第41話 聖女の過去
生まれた子供が聖女かどうかを、何を持って判別するか。その答えは胸に神の紋章が刻まれているか否かである。
この神の紋章を偽造する行為は厳しく罰せられる。刃物で彫ったり焼印を押しても、治癒の奇跡で回復すれば確認できる。
聖女はその時代にたった一人だけしか存在しない。神の寵愛を一身に受け、慈愛の心で人を救い、多大なる尊敬の念を向けられる存在である。
自分の子供がそうであったら、どれだけ誇らしい事だろうか。
キオラの両親は自分の娘の胸に神の紋章がある事に気づき、歓喜した。赤子のキオラの胸に刻まれた紋章を見せて周り、浮かれきった態度で自分の子供が聖女である事を触れ回っていた。
そのせいで、聖女誕生の噂は教会まで届く事になる。
奇跡が使える神子、特にその頂点に座す聖女は生まれた時から教会で囲んで育てる、という現教皇の方針のもと、キオラは物心つく前に両親と引き剥がされた。
両親は抵抗したが、組織相手に二人で出来ることなど何もなく、成すすべなくキオラは教会に連れ去られる事になった。
周囲の大人達は、その悲痛な慟哭をあげる夫婦に声をかけることができなかったそうだ。
この世界の人間は名字があるのが一般的だが、キオラはこういった経緯もあって自分の名前は知っていても、名字を知らない。
キオラという名前だけは、子が連れ去られると思ってもいなかった両親が嬉々として教会の人間に伝えていたため、そのまま残った。どんな経緯であれ、名前を変える事はこの世界では許されない行為として認識されている。
一方キオラは両親のことなど知らず、表向きには孤児院とされている場所で育った。そこは神子と思わしき子供達を拉致して、教会の尖兵として洗脳し育てる場所である。
そこでの日々は、キオラにとっては複雑なものであった。周りの神子よりは奇跡の扱いに長けているものの、聖女という別格な存在とは思えぬ力しか持っていなかった。
「キオラよ、君が聖女としての力を発揮できないと、ご両親が悲しむよ」
「わたしにも、おとうさまとおかあさまがいるのですか?」
「いるさ。でも君がちゃんとしないと、ご両親には会えないね。まだ御信託は受けてないんだろう?」
「はい。もうしわけありません」
聖女はこの世で唯一、ハッキリと神の声を聞くことができる存在である。神も別に四六時中話しかけてくるわけではないが、ごくたまに、聖女の人生にとって重要な事を告げることがある。
そしてキオラが七歳になった頃にその信託が下された。夢の中で、揺蕩う意識のまま、この世で最も優しい声を確かに聞いた。
(初めまして、聖女キオラ)
(は、はじめましてっ。……あなたが、かみさまですか?)
(はい、神です)
現代日本人なら草を生やしたり乾いた笑いが出てしまうような嘘臭いカミングアウトでも、いずれ神からの信託が降りると言われていたキオラにとっては感激するに余りあるものであった。
(貴女が聖女として未熟なのは、貴女の器に愛が十分に注がれていないからです。貴女に愛をくれる人が、一週間後の正午に、裏山の頂上に現れます。会いに行きなさい)
(わたしに、あい、ですか。………………しょうちいたしました! かんしゃもうしあげます、かみさま)
生まれてこの方、愛というものに心当たりがなかったキオラは、よく分からないまま神に感謝した。
(いいのですよ。貴女の人生に多くの幸が在らん事を願っています)
この時の神の話はこれで終わった。夢から覚めて目を覚ましたら、生まれて初めて満面の笑みを見せながら神官達に信託が降りた事を話した。
「よくやりましたね、信じていましたよキオラ」
「はいっ!」
一週間後、神のお告げ通りに裏山の頂上にキオラは足を運んだ。幼い少女を一人で山に行かせるわけにもいかないので、神官や十字兵(教会が抱える兵士の事)数人がついて行った。
「……」
キョロキョロと辺りを見渡すキオラ。何だか口がよく乾く気がして、持っている水筒の水を頻繁に飲んでいる。
そんな緊張を隠せぬ幼い聖女の前に、二人の人影が現れた。その二人こそ、神がキオラと引き合わせようとした存在である。
二人ともボサボサの白い髪で老人のようにやつれた顔をしているが、恐らくそこまで年は行っていない。老人ほど背筋は曲がっていなくて、肌も弛んでいなかった。
「「――……」」
その二人も、キオラの姿に気がついた。その姿を見て二人は大きく目を見開き、絶句している。
「キ、オラ……?」
「……? わたしのこと、ごぞんじなのですか?」
