26話:パンケーキ・パニック!

 ――翌日の昼時。

 パンケーキ屋の入り口で三谷を待ちながら、ロキの様子を窺っていた。


 人間に化けたロキが、東雲さんに挨拶をする。

 金糸のような髪をなびかせ、にっこりと微笑む。

 その瞬間、周囲の男性の視線が一斉に止まった。人間に化けているはずなのに、どこか神々しい。

 見慣れたはずの僕でさえ、その美しさに釘付けになった。


「薄くん、ありがとう!」


 東雲さんも嬉しそうにしていた。僕は少し照れながら、顔がほころんだ。

 ――ある問題を除けば。


「よろしくね」

「よーろしくなのですー!」


 うまく人間に溶け込んだロキの傍で、元気に答える自由神……エール。

 顔立ちは確かに整っている。けれど、独特の口調と空気を壊す元気っぷりに、僕の胃はパンケーキを食べる前からキリキリ痛んでいた。


「えっと、神堂しんどうさんと、エール……さん?」

「エールなのです!」


 もはや人間に溶け込むつもりさえないエール。あまりに変わった名前を不思議そうに口にする東雲さん。

 どうかトラブルが起きませんように――。僕は心の中で必死に祈った。


「おまたせ」


 相変わらずの不機嫌そうな声が僕を現実に引き戻す。 

 暑さに折れない黒いシャツ。半袖の襟はぴたりと閉まって、白い靴が清潔さをかもしだしている。随分と身軽でスポーティな格好に、妙な納得感があった。


 どこまでも淡白な三谷を追いかけるようにして、店内に入った。

 破壊神たちには事前に釘を刺している。離れた席から監視するようにと――。


 いくらサバサバしている三谷といえど、彼女にとって知らない男と相席するなんて、気を遣ってしょうがないだろうから。


 などと考えている間に、三谷が注文を決めていた。僕も慌てて注文を決める。相変わらずせっかちなやつだ……。



 ――三谷との間に、言葉が途切れる。

 店内スピーカーから流れる流行りのJPOP。

 焼きたての生地の甘い香りと、ミルクの余韻。


 本来なら、ここは誰でもくつろげる空間のはずだ。

 ……でも、僕たちの周りだけ、やけに空気が重い。


 なんだろう。すごく気まずい……。

 本当なら男である僕から話題を振るべきなんだろうけど、

 三谷と喋る機会が少なすぎて、何を話題にしていいかがわからない。

 

 少なくとも、パンケーキの甘さを味わう余裕なんて、僕たちにはなかった。

 

「お待たせしました、こちら――」


 運んできたのはロキだった。お店のウェイトレス姿がよく似合っている。

 料理名も、注文数も、まさに全てを完璧にこなす。

 いつもはふざけているけれど、そうだ……こいつは神様だったよなと改めて強く実感する。


 対して……。


「ふんぎゃー‼」


 人間に化けているエールが、叫び声をあげて転げた。

 客すれすれにコップが宙を舞い、グラスが盛大に割れていた。

 その度に東雲さんがすぐさま駆け寄り、破片を片づけながら笑顔で『もう、気にしないで』なんて言っている。

 おまけには『初めてなんだからしょうがないよ』なんて言われる始末……。


 僕のこめかみが、ぴくりと引きつる。

 怒りより、呆れが勝った。

 軽く首を振り、感情を落ち着かせる。今は目の前の三谷に集中することにした。


 三谷はフォークとナイフを使って淡々と食べ進めていた。

 ……き、気まずい。


「み、三谷っ」


 僕は不自然な笑みを浮かべる。用事もないのに、何か話題をと必死に足りない頭を巡らせた。


「なによ」


 ツン、と返す三谷。ここで引くな……引いてたまるか!


