サトシ先生は妻子を溺愛していない(と本人は言い張る)
白神ブナ🎄
第1話 布団に謝る男 ―君と俺の未来が始まった日―
ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ、……
携帯の目覚ましアラームが鳴っていた。
「……美柑、みーかーん」
サトシの腕枕で寝ている美柑を起こそうと、名前を呼んだ。
「おーい、起きないと遅刻するぞー」
「……んん……」
いつもなら、アラームと共に飛び起きる美柑が、今朝はなかなか起きてくれない。
サトシの体にしがみついたまま動こうともしなかった。
「離してくれないと、俺、起きれないんだけど……、どうする?」
美柑の目が薄っすらと開いた。
「……?」
「二人してずる休みする?」
美柑は驚いて飛び起きたが、同時にくらっとめまいがしてそのままベッドに崩れ落ちた。
「大丈夫か? 美柑……。風邪でも引いた?」
「ああ、おはよう……。だるい……起きたくない。…ううーん、このままどこにも行かないで。ずっとここにいて」
そう言いながら、美柑はサトシの腕に絡みついてきた。
「だるいって? な、なんだ? 俺の寝相が悪かったのか!? 俺だって、同じ……。このまま一緒にギューってしていたい……けど、……時間だ。行かなくちゃ」
「そっか、ごめん。ご飯作れそうにない……」
「いいよ、ご飯いらない」
サトシは、急いで着替えると、キッチンで立ったままアンパンを牛乳で流し込み、寝癖の付いた髪のままで玄関で靴を履きながら叫んだ。
「じゃ、行ってくるー!」
美柑は、だるい体を起こしながらベッドから出ると、大学に行こうと、とりあえず着替えた。
駅までの道のりが遠く感じる。
商店街の真ん中で、美柑はふと足を止めた。
(まさかと思うけど……。生理が遅れてる。でも、もともとわたしは生理不順だし、違うと思う……けど)
美柑は、迷いながらも念の為に薬局で妊娠検査薬を購入した。
しかし、購入したものの、検査する勇気が出ない。
大学の講義中も落ち着かなかった。
もし、妊娠したら休学するのか、それとも退学するのか……。
気持ちの整理が付かないまま、美柑は、大学のトイレで検査薬を使ってみることにした。
検査結果を待つ間、ちょうど大学の聖堂の鐘が鳴っていた。
そのころ、白金女子学園で授業していたサトシは、今朝の美柑の様子を思い出して心配していた。
「サトシ先生、その問題文、さっき読みましたよ」
「あ、ごめん。うっかりしてた」
生徒に指摘されるほど、授業も上の空だった。
(いつもの美柑なら、風邪を引いていても玄関まで来てくれたのに……、俺が出かける時になっても美柑は起きて来なかった。あんなに行かないでと止める美柑を見たことがない。もしや、もっと悪い病気なのでは……。それなのに、俺は置いてきてしまった)
授業が終わって職員室に戻っても、自責の念にかられるサトシだった。
(美柑がだるいって……もしや、俺の作ったカレーが原因!? カレー殺人事件……俺が犯人……
「おーい、サトシ―。なんか今日、テンション低くね?」
「工藤……。俺は、美柑に嫌われたかもしれない」
「始まった。また、それかよ」
工藤先生が呆れかえっていると、ちょうど、サトシのスマホに美柑からのLINEが来た。
《帰ってきたら話がある》
「ああああー、これ絶対怒っているーーー。で、出たぁ! “お別れメール”だぁぁぁ!!」
「おい、サトシ。落ち着け」
「そうだよな。よく思い返せば、あんなに甘えてくることは珍しいのに、時間が無いからと言って、俺は顔も見ないで出勤してしまった。怒ったんだ。怒ったよな。ということで、話があるってことは……」
「サトシ落ち着けって。何があったか知らんが、とにかく今日は早く帰ってやれ」
「すまない、工藤。もしかしたら、話ってdivorce(離婚)……。うわー! 俺、夫失格だぁぁぁ!」
「くだらねえ。美柑ちゃんからそんなこと言うはずないだろが」
その日、サトシは不安MAXで早退した。
サトシは、寝室のベッドにむかって土下座した。
「ごめん、美柑! 置いていって悪かった! 嫌わないでくれ!」
だが、美柑からの返事はなかった。
「美柑、どうしたのかな? まだ具合が悪いの? 怒っているのかな?」