「あ、あ、あああ……。あああああ……っ」
二人のうち、女性と思われる方が膝から崩れ落ち、嗚咽した。男性と思われる方がその者の背中を摩り、ゆっくりと抱きしめる。
キオラは目の前で何が起こっているかよく分かっていなかった。この二人は誰で、何で泣いているのか。
しかし、キオラとは対照的に、彼女に同行していた神官や十字兵はその二人が何者であるか理解した……というより、信託の内容から現れる人間の正体に察しがついていた。神官が十字兵に命令し、二人を拘束する。
「えっ!? ……えっ!?」
目の前で大人が取り押さえられている姿を見て、キオラは混乱した。今に至るまで、起きている物事を何一つ理解できていない。
「キオラっ、キオラっ! 会いたかった! ずっと会いたかったよぉ……! っぶ!!」
もがきながら必死にキオラの方を向いて声をかける女性。本人は笑顔のつもりだったのだろうが、やつれてガリガリになった人間の必死の形相は、幼い子供からすると恐ろしいものであった。
キオラはその女性の迫力を前に顔を恐怖に歪め、尻餅をついてしまう。
その女性は十字兵に顔を鷲掴みにされ、地面に叩きつけられた。男性の方も同様にされ、苦悶の声を上げる。
そんな二人に、付き添いの神官がニヤつきながら声をかけた。
「聖女様に近付かないでもらいましょうか、不届者め」
「ふ、ふざけるな……! お前達なんかに神の名代など務まってたまるか! 恥を知れ!!」
「おやおや、教会に異を唱える蛮族なのであれば仕方ありませんね。……お願いします」
神官は十字兵に声をかけた後、キオラを抱えて来た道を戻った。その後に何が起こるのか、それを見せぬように。
しかし悍ましい、獣を思わせる断末魔はキオラの耳に入ってしまった。そしてその声は、程なくしてぱったりと途絶えた。
――小さな子供でもなければ、ここで起きた事や現れた二人が何者なのかの察しはつくだろう。しかし当時のキオラはまさに小さな子供でしかなかった。
キオラが事実を……両親が教会により殺害された事を理解するのは、それから何年も先の事であった。
理解するのに時間はかかったが、それまでの時間でキオラの中で神に対する不信感が芽生え、膨らんでいた。
自分の人生の幸福を願ってるなんて事を言っていたのに、信託に従った先にあったのはよく分からないなりにトラウマになる出来事だったから。
そうした不信感が、その後に下される神の信託を無意識に拒むことにつながった。神はキオラに弁明をしたがっていたが、その言葉が彼女に届くことはついぞ無かった。
――そして時が経ち、奇跡で怪我人や病人を癒すために巡業をしていた時に、小さな村の青年が、責めるような顔でキオラに一つの問いを投げかけた。
「教会が神子を攫って、口封じに神子の親や近しい人間を始末しているというのは本当ですか?」
「?」
キオラからしたら、何のこっちゃと言いたくもなる、身に覚えのない話であった。しかし、その質問をした青年は神官らによりどこかに連れて行かれてしまったため、何かを答えることもできずにその背中を見送った。
それから程なくして、孤児院の中で、神子達の中である噂が囁かれるようになった。
――“例の質問をした青年の村が、正体不明の魔人に襲われて壊滅した”、と。
それを聞いたキオラの頭の中で、点と点が繋がった感覚があった。
帝国領内で魔物ならともかく魔人の出現など異常事態であり、信じる者など少数だろう。
質の低い、信憑性もあったものではない噂であったが、キオラは妙にその噂が気になった。魔人はともかく、青年の村が壊滅したのは本当なんじゃないかと思ってしまった。
そうして一度疑ってしまったら、もう止まることができなかった。教会に黙って人づてにその村の真相を確かめさせて、壊滅したことが本当だということを知った。
例の少年がどこかに連れて行かれたのも、教会にとって都合の悪い話を知られたからなのではないか。根も葉もない嘘であるなら、違うと否定すれば良かったのではないか。どこかに連れて行かれたのは、話の出所を吐かせるためなのではないか。
それらは明確な証拠がないため、ただの疑念の域を出る事はなかった。
しかし青年の話が本当であったと仮定すると、信託の日の出来事が何だったのか……ぼやけていた輪郭がはっきりしてしまう。逆説的に、信託の日の出来事が青年の話の信憑性を上げてもいた。
キオラは額や背中にじっとりと汗をかき、徐々に呼吸が荒くなり、迫り上がってくるものを堪えきれずに嘔吐した。
