「居るか! 居るんなら出てきてくれ! 言いたいことがある!」


「は〜い、ちょっと待ってください。いま出ますから」


 こちらの怒気を滲ませた呼び掛けに、ドアの向こうからマイペースな口調の返答が返ってきた。


 直後、ドアが開き、この部屋の主――爽やかな笑顔がよく似合う大学生が、ひょいと顔を出してきた。


「あれ? お隣の草間さんじゃないですか。どうしたんですか、こんな休日の朝に」


「……俺が何の用で来たか。わかっているよな」


「来た理由? ……あぁ、なるほど。わかりました!」


「……ほぅ。やっぱりわかるか」


「はい! 陰鬱いんうつ寡黙かもくな草間さんの友人が来たので、一緒にお部屋で朝食を食べようというお誘い、ですよね!」


「そんな陰キャラみたいな友人などおらんわ! それになんで、きみを朝食に誘わなければならないんだ!?」


「え? 陰キャラふたりだけの朝食は寂しいから、陽キャの自分も混じって欲しかったんですよね?」


「俺も陰キャラのひとりに入ってた! てか、俺の用件を全然わかっちゃいないじゃないか!」


「いや、すいません。ちょっとおふざけが過ぎましたね。本当はわかっていますよ」


「本当か?」


「もちろん。草間さんのお部屋に訪れているのは、友人ではなく、陰キャラの恋人なんですよね」


「やっぱりわかってないじゃないか! それと、一応言っとくが、俺の彼女は陰キャラではなく、陽キャだからな!」


「またまた。ご冗談を」


「冗談なんて一言たりとも言ってないわ! いいか、俺がきみのところに来たのは、夜な夜な聞こえるあの騒音の件で話をしに来たんだ!」


「騒音の件?」


「そうだ! 真夜中にも関わらず、思いっきり壁を叩いたり、室内をドタバタと歩き回ったり、大声で誰かと喋ったりして、こっちは迷惑しているんだ!」


「なんだ、そっちでしたか。それならそうと、率直に言ってくれればよかったのに」


「きみのせいで話が大きく逸れたんだろうが! まぁ、それはそれとして、夜は騒がないというのが、この手のアパートの暗黙のルールだ! それが遵守じゅんしゅできないと言うのなら、大家さんに言って、きみをこのアパートから追い出してもらうぞ!」


「まぁまぁ、落ち着いてくださいよ。そして、僕の言い分も少し聞いてもらってもいいですか?」


「言い分だと?」


「はい。実は僕にも彼女がいるんです」


「彼女が?」


「そうなんです。僕の彼女は、草間さんの彼女みたいな陰キャラじゃなくて、陽気な人なんですけどね」


「どうしても俺の彼女を陰キャラにしたい、きみのその固い意志はどこから湧いてくるんだ?」


「いま、その彼女と同居しているんですよ」


「同居? きみの部屋を出入りしている女性なんて見たことないぞ」


「それはそうでしょ。草間さんのように心がけがれた人には、僕の最愛の人は見えないはずですから」


「……どうやらきみとは、騒音問題以外にも話し合うべきことがあるようだが、それはひとまずあとにしよう。それで、それが真夜中の騒音問題とどう繋がるというんだ?」


「実は、その彼女とは真夜中でしか会えないんです」  


「真夜中だけ? なに言っているんだ。きみと同居しているなら、いつだって会えるだろう」


「いつでも会える!? 草間さん、それはいくらなんでも不躾ぶしつけすぎる発言ですよ!」


「えぇ〜、なんで俺が怒られるんですか? 俺、なにか変なこと言いました〜?」 


「あぁ、すいません。ついつい感情的になってしまいました。草間さんは元から野蛮やばん無神経むしんけい不行儀ふぎょうぎな人ですもんね。そんな人に常識的な応対を求めること自体が間違いでした」


「うん、そうだね。とりあえず、きみは俺の心の中の『大っ嫌いリスト』に、堂々の殿堂入でんどういりだ。会って数分で殿堂入りとか、俺も初体験だよ。これだから人生はたまらないよ!」


「なんだが喜んでもらえたようで、僕も嬉しいです」


「どこの誰が喜んでいるっていうんじゃ!」


「それでは、話の方も一件落着したようですし。僕はこの辺で部屋に戻らせてもらいますね」


「どこをどう捉えたら一件落着したように見えるんだ、きみは! 何ひとつ解決していないのだから、まだ部屋には戻るな!」


「やれやれ。自分が陰キャラだからって、陽キャの僕にまとわりつかれても困るんですけどね」


「黙れ! 俺は陰キャラでもないし、きみは陽キャじゃなくて腹黒キャラだ! それと、俺が言ってるのは一つだけだ。真夜中に騒音を出すな。それを約束するなら、この話は簡単に終わる!」


「でも、真夜中に騒音を出さないと、草間さんが独り寂しくて眠れなくなりませんか?」


「逆だ! その騒音のせいで眠れなくなってるんだよ!」


「……そうでしたか。でも本当のことを言うと、騒音を出しているのは僕ではなくて、彼女の方なんです」


「彼女? あの真夜中しか会えないっていう?」


「そうです」


「そもそも何者なんだよ、その彼女は。同居しているのに、どうして真夜中でしか会えないんだ?」


「それは、日中にはいないからですよ」


「ここにいない? ならその彼女は日中ずっと働いているのか?」


「いえ、違います」


「違う? じゃあ、きみと同じ大学生で、昼は大学に行って、講義が終わったら夜遅くまでバイトをしているとか?」


「それも、違います」


「これも違う? なら他に何があるって言うんだ? あ、もしかして、俺に彼女がいると知って、思わず対抗心でもしない彼女をでっち上げたんじゃないのか」


「そんなことあるわけないじゃないですか! 草間さんのようなゴミクズが如き人間に、どうして僕が対抗心なんて抱くんですか!?」


「くー! さすが殿堂入り! こちらの期待を裏切らない侮辱ぶじょくっぷり! 怒り心頭で、心の震えが止まらないよ!」


「いる! いるんだ! 彼女はちゃんと僕の側にいるんだ! 草間さん! 彼女はね、本当にいるんだよ!」


「わ、わかった。彼女はいるんだよな? すまなかったよ、でっち上げたなんて失礼なこと言って。だから落ち着こう、な?」


「……だって、だって彼女は真夜中じゃないと、に呼べないから」


「え? こちら側?」


「僕の大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな彼女は、ここに引っ越しする前に、交通事故に遭って死んでしまったんです」