返事はない。
サトシは、完全に無視されてショックで膝から崩れた。
(今まで喧嘩したことはあったけど、一度も無視されたことなんてなかったのに……)
「ハチカフェで、美柑の好きなオレンジパイを買ってきたよ。一緒に食べようよ。コーヒー淹れるから」
それでも、返事はなかった。ザ・無視はセカンドシーズンに入った。
サトシは完全に打ちのめされた。
「そうだよね。……具合が悪いから一緒にいてと言われたのに、さっさと仕事に行っちまう夫なんて、嫌われてもしょうがないよね。生徒と教師のときはあんなに優しかったのに、結婚したとたんに仕事しか関心がない夫なんて、離婚されてもしょうがない。
美柑、……君とはもっといろんな所へ旅行もしたかった。
二人で家も建てたかった。
二人の子どもも欲しかった。
なにひとつ、君の願いを叶えることが出来ずに……離婚なんて、そんなの嫌だよ。うわぁーー!」
サトシはベッドの前で泣き崩れた。
すると、背後から
「何やってんの、サトシ?」
振り返ると美柑が立っていた。
サトシが語り掛けていたのは、ただの布団の塊だった。
「え?……」
「ちょっと、プレゼントがあってさ、ラッピングしてもらいに行ってたの。帰ってきたら、サトシが延々と布団に話しかけてるし……ついに、独り言老人になったのかと……」
「あ、あの……布団と和解しようとしてた。……今の、全部聞いてたの?」
「うん。聞いてた。特に、二人の子どもも欲しかったのくだりの辺り……」
「……じゃ、離婚しない?」
「どっから、その発想? 君の願いを叶えることが出来ずにごめんじゃないわよ。叶えてくれてありがとうだからね!」
美柑は「これ、プレゼント」と小さな棒をラッピングしたものをサトシに渡した。
「棒? 新しい箸? それとも割り箸アート?」
検査薬の意味が分からずポカン としているサトシに、美柑は言った。
「早く開けて見てよ……できたみたい」
「何が?」
「お腹の中に赤ちゃんが」
余りのビッグニュースにサトシは言葉を失って固まってしまった。
「……」
しょうがないから、美柑の方から言い出した。
「黙ってないで、何か言ってよ」
やっと出てきた言葉は、
「えっ? ええー?」
「ねえ、日本語崩壊してるよ」
サトシは、言葉にできず黙って美柑を抱きしめた。
やっと出てきた言葉は……
「ごめんね。気づいてやれなくて」
美柑は、菩薩のように微笑んだ。
「気にしてないよ」
「……名前はもう決めたぞ」
「はやっ! えっ、早すぎない? サトシ」
「男の子なら……“佐藤権左衛門之介蘭丸”」
「戦国武将か!」
サトシは、うっとりしながら続けた。
「女の子なら……“佐藤の小町黄色式部”」
「雅すぎるわ! 絶対いじめられる!」
それでも、サトシは必死だ。
自分が帰国子女だったから、日本らしい名前に憧れがあるようだ。
「いやいや!日本らしくて、伝統を感じる……!そんな名前がいいなぁ」
「いいけどー。その名前の父親になるんだってこと考えてる?」
美柑は呆れながら、興奮して鼻血を出しているサトシの横に、ティッシュペーパーを持ってしゃがみこんだ。
「……えっ? ってことは!? 俺、父親になるのかぁぁぁ!! 世界一幸せだーー!!! よし、名前ノートを作ろう」
サトシは流れ出る鼻血を、ティッシュで押さえながらノートを取り出すと、名前のアイディアを書き込んだ。
「えっ、今から!?」
「当然だ。子どもの未来を決める一大事だからな。男の子なら“佐藤権左衛門之介蘭丸”、女の子なら“佐藤の小町黄色式部”……っと」
サトシは、ノートに筆圧強めでガリガリ書き込んだ。
美柑ものぞき込みながら、ついに笑ってしまった。
「もー、絶対つけないくせに。……でも、こういうの、ちょっと楽しいね」
サトシは、ぱっと顔を上げてだ。
「よし、じゃあ君の案も書き込もう!一緒に“佐藤ネーミング大全”を作るんだ!」
美柑は吹き出した。
「大全て……」
(ふたりで笑いながらノートに名前を次々書き込む)
――こうして、家族の未来を想像する遊びが、深夜にまで及んだ。
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