第06話「観測者によるロジカル・ソリューション」

「氷の聖女様」の名は、アーデルベルト領の隅々にまで浸透していた。リディアの元には、領主であるカイウスを通して、様々な問題が持ち込まれるようになった。


 ある時は、商人たちの間のトラブルだった。

「東の町へ向かう交易路が、なぜか最近、盗賊に襲われることが多くて困っている。警備を増やしても、まるで待ち伏せされているかのように、裏をかかれてしまう」


 相談に来た商人たちの感情データは、『困惑』と『不信』で満ちていた。彼らは、仲間内に裏切り者がいるのではないかと、疑心暗鬼に陥っていたのだ。


 リディアは、カイウスが集めた被害報告書と交易路の地図を、数時間にわたって精査した。


「犯人は、盗賊ではありません」


 彼女が導き出した結論は、あまりにも意外なものだった。


「襲撃されたとされる場所、時間、被害規模。全てのデータに、奇妙な規則性が見られます。これは、計画的な犯罪行為というより、もっと偶発的で、本能的な何かの行動パターンに酷似している」


 リディアは、地図上の一点を指した。それは、交易路が森を抜ける場所だった。


「この森には、群れで行動する大型の肉食鳥が生息している、と古文書にありました。彼らは、光るものを巣に持ち帰る習性がある。最近、あなた方が扱い始めた新しい商品――ガラス瓶詰めの香辛料。その瓶が太陽の光を反射し、彼らを刺激した。これが、私の仮説です」


 商人たちは、半信半疑だった。しかし、リディアの提案通り、荷物に光を反射しない布を被せて交易路を通ったところ、襲撃はぱったりと止んだ。犯人は、本当にただの鳥の群れだったのだ。仲間を疑っていた商人たちは、互いに顔を見合わせ、ばつが悪そうに頭をかいた。


 またある時は、職人たちの間の技術停滞が問題となった。

 アーデルベルト領には、古くから伝わる織物があったが、その品質は年々低下し、買い手がつかなくなっていた。


「昔は、もっと美しい色が出せたはずなんだが……。今では、どうやってもくすんだ色にしかならない」


 老いた職人は、諦めきったように言った。


 リディアは、織物の工房を訪れ、糸を染める工程を黙って観察した。染料となる植物、媒染剤(ばいせんざい)に使う灰、水温、作業時間。全ての工程をデータとして記録していく。


「問題は、二つあります」


 観察を終えたリディアは、静かに告げた。


「一つは、染料となる植物を採取する時期。気候変動により、最適な採取時期が、過去の伝承から半月ほど早まっている。現在の時期に採取したものでは、色素の含有量が不足しています」


「な、なんだって……?」


「もう一つは、媒染剤に使う木灰です。昔は、特定の種類の木材を燃やした灰を使っていたはず。しかし、その木が希少になったため、今は手近にある雑木を燃やしている。木灰に含まれるミネラルの成分が変化したことで、染料がうまく定着しなくなったのです」


 リディアは、カイウスに頼んで取り寄せた古文書の記述を、職人たちに見せた。そこには、彼女の指摘通りの製法が、確かに記されていた。職人たちは、自分たちがいつの間にか、先人の知恵を簡略化し、その本質を失っていたことに気づき、愕然とした。


 リディアの提案に従って製法を修正すると、織物は、まるで魔法のように、かつての鮮やかな色彩を取り戻した。


『人間のコミュニティにおける問題の多くは、情報の欠落、あるいは誤った伝達によって発生する。感情というノイズが、客観的な事実の認識を妨げるケースも多い。論理的なデータ分析に基づいた介入は、これらの問題を解決する上で極めて有効である』


 リディアは、自らの分析ノートにそう記した。

 彼女のソリューションは、常にロジカルで、感情を排していた。彼女が人助けをするのは、善意や同情からではない。目の前にある非効率なシステムや、矛盾に満ちた問題を、論理的に解決すること自体が、彼女の知的好奇心を満たす、最高の娯楽だったからだ。


 カイウスは、そんなリディアの働きを、頼もしさと、ほんの少しの寂しさを感じながら見守っていた。彼女の分析は、領地を豊かにしていく。それは、領主としてこの上なく喜ばしいことだ。しかし、彼女が人々を救えば救うほど、彼女の人間離れした側面が際立っていくようにも思えた。


「リディア様は、まるで、壊れた機械を修理する技師のようだ」


 ある日、カイウスはぽつりとそう漏らした。


 それを聞いたリディアは、少しの間、考える素振りを見せた後、答えた。


「的確な比喩です。私にとって、この社会は複雑で、時に故障する、巨大なシステムのようなもの。そのバグを取り除き、正常に稼働させるプロセスは、非常に興味深い」


 その答えは、カイウスが期待していたものではなかったかもしれない。だが、それがリディア・フォン・クラインフェルトという存在の本質だった。


 領民たちは、彼女を「氷の聖女」と呼ぶ。その呼び名は、畏怖と感謝の念から生まれたものだが、同時に、彼女の心の在り方を、的確に言い表してもいた。


 彼女の瞳は、どこまでも冷たく、澄み渡っている。まるで、真実だけを映し出す、氷の鏡のように。

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