「し、死んだ?」


「でも、でもね、草間さん。僕、どぉーしても彼女に会いたくて、降霊術っていうやつをやってみたんですよ」


「降霊術!?」


「えぇ! さすがに日中にやってもなにも起きませんでしたが、それでも真夜中にやると、声が聞こえるようになったんです。彼女――涼花すずかの声が!」


「……おいおい。嘘だろ」


「それから毎晩、僕は真夜中に降霊術をやって涼花と会っているんです! 残念ながら姿は見えませんが、それでも涼花の声を聞くだけで、僕の心は得も言えぬ幸福に満たされるんです!」


「……そんな、ありえないだろ」


「でも草間さんの言うように、最近、涼花を呼ぶと、壁を叩くようになって、室内をドタバタと走り回るようにもなったんです」


「……もういい。やめろ」


「さらには、涼花以外の声も聞こえるようになりまして。でもその反面、僕の側に、常に涼花がいる気配がするようになったんですよ!」


「もうやめろ! これ以上きみの戯言など――」


 言葉が――いや、息が止まる。


 氷柱ひょうちゅうを直接突き刺されたような、不快な悪寒が背筋を一直線に貫く。


 いる。いる! そこにいる!!


 大学生の背後――居室に、いつの間にか人が立っていた。


 いや、あれは人なんかじゃない!


 顔には真っ黒な前髪が垂れ下がり、表情はまったく窺えない。

 だが、その隙間から覗く肌は、生きているとは思えないほど生気の失われた色をしていた。

 そいつが纏う雰囲気は、まるで、ま、まるで……。


「どうしたんですか、草間さん。僕の後ろになにかいるんですか?」


 大学生の落ち着き払った声に、俺はハッと我に返って彼の顔を見た。


 彼は笑っていた。


 よく似合う爽やかな笑顔で。


 でも俺には、その笑顔がとても不気味で、そしてなによりも、心の隅々が凍りつくほどの恐ろしい笑顔に見えて、仕方なかった。


 彼は続ける。


「もし、見えているのなら、僕たちはもう親友です。二度と離れることのできない、強い絆に結ばれたね」


「う、うわぁーー!!」


 俺は駆け出した。


 この場からすぐに離れろという本能に従い、ただひたすらに走り続けた。


 ――その後、俺は急いであのアパートから引っ越した。


 まさか、騒音問題からあんなホラー展開になるとは思ってもいなかったが、とにかくもう、俺はあのアパートに近づくことは今後ないはずだ。



―――とある喫茶店―――


「ふ〜ん、美味しい! やっぱりこの店のパフェは最高ね!」


「……そうですか。それはよかったね、


「ちょっと、なに浮かない顔してんのよ。あなたの言う通りにを演じたらパフェを奢ってくれるっていう約束でしょ」


「それはそうだけど。まさか二千円以上のパフェを奢らされるとは思ってもいなかったら……」


「なに言ってるのよ! 幽霊を演じるために、演劇部の友達からウィッグまで借りて、肌もそれらしく見せるためにドーランまで塗ったのよ! 知ってる? ドーランって、長時間使うと肌荒れの原因にもなるし、落とすのだって大変なんだから。それでも、彼氏であるあなたの頼み事だからってやったのに、それをたった二千円ぐらいの出費で、そんなに気落ちして……」


「わかったよ、ごめん。もう後ろ向きなことは言わないから」


「そうそう。わかればいいのよ。それに、あなたの思惑通り、お隣さん、確か草間さんだっけ? ちゃんと引っ越したんでしょ?」


「うん。あの後すぐにね」


「でも、あなたも殊勝しゅしょうよね。あのままあの部屋にいたら、草間さんがそこに棲みついている悪霊に取り憑かれて、非道い目にあう。だから、その前に引っ越しさせたいなんて」


「まぁね。僕は未来を『視る』ことしかできないから。あのまま放っておいたら、草間さんの身に不幸なことが起きるのは視えていたから。なにせ、あの騒音――僕の部屋からじゃなくて、から聞こえてたんだから」


「だからあの日、草間さんが文句を言いにくるのを未来を視て知っていて、あんな大芝居を打ったというわけなんでしょ。でもあなたは怖くないの? 隣室にそんな悪霊がいることに」


「別に平気かな。僕の視る未来では、あの悪霊は僕になんの危害も加えてこないから。多分、あの部屋に住む人だけを襲う悪霊だと思うんだ」


「ふ〜ん、そうなんだ。だったら別にいいけど。ねぇ、パフェもう一杯おかわりしてもいい?」


「それはやめたほうがいいよ。体重が増えて後悔する未来が視えるから」


「パフェのためならそれもやむなし! 店員さん、注文いいですか!」


「……憎しみに取り込まれた悪霊も怖いけど。欲望に忠実な恋人も、これまた怖いな……」


 それはとある喫茶店の、とあるカップルの会話。



―――完―――

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