「パンケーキ……うまいな」


 捻りだした言葉がそれか――僕ッ‼

 すると、三谷もふっと柔らかい笑みを作った。


「そうね。ここのパンケーキ、ふわふわですごくおいしいの。クリームも甘すぎず、フルーツの量とアイスの量と……全てがベストバランスね」

「へ、へええ」

「あんた、その舌で漠然と食べてたわけ? もったいない」


 三谷が楽しそうに、パンケーキについて語った。

 へえ、こんな顔するんだ。ついうっとりと、彼女の語る言葉に耳を傾けた。


「むううう‼ うまくいかないのですッ! 人を離れて神よ――」

「エールストップっ‼」


 そんな余韻に浸れないほど、あっちは盛り上がっていた……。

 ロキとエールの声が店内に響き渡って、僕までが恥ずかしくなった。



 三谷とのひと時は、意外にも楽しいものだった。

 甘いものを語る三谷の表情は、年相応の女の子そのものだった。

 『なんだ、三谷もそんな顔ができるんだな、ホッとした』

 ……と去り際にカッコつけようと思ったが、ドン引きされる未来が見えて妄想を振り払う。


 彼女は僕が行くまでもなく、サッとパンケーキ代を払って颯爽と店内を後にする。

 なんてかっこいいんだ……。男前すぎて、己の不甲斐なさに涙が出てくる。


 僕も三谷を追って店内を出た。このまま別れるフリをして、ロキたちのところへ戻らなければならない。

 ――そう、考えた時だった。


「ねえ、薄?」

「うん……?」


 三谷は一歩こちらにふりかえり、顔だけをこちらに向けた。


「あんたってさ、いつも変な……」


 言いかけて、飲み込んだ。


「……ごめん、忘れて。じゃあね、今日はありがと」


 彼女は少し上向きに顔を逸らせた。

 まるで今ここで、何もなかった。そう言わんばかりに颯爽と去っていく三谷の背中を、ただただ目で追う。

 しかしそれを許さない、店内での悲鳴が僕を現実に引き戻した。


 そうだ、エールたちはどうなったんだ⁉

 慌てて店内に戻っ――。


「はっわあああ‼」

「うぇっ⁉」


 バシャン……なにか冷たい感覚とともに、身体から甘い匂いが漂った。

 目の前は真っ暗に覆われ、ほんのり温かい何かが顔に張りついているのがわかった。

 僕は苦笑いを浮かべて、それを剥がす。


「はわわ……幸、ごめんなさいなのです……」


 ……だよな。


 こうなることは、明白だった……。

 今更、怒ることはできずに大きなため息を吐いた――。



 どうにか一日が終わり、日は沈みはじめた。

 パンケーキ屋にも、ゆっくりと店じまいの空気が流れ始める。


「はい、これお給金」


 言いながら、店長がロキとエールに日当を手渡す。エールに関してはほぼ邪魔しかしていないだろう、といいたい気持ちをグッとこらえた。


「それにしても、神堂さんをお店にスカウトしたいくらい素晴らしい手際だったわ。あなたがいてくれたらきっと、男性客もたくさんなのに……」

「ありがとうございます。でも、わたしにはやることがあるので」

「そーお? 残念ね……」


 ロキも満更でもなさそうに、ほほ笑んだ。

 一方のエールは目をキラキラさせて、給料袋を掲げながら見つめていた。

 顔に書いてある。これで何を食べようか、と……。


 僕たちは店長にお辞儀を返し、私服姿に着替えた東雲さんと一緒に店を出る。

 帰り際に『今日はありがとう、薄くん』と笑みを浮かべて、可愛らしい駆け足で去っていった。


「わあ! これでわっとっと食べ放題なのですー!」

「てふふっ。これ、幸ちゃんに預けておくわね」

「あっ!」

 

 変身を解いたロキが二人分の給料袋を僕に手渡す。エールはそれを見て、ぶうっと頬を膨らませていた。

 これじゃあどっちが僕の神様か分からない。


 不満げなエールをつまんで僕の肩に載せると、エールは顔を綻ばせてご満悦な様子を見せる。

 僕たちはそれぞれが、今日の出来事を思い出しながら帰路に着いた。

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