「う……はぁっ、はぁっ……。っふ、ふふふ、ふふふふふふふふ」
その瞬間に、キオラの中で不信感で留まっていた考えが憎悪に変貌した。
神子や聖女が使う奇跡は、神に対する信仰心であったり、相手への慈愛の心が無ければ真価を発揮する事はない。愛された実感を得る機会がなければ、真の意味での慈愛の心が育まれる事もない。
両親からの無償の愛を受けられず、神や教会に対して不信感や憎悪を抱いていたキオラが、聖女としての才能の花を咲かすことが出来なかったのだ。
◇◇◇
(思い返しても見当たるのは、現状を解決するような答えじゃなく、私が欠落したまま育った人間であるという、どうしようもない現実だけですね……)
瞳を閉じて、スゥと、小さく息を吐き出す。自嘲しているのか、彼女の口角は少し上がっていた。それとは反対に、眉が悲しく下がっている。
「マスラオ様の言う、生きる意味や死にたくない意味は、私の中には見当たりません」
「……」
「起きたばかりなのに、つまらない話を聞かせてしまい申し訳ありませんでした。ゆっくりお休みください。……では、失礼します」
「……俺も説教じみたこと言って悪い。でもこれだけ言わせてくれ。キオラがどんな思いで旅を共にしていたとしても、俺はキオラの事を……何がなんでも守るよ。そうさせて欲しい」
マスラオの頬がうっすらと紅潮していたが、夜の薄暗い中では隠れてしまった。
彼が取り戻した記憶の中に、キオラに対する想いが増すような事があった為だが……それはまた後で語られる。
「……そうですか。気を使わせてしまってすみません」
しかしキオラは、マスラオの想いには気づいていない。自分が肩を並べる存在ではなく庇護対象でしかないのだと、そう思って俯いていた。
「……変なこと言って悪い。おやすみ、キオラ」
「はい、おやすみなさい」
ペコリと綺麗な姿勢でお辞儀をして、キオラは病室を後にした。キオラの表情から、彼女の抱く感情が良いものではないと察していたマスラオだが、何も言わなかった。
◇◇◇
ガンジョウ長城周辺に生息する魔物は、夜行性のものが多い。それ故に長城は夜でも大きな物音がすることが多かったが、今はそれがない。周辺の魔物はほとんど倒してしまったからだ。
騎士達も夜に寝れるようになったので、あたりはしんと静まっている。歩く音が響くほどの静寂の中、キオラはぼんやりと窓の外を眺めながら歩いていた。
(私が奇跡を満足に使えないのは、私の器に愛が注がれていないから……)
マスラオと話して思い出した自分の欠陥。その意味を考えると頭が重くなった。
人に愛されるには、人を愛さなきゃいけない。人を愛するには、自分も愛を知っていなければいけない。愛を知るには、人に愛されなければいけない。
そのループを切り開く一番一般的なものは、両親からの無償の愛なのだろう。
今の自分は欠陥を埋める機会を、とうの昔に失ってしまったのではないか。もう、取り返しはつかないのではないか。
(でもそんなの、私の力で何とも出来なかったじゃないですか……)
何の力も持たない赤子の頃に誘拐され、やっと会えた両親は殺された。一体キオラに何が出来たのか。
しかし、そんな事を考えても意味がない。責任が自分になくとも、聖女として未熟だという結果はキオラの掌にずっとある。
どうしようもない閉塞感に、キオラの目線は下がった。下がった結果、窓の奥側のあるものが目に映った。
それは、夜間の警備にあたっていた二人の騎士。恋人同士なのだろうか、熱い抱擁を交わしている。
一人が頭にターバンと見紛うほどの包帯を巻いていることから、先日のブラードらの戦闘で大怪我をした騎士であると察しがつく。大怪我から目を覚まし、死闘を生き延びた喜びを分かち合っているのだろう。
「……」
そんな二人を、キオラはじっと見ていた。
(私も聖女でさえなければ、お父様やお母様から抱きしめられたり撫でられたりして……誰かと想い合う事もあったのでしょうか……)
ありもしない仮定を一瞬考え、小さく首を横に振った。
――お前のおかげで大丈夫だ。離れて悪かった――
「……………………ん?」
しかし、先日の戦闘中の出来事を不意に思い出した。ブラードの一撃から守ってくれたマスラオが、キオラの頭を胸に抱き寄せた、ほんの一時の出来事を。
「…………………………」
思い出してしまった結果、一秒、また一秒と経つごとに、ゆっくりと聖女の顔が赤くなっていった。
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